神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

まだ早いけれど、父の日のプレゼント

2015年06月19日 21時22分42秒 | いただきもの
先週帰省した娘が、川西阪急百貨店で父の日のプレゼントとして、作務衣を買ってきてくれた。

ほかの方で父の日のプレゼントをアップされている方がおられたので、真似してアップすることに。

が、サイズがMだったため、すぐにその日のうちにLサイズに交換してもらっておいた。
(百貨店が近所でよかった!)

夫は身長が173センチで、われわれの年代としては高身長のほうだったが、今の若い人たちと比べると中肉中背ということになるだろうか。

ちなみに我が家は、長男が185センチ、次男が182センチの高身長だ。

ついでに、私の身長は160センチで、当時としては高身長だった。

が、中肉中背かもしれないお父さんにもMサイズでは小さすぎるので、今後はLサイズでお願いします。→娘へ

今夜お風呂上りに出して着たが、新しくて少しごわごわすると言いながら、ご満悦だ。

ありがとう。→娘へ

郷里に帰って母の世話をするべきか否か

2015年06月18日 22時06分13秒 | 家族
昨日の老いても急に生き方は変えられないで書いたが、母のことがいよいよ心配になってきた。

それに書いた母方の祖母の従弟の画家の遺作展のことだが、今夜、その画家の息子さんに夫が電話をかけてくれた。

すると、その画家の息子さんの返事は、「お気持ちは有り難いけれども、そこまでやっていただくのは申し訳ない」という婉曲な断りだったという。

母は高知県知事さんも呼ぶと力を入れているが、その世界でこそ少々名の知れている画家といえども、抽象画だから誰にでも観に来てと誘いにくい絵画なのである。

それなのに既に歓迎会の案内状も100枚印刷したとかで、母は一人大騒ぎしている。

夫にいわせれば、母を何か別のことに夢中にならせなければと。

そうしないと、周りの人たちに迷惑をかけてしまうと。

私に、母のために、しばらく高知に滞在したらと言ってくれている。

一昨年兄が亡くなってから、兄嫁の世話になっている母。

世話になっているといっても2階と3階で別所帯だから、ほとんど顔を合わさない生活だ。

食事は、兄嫁は朝、昼、晩と外食をしているから、ご飯は一切作らない。

母の食事は、お掃除に来てくれているおばちゃんが昼と夜の分を作ってもってきてくれている。

これは今は亡き兄にも責任があって、グルメの兄は家で全く食事を摂らなかったから、こういうことになってしまったのだ。

それで、兄嫁も、甥達の学齢の間はお弁当も作ったりしていたらしいが、現在は、家族全員が外食である。朝は、朝から喫茶店のモーニングだ。

私は専業主婦だから、ご飯は三食作るが、お店をやっている兄嫁にそれは要求してはいけないと何も言ったことはない。

ちなみに兄嫁は私より5歳年下である。兄とは8歳の年の差があった。

たった5歳というか5歳もというかは分からないが、私よりも現代的な考え方をしていることは確かだ。

母に対しても、私は姑の世話をするのは当たり前と思っていたが、そうは思っていないところがある。

いや、もしそう思っていたとしても、活動的な母の世話は世間の姑のようにはいかないだろう。

ここにきて、急に母の世話をといっても、無理なところがある。

夫は、しばらく私に高知に帰って母と暮らしたらと言ってくれている。

実の娘だから、そうすべきだろうか。

兄が亡くならなかったら私は心配することもなかったけれど、兄亡きあとは、私一人が実の子なので、何とかしなければならないのだろう。

姑のときは、私達が川西に越してきてからは、義妹は一度も来てくれなかった。たまに認知症の進んだ義母の話し相手になってほしいと思うこともあったけれども・・・。

義妹は私達が川西に来るまで折に触れ姑の世話をしてくれていたから、もう二度としてやるものかという気持ちだったようである。ちなみに義妹は私より一歳年上である。

親の世話は義理でするものではなく、感謝の気持ちでするべきものだと思うけれども、自分も年取ってくると、これがなかなかむずかしくなってくる。

障碍があっても同じ人間、政治にも参加すべし

2015年06月18日 12時41分58秒 | 聴覚障害
この頃はニュースもパソコンから仕入れることが多く、購読していても新聞を読むことが少なくなった。

が、今日、新聞を広げてみると、上の写真のような記事が目に入った。

「進む議会バリアフリー」と題して、

聴覚障害者の兵庫県明石市議の屋根谷(やねたに)敦子さん(55)、同じく聴覚障害者の東京都北区議の斉藤里恵さん(31)のことが取り上げられていた。

屋根谷さんは生まれつき耳が聞こえず、話すこともできないという。

斉藤里恵さんは一歳のときに聴力を失い、話すことがスムーズにできないという。

そういう人たちでも、政治に参加できるようになったことは大きな進歩だと思う。

私は、かなり聴き取りが悪くなったが、それでも補聴器をつけていれば1対1の対話は何とかこなすことができる。話すことは、まあまあ普通にできると思っている。

