私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

距離感

2022-08-24 | 6悩む
距離って大事だと思う。
人間関係も、学校や職場と住まいの距離も、お気に入りのショップや美容院も、何かしらのきっかけで距離に大きく左右されることは多い。

近いから好都合だったはずが、近いから面倒になる事も少なくない。

愛しくてたまらず、四六時中共にいて、同じものを食べ、同じものを見て、それがこの上もない幸せであったはずが、些細なきっかけでその密接さ具合が息苦しくてたまらなくなる事もある。

昔、昔、学校と住まいの距離が近い場合、不登校や登校拒否になる確率は高くなると何かで読んだ。
今でもそのデータは実態を反映したものだろうか。

A地点からB地点に移動する間、人はその場での自分自身の立ち居振る舞いを切り替えているかもしれない。
その距離が適切な距離である場合、生活は穏やかに運ぶのだろう。

そんな事を漠然と考えるこの頃である。
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冷凍食品のポイントに惑う

2022-07-29 | 6悩む
2年半前、冷凍食品デビューした。
私が若い頃の冷凍食品は、手抜きのイメージが色濃くあり、何より美味しくなかった。

しかし、今どきの冷凍食品のバリエーションは恐ろしく多彩。
レンチンだけで即ランチが整う。
パスタにチャーハン、各種うどんに、ご飯のおとものおかずプレート。
餃子、シュウマイ、から揚げは言うに及ばず、コロッケにハンバーグ、和惣菜セットまで、1週間、毎食、冷凍食品で食事を摂っても、メニューが重複する事はない。

そして、野菜室が冷凍庫より大きなものを指定して買い求めた冷蔵庫の冷凍室は、みるみるパンパンになった。

何より私を惑わせたのは、必ず割引対象となるスーパーマーケットの冷食特売日と、プラスポイントセールだ。
ポイント換算すると格別にお買い得だと、カートに冷食を次々と放り込む。
生鮮食品と違い、冷凍食品の賞味期限は恐ろしく長い。
その為、必要が無いのに買い込んでも、罪悪感を覚える必要は少ないのだ。

そして、過剰な在庫を抱え込む事が、過剰なカロリーを摂取するきっかけにもなってしまう。
私の減量計画は、なかなか実現しない。
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自由という名の不自由

2018-07-25 | 6悩む
自由にしてください!と言われている。

自由な日程で、自由なスタイルでお仕事なさって下さいと。
でも、仕事のネタもこれまた自由に放り込まれる。

この自由は、はなはだ不自由で、24時間絶えず変化し、私の未来を緩く縛り続ける。
ああ、なんと無責任で不自由な拘束の続くことか。

私はずっと、ある程度のルールと縛りを求めている。

ちょっとした不自由の中でこそ所属感と安心感は生まれる。
おそらく、それこそを求めている。
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申し訳ない

2015-05-28 | 6悩む
より良い選択がもっと他にあるのはわかっている。
別の選択をした方が、多くの人が喜ぶと知っている。

しかし、曲げられない。

その選択を契機に始まる不自由や、生じるストレスを容易に想像できるから。

だから肯定的な判断が下せない。

それは、ある種の可能性を打ち消すことになるのかもしれないが、もっと自由に漂っていたいのだから致し方ない。

「御免なさい」「申し訳ない」といって現状に留まる私。

本当に、心底、申し訳ないと思ってはいるのだ。
だけど、無理なんだ。
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夢見が悪い

2015-05-27 | 6悩む
どうも最近、夢見が悪い。

大臼歯の治療が必要になって、しっかり化膿止めが注入されているのが眠っている間に溶け出している所為なのか、それとも夏めいてきて寝室の空気が息苦しい所為なのか。

何かしら腹の立つことに遭遇して、怒鳴っている夢ばかりみている。

言い知れぬ怒りが私の中にたまっているのか。
それとも老いがひたひたと体に巣くい始めているのか。

青空を仰ぎながら、まだ五月なのに…と思う。

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悪夢

2014-08-04 | 6悩む
繰り返しみる悪夢がある。
最近は頻度が減って、たまにしかみない。
しかし、時折みてしまう悪夢。
夢から覚めた時には、胃に石を抱え込んだようなこわばりと重みが残っている。

