私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

とにかく恐ろしいとしか

2011-07-29 | 12怒る
明らかに安全は「二の次」「三の次」なのですわ。
それはもう先刻承知。

餃子騒動の時のかの国の対応も忘れてはいない。
結局、犯人だった工場作業員が忘れたころに摘発されて、事件はうやむやに葬られた。

市販の食品を食べて命を落とすなんて、日常的にあることだというのだから、まぁ国の体面だけ考えている訳よね。

列車事故に関しても、安全のために原因を追及する手がかりの物証を粉々に砕いてしまっては、再発防止と真実追及の道を自らつぶしにかかっているようなもの。
人間の命よりも大切なものが沢山あって、命が軽いっていうことなのだろうなぁ。

かの国のニュースを、連日トップニュースで報じる我が国のテレビにも白けるけれど。
ただ、はやし立てているだけだで、パワーゲーム的側面しか感じられない。

要するに、真理の追求が一番重視されるべきなのに、真理をおおい隠して守らねばならない「優先順位が上」のものが多い社会は、ホントに恐ろしい社会。

運○手が何とかかんとか言っていた云々…っていう報道にしたって、その個人が本当にホントの事を言っているのかどうかも、きちんと検証作業ができないとわからない訳で。
どの人もどの人も、自分の立場を守る方向で発言しているから、誰も信じられない。
つまるところ、真実は重視されてないのだから。

巡視船にぶつかってきた漁船の船長も、好きなこと言ってました。
真実ではなく、謀略の臭いがプンプンしてました。
国民感情を揺さぶる人情話が持ち出されていたのも、国家的に都合の良い方向で彼の立場が肯定される為の策だという風しか感じられなかった。

かの国は、数多くの偉大な哲学者を生んだ国。
歴史の上に積み上げられた、倫理や哲学はどこに行ってしまったのか?
拝金主義の資本主義以上に「言ったもの勝ち」「損得勘定」と「勝てば官軍」的な感覚ばかりが横行しているのを見るにつけ、最近は生理的な嫌悪感さえ覚える。

本当のことが語られ、それがきちんと検証される社会こそが、清く正しく強い社会だと今更に思うのだけど。
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週刊誌の可能性

2011-07-14 | 5考える
週刊誌なるものを何年振りかで買った。

週刊ポスト7/22.29号の「50年前の日本は放射能まみれだった」という副題に引きつけられたからだ。

テレビも新聞も、妙な自己統制や操作が鼻に付き、すっかり信じられなくなっているが、戦後間もなく二つの核爆弾の被害を受けてズタズタだった頃の日本の状況こそ、閉そく的な現在を考えるにあたり興味の深い視点であったから。

50年前の日本は、原子爆弾の影響だけでなく、世界的な核開発競争や原子力管理の甘さの為に、日本の放射能データは被爆地に限らず全国各地で恐ろしく高い値だ。

データ量が不十分である点は否めないが、それでも…である。

マスコミ不信からネット情報ばかりがもてはやされているが、週刊誌の可能性をたたえたい。

様々な観点や手段が維持されていることは、我が国の救いであり財産だと思う。
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