瑞巌寺を後にして五大堂に向かう
日頃の行いは褒められたものではないが、松島ではいつも晴天に恵まれる
五大堂(重要文化財)
伝承によれば大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされる

景勝地・松島の景観上重要な建物。震災による津波の影響を受けていないようだ

五大堂の入口。堂へ渡るすかし橋は、縦板が2枚しつらえられている

橋を渡ると小さなお堂がある

このすかし橋、昔ははしご状であり、五大堂へ行く際に足元を見て気を引き締めるために、造られたと言われている

現在の建物は慶長9年(1604)伊達政宗公が造営、東北地方最古の桃山建築

この場所は外国人に人気があるのか、異国の言葉が飛び交っている

大きさ方三間(22.68尺=6.87m)、宝形造、本瓦葺


額には「五太堂」と刻まれているが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれている

軒まわりの蟇股に、方位に従って十二支の彫刻がある

十二支の子から始まり…

私の干支である辰

この狭い空間ではあったが、観光客とのふれあいもあり充実した時間を過ごすことができた

道の駅に向かう途中、夕陽が綺麗だったので撮ってみた

撮影 平成28年5月23日
日頃の行いは褒められたものではないが、松島ではいつも晴天に恵まれる
五大堂(重要文化財)
伝承によれば大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされる

景勝地・松島の景観上重要な建物。震災による津波の影響を受けていないようだ

五大堂の入口。堂へ渡るすかし橋は、縦板が2枚しつらえられている

橋を渡ると小さなお堂がある

このすかし橋、昔ははしご状であり、五大堂へ行く際に足元を見て気を引き締めるために、造られたと言われている

現在の建物は慶長9年(1604)伊達政宗公が造営、東北地方最古の桃山建築

この場所は外国人に人気があるのか、異国の言葉が飛び交っている

大きさ方三間(22.68尺=6.87m)、宝形造、本瓦葺


額には「五太堂」と刻まれているが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれている

軒まわりの蟇股に、方位に従って十二支の彫刻がある

十二支の子から始まり…

私の干支である辰

この狭い空間ではあったが、観光客とのふれあいもあり充実した時間を過ごすことができた

道の駅に向かう途中、夕陽が綺麗だったので撮ってみた

撮影 平成28年5月23日