私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

今年も寒い季節がやってきた

2010-10-29 | 5考える
週末にかけて、旧知の友人宅を訪れる予定が、友人の風邪で中止となる。

この訪問、先々週は私の突然の発熱で中止となった。

こんな時には、行かざるが安全とも思うのだが、命あるうちに義理を果たしておきたい気持ちもあるので、年内には必ず果たしたい訪問である。

昨年より一週間早い冠雪が、山間部では見られたそうな。

昨年は今頃、直接見知ってはいないが、伝え聞いていたよく似た環境にあるおひとりさまが、新型インフルエンザに罹っていた。

死にいたる病となられ、人の命はあっけなく失われるものだと世の無常を思わざるをえなかった。

今年のインフルエンザ予防接種には、もう新型対応の成分が入っているとか。
何だかんだ言いながら、医療業界の皆さまは、きちんと命を守る為の働きを続けておられる…と頭が下がる。

この季節になると、センチメンタルになりながら、毎年色々なことを思うのだろうなとぼんやり考えている。
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アメリカが好きかも

2010-10-22 | 2見る・読む・聴く
時代劇好きの私だが、気がつけば、最近、好んで見るのはアメリカのドラマばかりだ。

特にお気に入りなのが「ハーパーボーイズ」と「名探偵モンク」。

驚くほど奔放なアメリカ生活の中にも保たれている、良心と分別、そして家族愛。
ドロドロとしたしがらみの無さと、計算されぬいた台本から溢れるウィット。

初めは実にアメリカンなドラマの設定に、度肝を抜かれたのだが、今や「ハーパーボーイズ」の虜だ。

そして、デジタル契約に切り替えたケーブルテレビの、サービス視聴期間に見始め、当初の契約をグレードアップしてまで見続けているのが「名探偵モンク」。

主人公のモンクが潔癖な強迫神経症である所為ばかりではない、この探偵もの、おそろしくサッパリしている。
ドロドロした感情が渦巻いていないのが、探偵ドラマというよりコメディのよう。

そして、ここにも善良なアメリカ人の道徳観がきちんと息づいている。

冷静で、知性的な視点が底辺を支えているのが共通項だ。

豊かな大地と、新大陸に築かれて間もない歴史の故だろうか。

アメリカのポチでも良いかも…って思ってしまうニッポン人の私だ。
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境界明示

2010-10-17 | 10住む・暮らす
境界明示は、土地の売却を行う場合、売主が所有する土地の境界を接するすべての地権者との間で、境界線をはっきりさせる行為であるらしい。

売主自らが折衝にあたるのではなく、土地家屋調査士なる国家資格の保持者に依頼し、確認書類を作成してもらうことで成立する。

これを、造成から50年近く経った、古い団地の土地を手放すに際して行った。

住宅団地であるから、隣家との境界には塀や石垣、道路などが存在する訳だが、その塀の手前なのか向こうなのか、はたまた真ん中なのか、石垣のどの水平線部分を境界としてとるのかなどなど、意見の相違を見る争点は存在するようだ。

それがどちらに転がろうと、土地自体の平米数や、地価自体に大きな変動はないと思われるのだが、その境界の位置によって、塀などが壊れた時に誰の負担で修繕するのかといった権利責任問題が生じる訳で、ご近所づきあいの中で日頃の不平・不満が潜在する時には、境界確認作業を契機にそうしたマイナスの意識が爆発することも少なくないという。

今回のケースでは、四方の隣家とのお付き合いが皆無で、軋轢もない状態であったが、ちょっとした意識の違いは表面化した。

持ち主も代わり、造成当時の情報は、幼い私の記憶にあるばかり。
現場の状況を照会しつつ、坦々と記憶にある事実を語り、最も妥当なラインに辿り着く。

ぶれることなく、ゆるぎなく、熱くならず、粘り強く坦々と事実を提示し、積み重ねる。
そうして、四方の持ち主の納得を得、境界の確認がなされた。

国家の境界も、そうした積み重ねでしか解決されない。
日頃の潜在的な不平・不満は渦巻いていたろうが、わが国の選出した土地家屋調査士は、救いようのないヘタクソだったと思わざるを得ない。


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資産としての不動産

2010-10-12 | 10住む・暮らす
資産としての不動産というのは、非効率的なものだ。

実際にそこに暮らすというのであればまだしも、資産を不動産の形で所持するということは、多くのロスを覚悟すべきなのだ。

まず、所有することで、固定資産税が課される。
固定資産評価額の1.3%ぐらいだろうか。

土地だけであれば、荒地とならないよう草刈りなどの手入れが必要。
その上に家屋があれば、屋根や塀の補修、防災・防犯の為の出費が必要とされてくる。

賃貸に出せば、月々の賃貸収入に気をもまねばならない。
賃借人一家の暮らしが荒れるようだと、ご近所さんから苦情を受ける役割を負うことになり、家屋の傷みに拍車がかかる心配も生じる。

しかも、このデフレ下にあっては、資産価値が大幅に下落していく危険を抱えることになる。

低利であっても、銀行に預けている分には目下のところ資産税は課されず、目減りする心配もまずない。

それどころか、手放すに際しても、不動産には結納金のごとき多額の費用が発生することになる。

家屋ごと手放すのであれば、リフォーム費用がまずかかる。
土地だけの形にするのであっても、家屋の解体費用、庭木・庭石の撤去費用、境界をはっきりさせる為に土地家屋調査士に支払う費用、不動産を仲介してもらうことで発生する仲介手数料(物件の額×3.15%+63,000円)。
そこに登記変更があって、その登記を司法書士に依頼するのであれば、税金に加えてその費用も必要となる。

更に、それが何十年前に入手した不動産であり、物価上昇の結果、入手額より売却額の方が高額となっている場合には、不動産譲渡所得が発生したとみなされ、またまた課税対象となるのだ。

土地の価額は、オイルショック以前からの物価上昇率にはとても追いついていない。
その間に生じた、税金や家屋の補修や敷地手入れの為に費やされた膨大な費用が、減額要素として勘案されることはない。

資産としての不動産は、大変分の悪いものなのだ。
暦年の資料を整理しつつ、それをつくづく思い知る秋である。
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憧れ田舎の隠遁生活

2010-10-09 | 6悩む
田舎の隠遁生活に対する憧れが、日増しに強くなっている。

特に、馴染み深い田舎のない私にとって、選択肢は限りなく広いのだが、生活自体は既に隠遁生活の体をなしているので「田舎に暮らすからと言ってそれが安全で穏やかな生活になるとは限らない…」と冷めた意見が多い。

田舎に暮らすとしても、ガチガチにセキュリティーシステムで固めたコンクリートの箱で暮らすとすれば、地域の中で浮いてしまうのは必定だ。

お付き合いの仁義を欠かすことが出来ないのも事実であろうし、具体的にプランを立ててゆくとなるとちょっとねぇ…ってことが次々に出てくる。

豊かな島国であるニッポンの、ニッポン的な田舎を構成する一員として、素朴な日本人としての余生を送ることの意義を、強く強く感じているだけなのかも知れない。

それはそれで、厳しい現実が必ずまとわりついてくるでしょうけれど。
憧れっていうのは、現実と距離があるからこその憧れなのだ。

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