私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

嫌悪感は抑えられない

2012-07-29 | 5考える
今月、山間部にある某温泉に出かけた。
高速道路を使って出かける遠方の地域だが、温泉のある道の駅を中心に積極的な町おこしの取組が評判なところで、かなり期待して出かけたのだ。

駐車場に車を停め、足を地面につけた瞬間、口を突いて出たのは「何だか柄の悪い道の駅だなぁ」というもの。
たまたまその日がそうした巡り合わせだったのかもしれないが、集まっている客層がどうも下品な感じだったのだ。

あちこち出かけているが、山間の温泉地ではついぞ感じることのない印象だった。

食事をし、温泉にはいる。

湯上り、休憩室で涼をとっているとき、半袖の先からその筋の方々の好まれる古典的モンモンをのぞかせる男性を見た。

リアルモンモン…何年ぶりで見ただろうか。

温泉にはお二人、本格的なモンモンを背負った方がおられたそうな。


今日、何気にテレビを見ていると、反原発デモの中心リーダーだという方々が出ておられた。

安保闘争の時のような、操作された過激なものではなく、フツーの市民が大量に行動しているデモだと認識していたが、発言している女性のむきだしの腕には、でかでかと3つのタトゥーが刻まれている。

フツーの人か?

そんなリーダーを担いでいるとするならば、この映像は電力会社の思うつぼだ。

大多数のフツーの人は引いてしまい、デモを支持することを躊躇するきっかけになる。

その方の御出演をご遠慮願わなかったのは、あるいは強力なスポンサーである電力会社と放送局との間でなされた策謀ではなかったか?
…とうがちつつ、嫌悪感に耐えかねて番組を見続ける気は失せてしまう。


今週は、何故か沢山入れ墨をみた。

ショッピングアーケードを手をつないで歩くカップルの右前腕と左前腕に、柄をあわせてお揃いにした本格的なモンモン。

そんな二人に子供が生まれたとして、自分の子供がその子と仲良くなることに躊躇しないだろうか?

フツーの人は警戒し、防御する。
差別ではないのだ。


オリンピックに出場する一流のスポーツ選手の身体にタトゥーを見ることもある。
人気のミュージシャンの身体に刻まれた入れ墨を見ることもある。

やはり嫌悪感は抑えられない。

私は普通の人とは違う人間であると示すために刻まれた入れ墨。
感覚も、行動も、常識も、社会の標準からは大きく隔たっているということだ。
そんな意思表示を前に、フツーの対応はとれない。

辞書や百科事典で言葉の意味を引いてみよう。
差別ではなく、歴史的な裏付けのある文化認識だ。
それを見ることでフツーの人が抱える嫌悪感を、消しゴムで消し去ることは出来ないだろう。
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にんじんしりしり

2012-07-27 | 1食べる
ひと頃、毎朝のにんじんジュースにはまっていた。
我が家のジューサーでつくるにんじんジュースは、タイトなスケジュールをこなさねばならなかった時期、私の健康を守ってくれていたと思う。

一段落して、ジューサーの後片付けが面倒になった為か、ベストマッチするリンゴが高値で手を出せなくなった所為か、買い込んだにんじんが野菜室の中で痛むことが多くなった。

クックパッドでにんじん活用レシピを探していて出会ったのが、この沖縄の惣菜「にんじんしりしり」だ。

にんじんを細かな千切りにしたものを「しりしり」と言うらしいのだが、一度に三本ぐらいのにんじんが消費出来、なおかつその味わいが豊かで実に美味しいご飯の友である。

にんじんだけでなく、ツナ缶まるごと(油もすべて使う)と卵を用い、味付けも比較的濃くてコレステロール値もそこそこありそうなので、食べすぎには要注意なのだが、美味しくて三日に空けず「しりしり」作成にいそしんでいる。

にんじんは甘い野菜だ。
砂糖など一切加えないが、その甘みはマグロのうまみと絡まるとこの上ない味わいとなり、首ったけなのだ。

とにかくご飯がすすむ。
どうしようもなくご飯が旨い。

「カロチンは摂れるが、食べすぎは禁物」と肝に銘じつつ、ちょっと箸が止まらない状態になっている。
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がん検診

2012-07-25 | 8病む
生きる自分のQOLに頓着しなくなって2年余り。
自分が守らねばならない、責任を負わねばならない存在がなくなったからだが、健康管理がいささかルーズになっている。

背負わされていた大きな役割を果たし、人生の一幕目は終えた。
それと共に、抱え込んでいたストレスも消滅したのだ。
疾病要因は格段に低くなったはずだ。

しかし、年々再々その存在が大きくなり、チェックを欠かすことができないのが、もう長らく育んでいる子宮筋腫だ。
更年期には入っていると思うのだが、閉経して更年期を完了するまでには随分時間を要するものであるらしく、筋腫はここ数年で更に大きくなっている。
拳大の大物が二つと、脇役もゴロゴロ。