ひとつの夢は高校生の時、チンプンカンプンだった物理の単位を、ひょっとして落としたのではないかという夢。
結局、再試にひっかかることもなく単位はおりたのだったが。

もうひとつの夢は、大学の卒業論文が間に合わず卒業出来ないといいう夢。
実際、大風邪を引いた私の卒論は、期限から一日遅れの提出で、ある就職採用試験にパスしていたことが免罪符となり、始末書を書くことで何とか許されたのだった。
当然Aがつくはずの評価はBに落とされた。

あとひとつ。
ビルの高層階から落ちる夢、ギロチンにかかって命を落とす夢。
この悪夢の元は、意に沿わぬ就職から逃れるためにとった自分の行動。
責められるのは自分であり、頑張りが効かないのはその就職が自分の望まないものであったため。

自分に嘘はつけない。
心を欺いたまま頑張りは効かない。

以来、社会的に評価が高かろうが低かろうが、意にそわないことはしない主義。
そうして、今現在の社会的に低い地位の私がいる。
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国民健康保険料

2014-06-21 | 6悩む
寝太郎の住む市では、国の算定基準に沿う方向で、今年から国民健康保険料の計算方法が変わった。
基礎控除以外のもろもろの所得控除は、所得割の基準額からの控除を認めない方式になったのだ。
国民健康保険料という名の税は、明らかな逆累進課税であって、低所得の世帯にとって酷な結果となっている。
所得割の基準額を改めるのであれば、パーセンテージにも修正が必要だろうに、その細やかな考慮はなされていない。

多額の医療控除を受けている世帯などには、暫定処置が講じられているようだが、寝太郎の世帯はそれとは異なる。
それだって数年の暫定処置であって、一時しのぎにすぎないのだが。
暫定処置もなく、あれこれ控除対象であった支出を控除費用として認められなくなった寝太郎世帯の国民健康保険料は、一気に昨年の4倍強となった。

総所得の20%にもなる国民健康保険料を支払うために働いているような気さえしてくる。
年金保険料や、それを補うための保険料やら何やらを加えると、一体私の総保険料率はいくらになるのか。
計算するのも恐ろしい。

逆累進性課税であるのだから、この保険税率を自分で納得できる率にまで下げるには、とにかくドーンと稼ぐしかないのだ。

高度経済成長下で組み立てられた社会保障の制度は、低成長下でいよいよきしみが大きくなってきている。
とうとう有無を言わさぬ対策が取られ始めている。

介護保険で施設利用する際に、預貯金や固定資産の有無や評価額が考慮されるとか。
所得が一定額以上の御老人は、介護保険利用の額が1割負担から2割負担になるとか。
払える人からはしっかり頂きます…というところから始まって、なくても払ってもらいますよになっていくだろうか。

年金所得から国民健康保険料を特別徴収される御老人方にとっては、尚更に考え込むことが多いだろう。
美容室を営業されている高齢の御夫婦などは、わずかな国民年金を柱にするより、生活保護申請した方がどれだけ楽かとおっしゃっていた。
市民としての誇りがあるので、それはしないけれど、と。

善良な市民はギリギリまで払う努力を続けるだろう。
しかし、善良な市民の善意の対応がいつまで続くだろうか。

偽りにみちたズルイ人たちの在り様も見えている訳で、社会保障や各保険制度の適正化や厳密化がもっと図られていい。
不正請求はきちんと廃し、税金から給与を得ている公務員の皆さまの待遇がもっと検討されてもいい。
民間企業であれば厳しい財政を反映させて、とうに厳しい人件費カットが実現されているはずなのだから。

市の施設を訪れた時の暇そうな職員の姿と、職員用駐車場に並んだ車のグレードの高さに目を見張る。
それらを眺める視線の厳しさを、課税する側の人々は知っているだろうか。

