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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

福地山 修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964番地)

2025年04月11日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年9月30日

福地山 修禅寺
正式名称は「福地山修禅萬安禅寺」で、略して「福地山修禅寺」と呼んでいる



数年前、修禅寺を目指して伊豆半島に来たことがあったが、途中強い雨がふり引き返してしまった
前日の夕方、温泉に入りに修善寺にきたのだが、道が狭く駐車場を探せなかったりでこの周辺を彷徨っていた
筥湯(はこゆ)で入浴し、有料駐車場の場所も確認し翌日に備えた



山門
大同2年(807年)に空海が創建したと伝えられている
奥之院(正覚寺)は、延暦10年(791年)に18歳の空海が修行したところと伝わっている



空海は、桂川で年老いた父親の患部に川の水を掛ける親子を見かけた
不憫に思い、独鈷(どっこ)で岩を砕いた所、熱湯が湧き出たと伝わっている
熱湯が湧き出た場所は、現在でも「独鈷(とっこ)の湯」として修禅寺前の桂川にある



仁王像












百度石



水屋



鐘楼堂



本堂
NHK大河ドラマ「鎌倉殿と13人」を熱心に視聴し興味がわき、吾妻鏡や太平記にも目を通していた



源範頼は、鎌倉幕府初代将軍、源頼朝の異母弟
平氏打倒のために挙兵した兄、頼朝と合流し10年に渡り頼朝公を支えた
曽我兄弟の仇討ちにおける頼朝遭難時の発言であらぬ嫌疑をかけられ、修禅寺に幽閉されそこで自刃した



源頼家は、建久10年(1199年)に父、頼朝が急死、これにより二代将軍となった(18歳)
頼家は病に倒れ、重篤な状態となり、これを機に有力御家人たちは、朝廷に頼家が死去したとの虚偽の報告を行い、弟である千幡(三代将軍 源実朝)が将軍職に就く許可を得る
病気から回復した頼家公は激怒するも、修禅寺に流され、ほどなくして刺客に命を奪われた



その後、戦乱や応永9年(1409年)の大火災で伽藍が全焼し荒廃
伊豆一国を治めた伊勢新九郎長氏(北条早雲)により、曹洞宗寺院として再興



現在の本堂は明治16年(1883年)に再建したもの
平成19年(2007年)には開創1200年祭が行われた



堂内の様子



本尊:金剛界大日如来坐像(重要文化財)
この地に流され命を落とした鎌倉幕府二代将軍の源頼家公の七回忌(承元4年:1210年)に母である北条政子(当時54歳)から寄進された
胎内から慶派の仏師「実慶」の墨書とともに三束の髪の毛が出てきた



欄間の彫刻と天井画












弘法大師空海像






壇信徒会館












庭石






宝物館
源範頼(左)・源頼家(右)肖像画



大黒天像






撮影 令和6年9月30日

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