訪問日 令和6年5月17日
2024年春 放浪の旅(4日目)滋賀県・福井県
道の駅「塩津海道 あぢかまの里」(滋賀県長浜市西浅井町塩津浜1765)
昨夜の激しい雨から気温が下がり、朝は寒さで目が覚めた
一日の寒暖差で体が「ワォ~」と悲鳴をあげている
風は強いが天気は良さそうだ
この道の駅は初めてだが、この地域は何度も訪れているため行く場所が思いつかない
琵琶湖の水運「丸子船」が展示されていた
琵琶湖特有の木造船とのこと
1 棡山 明通寺(福井県小浜市門前5-22)
私にとって、居酒屋で「とりあえずビール」的な存在なのが明通寺になる
行く場所に困ったら(失礼な話で申し訳ないが)明通寺を訪ねることが多い
手水鉢の花(このような寺社が多くなった)
本堂(国宝)
堂内の仏像も必見
日本に4体しかない重要文化財の木造深沙大将立像がある
三重塔(国宝)
福井県に2つある国宝建築物がここ明通寺にある
2 若狭彦神社(福井県小浜市龍前28-7)
若狭国一宮
上社・下社の2社からなり、上社(小浜市龍前)を「若狭彦神社」という
鳥居
この2本の大きな杉が「二の鳥居」として考えられていた
神門
歴史を感じる社殿
本殿
祭神:彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
3 若狭姫神社(福井県小浜市遠敷65-41)
若狭国一宮
下社(小浜市遠敷)を「若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)」という
鳥居
神門
社殿左に御神木の「千年杉」
本殿
祭神:豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
拝殿
拝殿内部
4 鵜の瀬( 福井県小浜市下根来)
ただの川だが歴史的背景を知ると興味がわいてくる
インド僧「実忠」は、東大寺に二月堂を建立し、大仏開眼の祈りの行法を行ったが、若狭の遠敷明神だけが、漁に夢中になりその法に遅れた
お詫びとして、二月堂のご本尊にお供えする聖水を献じる事を約束し、若狭の鵜の瀬より地下を潜って水を導かせたと伝えられている
大和路に春を告げる神事『東大寺二月堂のお水取り』で、その神約を護り伝える行事が、若狭小浜の『お水送り』になる
その場所に立ってみた
5 延宝山 萬徳寺(福井県小浜市金屋74-23)
上段の間(江戸時代)
昭和天皇御休憩の間(昭和57年)
国指定名勝:庭園
優雅に部屋から眺める
廊下の床に何かの模様があり、寺の奥様に絵でも描かれていたのかと尋ねると、意外な応えが
大工が熱いやかんを置いた痕だと(笑ってしまった)
実は20年前に一度訪れたことがあり、この茅葺きの屋根が印象に残っていた
時代の流れを感じてしまった
堂内の「木造阿弥陀如来坐(重要文化財)」昔のままの姿だった
2024年春 放浪の旅(4日目)滋賀県・福井県
道の駅「塩津海道 あぢかまの里」(滋賀県長浜市西浅井町塩津浜1765)
昨夜の激しい雨から気温が下がり、朝は寒さで目が覚めた
一日の寒暖差で体が「ワォ~」と悲鳴をあげている
風は強いが天気は良さそうだ
この道の駅は初めてだが、この地域は何度も訪れているため行く場所が思いつかない
琵琶湖の水運「丸子船」が展示されていた
琵琶湖特有の木造船とのこと
1 棡山 明通寺(福井県小浜市門前5-22)
私にとって、居酒屋で「とりあえずビール」的な存在なのが明通寺になる
行く場所に困ったら(失礼な話で申し訳ないが)明通寺を訪ねることが多い
手水鉢の花(このような寺社が多くなった)
本堂(国宝)
堂内の仏像も必見
日本に4体しかない重要文化財の木造深沙大将立像がある
三重塔(国宝)
福井県に2つある国宝建築物がここ明通寺にある
2 若狭彦神社(福井県小浜市龍前28-7)
若狭国一宮
上社・下社の2社からなり、上社(小浜市龍前)を「若狭彦神社」という
鳥居
この2本の大きな杉が「二の鳥居」として考えられていた
神門
歴史を感じる社殿
本殿
祭神:彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
3 若狭姫神社(福井県小浜市遠敷65-41)
若狭国一宮
下社(小浜市遠敷)を「若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)」という
鳥居
神門
社殿左に御神木の「千年杉」
本殿
祭神:豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
拝殿
拝殿内部
4 鵜の瀬( 福井県小浜市下根来)
ただの川だが歴史的背景を知ると興味がわいてくる
インド僧「実忠」は、東大寺に二月堂を建立し、大仏開眼の祈りの行法を行ったが、若狭の遠敷明神だけが、漁に夢中になりその法に遅れた
お詫びとして、二月堂のご本尊にお供えする聖水を献じる事を約束し、若狭の鵜の瀬より地下を潜って水を導かせたと伝えられている
大和路に春を告げる神事『東大寺二月堂のお水取り』で、その神約を護り伝える行事が、若狭小浜の『お水送り』になる
その場所に立ってみた
5 延宝山 萬徳寺(福井県小浜市金屋74-23)
上段の間(江戸時代)
昭和天皇御休憩の間(昭和57年)
国指定名勝:庭園
優雅に部屋から眺める
廊下の床に何かの模様があり、寺の奥様に絵でも描かれていたのかと尋ねると、意外な応えが
大工が熱いやかんを置いた痕だと(笑ってしまった)
実は20年前に一度訪れたことがあり、この茅葺きの屋根が印象に残っていた
時代の流れを感じてしまった
堂内の「木造阿弥陀如来坐(重要文化財)」昔のままの姿だった
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