まぁ、そんなことお構いなしだろうな。
本庁から出てくる首からカードを下げた職員の皆さまが、歩道を横に広がって歩くことはあっても、道を譲るところなど一度も見たことないのだから。
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こころのベクトル

2013-09-29 | 6悩む
分かってはいたことだが、こころの方向性が同じ人間にはついぞ出会うことがない。

私はそれと承知しているのだが、古い友人などが、同じ狭い環境にいたころと同じ感覚で、こころのベクトルが全く異なっているにも関わらず、共感や同調を強要してくることに閉口する。

ある友人が私に、自分の選択を肯定してくれないと不満をもらす。
「私はあなたとは全く異なる志向性と価値観で生きている」と知らしめるために、相手が到底理解できないであろう私の現在進行形を披露する。
そうすると友人から出てきた言葉は「ばっかじゃない!」という全否定の感嘆詞。
つまり、自分の領域から遠く隔たってしまっている私に対する、嘆きと牽制である訳だが、なんと表現されようが違うものは違うのだからいたしかたない。

改めて見まわしてみると、私と同じこころのベクトルを持つ人など皆無だ。

長く親しく付き合ってくれている稀有の友人でさえ、その人生を寄り添わせてみれば全く別の方向を向いている訳で、独りで生きることが正解であるとしか思わずにはいられない。

ちっぽけな、ちっぽけな私。

我が国には1億2,000万人の人が生きているというが、自分の小ささをリアルに感じる例えを披露する。

1億2,000万円という大金があるとする。
私はその大金を前にした1円玉一枚の存在でしかない。

飴玉一個買えない。
余りにささやかな存在ではないか。

そして多分、1億2,000万人のベクトルはみな少しずつ異なった方向を向いているのだ。
地球上のささやかな我が国を舞台にしてでさえそうである訳で、世界に目を転じればもう理解と協調の上に成り立つ平和など夢なのかもしれない。
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人生も博打?3

2013-07-15 | 6悩む
人生も博打なのかもしれないと思いつつ、この夏決断しようと思っていた案件がある。

自身の長生きリスクに備えて、余りにお寒い年金額をいくらか補強しようと、近頃盛んに宣伝されている「国民年金基金」に加入しようかどうか思案していたのだ。

来年からの増税を前に、この「国民年金基金」の掛け金が全額所得控除になるという点は確かに魅力。

しかし、この金融商品(金融商品と言っていいと思う)、魅力はこの一点だけで、後は不確定要素の山なのだ。

財務諸表上は随分な赤字とみえる。
物価スライド制はとられていない。
基金が破たんしても、国は補償してくれるわけではなく、そんな時は給付の減額がありうると明記してある。

超低金利の現在が環境のベースであるので、運用利息は固定で低利。
強烈なインフレがやってくると、ひとたまりもなく時代にのまれてしまう。

緩やかなインフレが実現され、世の中の金利が低利のまま維持されて初めてお得感の感じられる商品なのだ。
しかも、減額はできても解約は原則不可。
全額所得控除の飴をにらみつつ、不確定要素が多すぎることに躊躇せずにはいられない。

ほぼ最終コーナーにある私は、夏までにはと思いながら、結局未だ決断できないのである。
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人生も博打?2

2013-07-08 | 6悩む
天変地異。
世界情勢。
健康。
個人の財政。
経済動向。

あらがえぬ大きな要因によって人は翻弄される。

私の小さな脳が講じた対策で、私のいつまで続くかわからない人生を安泰なものに出来るなどと思ってはいないが、それでも自分の始末は自分の美学の下によりよくつけたいと願って「あーでもない、こーでもない」と様々に未来予測をこねくり回しながら、よりよい環境を整えたいと思うのだ。

予測不能な時間軸。
「自分の命があと何年」というベースが最も不確定であるのだから、何とも悩ましい。

…てなことを考えていると、堅く生きているつもりでも、人生そのものがそもそも博打であるような気がしてくる。

絶対なんて存在しない。

安心や安全をうたうあらゆる商品やサービスに疑いを抱き、安寧を欠く。
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