私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

恐ろしいIT時代

2019-05-20 | 2見る・読む・聴く
IT時代だ。
知りたくないことを知り、知られたくないことがいつの間にか知れ渡る。

息苦しい村社会では有り得無い、出会いや人間関係の展開もあるだろうけれど。

SNSデータで、もう交流はないけれど、ずっとデータ共有されていた方との接続が消し去られ、年齢的なものあるし、不自由なお体になられたか、あるいは亡くなられたかと想像する。
それを、突き詰めて確認する事はない。
緩く薄く、しかし、広く長く接続される社会だ。

先日、ふとある方の消息を確認したくて、インターネット上でその方のお名前で検索をかけた。
大変珍しいお名前で、その方しか検索にかかることはない。
しかし、結果が表示された画面で、思いがけないニュースに、その方の名前があるのを目にする事となった。

超がつくほど真面目で、素朴で、一直線なその方は、違法行為とは対極で生きていた人だった。
しかし、幾つもピックアップされ、事件を報じたインターネットニュースの記事に、その名前は間違いなくあった。
年齢も、居住地も、その方と特定される情報と違わない。

「冗談でしょう」とその記事を幾つも読み重ねるが、その方の行為について書かれているに相違ない。
もう、10年ばかり経過しているのに、相変わらずネット上でその過去がさらされている。

そして、超真面目なその人を知るだけの私にも、「魔が差した」としか思えないその方の行為を知らしめてしまう社会がある。

「忘れられる権利」というのは、正にこうした事を想定して必要とされるものなのだ。

ここ数年で遭遇した、最もショックな出来事だった。

朴訥なその方が、その人となりを知る人達と、変わらず安定した生活を営んでおられる事を祈る。

そして、窮屈な村社会とはまた違う、恐ろしい社会が出来上がっていることを実感した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする