今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

霊禅山 久米寺(奈良県橿原市久米町)

2020年11月24日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月22日

霊禅山 久米寺
LINE仲間に「橿原神宮・神武天皇陵」にいると伝えると、近くに久米寺という、いい寺があると連絡がきた
心身とも疲れていたが、今後の付き合い(笑)もあるので行くことにした
橿原神宮からすぐ近くあるはずだが方向音痴のため30分も要してやっとたどり着いた

「山門」 別格本山 霊禅山 久米寺とある



「虫塚」 初めての寺院は歩いた順に撮っていくようにしている






五体の石仏



金ピカの仏像は「大日如来」



「観音堂」



「本堂」 
この日、この寺が5つ目の訪問地となり、疲労で立っているのが辛くなり、しばし休憩をとる






「久米仙人像」 
吉野・龍門寺の久米仙人は仙術で空を飛べるようになった
空を飛んでいる時、川で洗濯をしている女のふくらはぎに見とれて法力を失い、地上に落ちてしまった
久米仙人はその女とめでたく結婚。その後は普通の俗人として暮らしていた






「鐘楼」









多宝塔(重要文化財)
この寺に多宝塔があることも、重文に指定されていることも知らなかった
この寺を勧めてくれたLINE仲間(悪巧みの会)に感謝



万治2年(1659年)に京都の仁和寺より現・大塔跡に移築



昭和62年(1987年)に解体修理された際に現在地に移される









「金刀比羅宮」






「修行大師」



「仁王門」 初めて訪れたため仁王門があることも分からなかった






扁額には山号の「霊禅山」



「仁王像」
いつもなら像の前の金網が障害となって諦めることが多いのだが、ここは何故かうまく撮ることができた



不思議だが金網の前に仁王像が立っているような迫力を感じる(自画自賛)



嬉しさのあまり枚数が多くなった









「大塔礎石」



伝・東塔跡で巨大な礎石が残る
塔平面の大きさは国分寺を除けば最大規模である



前述の通り、万治2年(1659年)に京都の仁和寺より「多宝塔」が大塔跡に移築された



この場所からみえる多宝塔も美しい



「大師堂」



横目でちらりと眺め本堂へ向かう



「本堂」
開基は聖徳太子の弟の「来目皇子(くめのみこ)」ともいうが未詳
空海は当寺の東塔において真言宗の根本経典の1つである『大日経』を感得したとされている



唐に留学した空海が大同2年(807年)に帰国すると、当寺で真言密教を宣布
このため、当寺は「真言宗発祥の地」とされている



本堂外陣の彫刻



奉納額



LINE仲間が勧めてくれた由緒ある古刹
機会があればもう一度訪れたいと思っている

撮影 令和2年9月22日

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