婦人科の検診は甚だ不愉快なものだが、半年に一度の割合でがん検診だけは受けなくてはならない巡り合わせになっている。

細胞分裂が盛んな部位だけに、定期検診の度に経過観察をしていると、大きさもさることながら、その形状などもその都度大いなる変化をとげていることには驚かされる。

最大の要因はホルモンバランスだろう。
しかし、薬を服用するつもりも手術を行うつもりも目下はない。

何かしら食生活を改善するとか、日常生活の変革で効果的なものはないのかしら…と思うのだが、かかりつけのDR.からは一笑にふされてしまう。
それでも何かいい手はないかしら…と、がん検診の度、心新たに方法をさぐってはいる。
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最小単位は人と人の関係に尽きる

2012-07-21 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
ブランド製品にはまるで興味がないのだが、鞄に限っては長く安心して使ってきたヨーロッパのブランドがあった。

20年近く鞄が欲しい時には必ず覗いた当地のそのブランドショップが、この夏とうとう閉店という報せが届いた。

今日から10日間の閉店セール。
夕方、記念に何かしら買っておこうか…と覗いてみれば、もう棚の90%は空いている状態。
小物を含めて残っている商品は20~30点というところだったろうか。

セール初日だというのに、もうほぼ売り尽くした状態で、最終日まで営業はできないだろう。
しかも、店員さんの対応が恐ろしくあっさりとしている。

呆気にとられて店を後にしたが、長く親しんだ店舗の閉店に驚くほど淡淡としている自分がいた。

そのショップには、そのブランドの製品をこよなく愛する名物店長がいらした。
儲けにもならないのに「これじゃないと私駄目なんです!」と顧客の持ち込んだ使い込まれたバッグを、カウンターで自ら針と糸を持って修繕(お直し)されていた姿が記憶にやきついている。

二年前、その店長さんの姿が突然ショップに見えなくなった。
こんなご時世にちょうどデパートにも出店されていて、そちらへ?と思いきや、退社をされたということだった。

その店長さんがいなくなったことで、そのショップは既に独特の愛着を抱かせる店舗では無くなってしまっていたのだ。

ごくありふれた、ファッションビルにいがちな、ちょっと綺麗なお嬢さんがレジをうち、型どおりの対応をするフツーのブランドショップになってしまっていたから。

出店したデパートの店舗も当然のことながら既になく、実物を確かめてそのブランドの鞄を買うことはもうない。

あの名物店長さんが醸していた実店舗に独特の味わいは、もうなくなっているのだから。
実際、店舗に出向いて買い物をすることの意味はそこにこそあった。

もうネットの情報をたよりに、キーボード相手にお取り寄せすることで事足りる。
長く生活に馴染んだそのブランドの鞄を求めることは、残念ながらなくなってしまうような予感がある。
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変わらないもの

2012-07-14 | 5考える
変わらないものが好きだ。

変わらないものにこそ価値があると思っている。

流行は淡淡と眺めているだけだし、人間社会に「絶対」なんて存在しないという観念を常に抱いている。

熱くならず、踊らされない。

で、出来る限り変わらないもの、普遍的なものを選択しようという心構えで生きてきた訳なのだけれども、確固たる基準であった私の信条も、頼み難い時代になったと感じている。

愈々、哲学や宗教(勿論妖しい新興宗教は除く)に帰依する時なのかもしれないなんて考えたりする。
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不良品をつかむ

2012-07-06 | 12怒る
今週、立て続けに不良品を購入してしまった。

一つは大容量のボストンバッグ。
いま一つは、綿素材のサマードレスだった。
どちらも中国製。

ボストンバッグは縁のパイピングが縫製不良ではずれていた。
検品はされていないのか?といぶかりつつ、早く気づいたので返品交換となった。

同じ週、再び不良品をつかむことなど思いもしなかったので、サマードレスの場合は手遅れとなった。
廉価であるのに着やすくて、肌触りも良い。
色違い・柄違いの同じ品物を大人買いしようと思っていたところだった。
…お尻の部分に、ハサミが誤って入ってしまったと思われる1センチ四方に渡るV字の破れを見つけてしまったのだ。

既にタグもレシートも取り外し、丸一日着て過した後なので返品はしにくい。
しかも、着心地が良く、更に二~三着買い増ししようとしていたところで、ショックは大きかった。

一体全体、検品はされていないのか。
人命に関わる残り針のチェックだけして、その後のチェックはないのかもしれない。

エネルギーと勢いには圧倒されるかの国。そのアキレス腱は、きっとこうした品質管理の部分だ。
品質を保持し、規格を守ろうとする意識…そうしたものが恐ろしく希薄なような気がする。

実際、ルールを守るとか、倫理に反しないとかいった点は、モーレツな利益追求の陰に追いやられている印象が強い。

私のバッグやドレスが不良品でも、一消費者の私がすっかり懲りて「もうかの国の製品はやめておこう」と決意するだけだが、食品や原発もろもろの重工長大製品はヤバいよねぇ…と思う。
土に埋めて隠したって、結果的には何千何万の命がどんどん削られてゆくことになるのだから。
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