私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

思考を触発する映画とドラマ(1)

2019-01-27 | 2見る・読む・聴く
限られた安心な人たちとだけの淡白な交流では、安全を確保されるが、新たな視点を得るチャンスはない。

近頃、思考の端緒となるのは、ドラマや映画であることが多い。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」
TBSドラマ「家売る女の逆襲」
NHK-BSプレミアムドラマ「モンローが死んだ日」

私の日常にはないドラマのストーリーに発見がある。

先日漸く観てきた「ボヘミアン・ラプソディ」は、見終えた人たちが、皆高揚した感じで映画館を出てくるのが印象的だった。
先に観てきたというドライな友人も、最後は泣けて仕方なかったと言う。

若いころロックに縁はなかった私。
友人もそうだったはずだ。
何故泣けるのか?
興味半分、おっかなびっくり映画館に足を運んだ。

ロングラン上映。
観客層は安定している。
いくらか不安になりながら見続けるうちに高揚感を覚え、いつしか涙がほろほろ溢れ出す。

涙をぬぐいながら、何故泣けるのかを考える。
共通項は見当たらない。
私はLGBTに該当しないし、華やかなロックンローラーとの接点もない。

しかし、涙が溢れ出すのは、やはり共感できる何かしらがあるからなのだ。
何故なんだろう…と思考を重ね、あーでもない、こーでもないとこねくりかえす。

そうしてたどり着いた結論は、ありのままの自分をそのまま自然に表現し、それを受け止めてくれる良き人たちと生きる喜びが描かれていたからという事。
そこに至る過程で多くの犠牲を伴ったけれども、主人公にとって幸せな生活にたどり着いたことが涙を誘うのだと。
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淋しいなぁ

2019-01-26 | 7追憶する
「淋しい」なんて言葉は避けてきたし、そんな言葉を発すること自体が嫌だった。
美しくないし、しみったれていてひどく格好が悪い言葉だと感じていた。
自分の生活には添わないものだと考えていたし、殊更に言上げする事でもないと考えた。

しかし、最近しばしば思う。
素直に淋しいと。
生きてゆくことは淋しい。
一人でいることはもちろん淋しいし、誰かといてもやはり淋しさは忍び込む。

ひとりで居ることは、私にとってとても自然な状態だった。
幼いころからずっとひとり居る環境におかれ、暮らしていた。

だから社会性が育まれなかったし、集団の中に居ることは得意でなかった。
私がもっと賢い人間であったなら、ひとりで無理なく生きられる道を模索したはずだった。

だが、私は余り頭の良い存在ではなかったのだ。

ひとりでいることの多い環境で育まれた人間が、「淋しい」という感覚を認める事は、苦しい日常を意識することに繋がる。
そんなことは意識せず、考えないことが、安穏に生活する術だったろう。
目先の生活だけやり過ごすのであればだが。

そんな自分の成り立ちを漸く認識し、自然に「淋しい」とつぶやく事ができるようになった。
もう沢山の時間を費やし、遅きに失したかもしれないけれど。
もう前向きに人生を発展させる可能性は僅かかもしれないけれど。

しかし、現実をありのまま認めることは、混沌としたカオスの海から這い出す第一段階であると思っている。
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