しかしこれからますます聴力が低下することは、これまでの経過からして避けられないと思う。

だから、屋根谷さんや斉藤さんは他人事ではない。

そんな人たちも、手話やパソコンによる翻訳で人並みに仕事ができる世になったことを嬉しく思う。

  サポートをされて聞こへぬ障害を取り払ふれば同じ人なり  biko

私はたまたま聴覚障碍者であるから彼女らの活躍に目がいくが、世の中には、視覚に障碍がある人も、肢体に障害のある人もいる。

  目に見えぬところを耳で補ひて見えぬ障碍緩和さるべし  biko

それぞれ何らかのサポートを受けながら、健康な人たちと対等に生きていける世の中になることを切望する。

われわれ団塊の世代も、高齢者の仲間入りをして、これらのうちのいずれかの障碍を持ってしまうことは避けられなくなる。

運よくそうならないで一生を終えることのできる人もいるかもしれないが、だからといって、そういう人たちが必ず幸せというわけでもない。

基本的に、神様は全ての人間に対して平等になされるのだ。

障碍のある私達を他人事と思わないで、遺された人生を生きていただきたいと思う。

  歳とるは衰ふことと同義にて目耳肢体は衰へてくる  biko

老いても急に生き方は変えられない

2015年06月17日 13時57分31秒 | 老い
けさ兄嫁から私のケイタイにメールが入った。

5月に帰省したときに、今夏、母の母(私の祖母)の画家であった従弟の遺作展が高知市で開催されることを聞いた。

その画家は抽象画では世界的にも名のある画家なのだが、しかし抽象画という範疇に属するため、誰にでも見ていただくわけにはいかない。

が、その開催に合わせて、母は、その祖母の親戚の者を集めて”いとこ会”を目論んでいる。

そのこと自体は悪いことではないのだが、もうすぐ90歳になろうとする老女の献立てることだから、誰かの助けを借りなければ遂行できない。

それで、いろんな人に(お願いならいいのだが)命令して、迷惑をかけているらしい。

しかも、100人規模の会を遂行しようとしているのだ。

母は先月、私には40人の会を執り行うよう、すでにホテルに予約してあると書いてきていた。

私は、それほど人が集まってくれることは考えられないから反対と書き送ったのだが、いつのまにやら、話がもっと大きくなって、100人になっているらしい。

どうも母には認知症も入ってきたようだ。

それは5月に帰省したときにも感じたことだったが、先日の次男の結婚式に際しては、きちんとした文面でお祝いも送ってきてくれていたから、杞憂だったかと思っていたのだが・・・。

母は、もともと家でじっとしている人ではなかった。

それが若い頃は母の利点でもあった。

少なくとも活け花界で君臨していたころは、それが利点になっていた。

しかし体も頭も十分には働かなくなった現在、それは時に人を振り回す暴力にもなる。

かと言って、急に生き方が変えられるわけでもないのが、人の哀しさである。

  かつてその権力をもて号令をしてきし人の晩年あはれ  biko

  身体も頭も弱りゐし人の号令だれも聞かなくなりて  biko

斉藤茂吉と岡井隆氏

2015年06月17日 10時25分40秒 | 短歌
昨日短歌の友人が「斎藤茂吉を語る会」の会報のコピーを送ってきてくださった。

このブログは短歌をされている人達も読みにきてくださるから、そのことについて少し。

短歌に興味のない方は退屈だと思うので、スルーしてください。

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私達の所属する短歌結社「塔」はアララギ派である。

アララギ派の大御所といえば、斎藤茂吉である。

送ってきていただいたこの号には茂吉最晩年の歌集『つきかげ』についてが特集されているようだ。

  ぷらぷらになることありてわが孫の斎藤茂一路上を歩く  斎藤茂吉

斎藤茂一さんは、斎藤茂吉の長男であり、有名な精神科医であり、エッセー家であった斎藤茂太さんの長男である。

歌友の送ってきてくれたコピーは、この『つきかげ』の特集ではなく、同じくこの号に掲載されている、昨年11月の例会での岡井隆氏の講演についての報告である。

この会で、講演されたのは、岡井隆氏。

氏は、体調不良の中を夫人に付き添われての講演であったよし。

しかも、その原稿は、最近のパソコンで仕上げた原稿ではなく、手書きのそれであったという。

岡井隆氏は昭和3年の1月生まれであられるから、今年88歳。

体調のほうはともかくとして、頭のほうは、まだまだしっかりしておられる。

講演の題は、「斎藤茂吉の『白き山』について」であったようだが、

医師であった斎藤茂吉のことを同じく医師であった岡井隆氏が分析するのは当を得ている。

岡井氏は斉藤茂吉の歌をいくつか挙げながら講演をされているが、全部紹介するのは長くなるから割愛させていただく。

個人的にはアララギ派の大御所の斉藤茂吉に大いなる魅力を感じるが、身近なところでは、この岡井隆氏に魅力を感じている。

私事で申し訳ないが、岡井氏には、私が短歌を始めてまもなくのころ、NHK短歌の番組で、拙歌を2位に採っていただいたことも懐かしいが、それより四万十川短歌大会で、大会賞をいただいたときの選者が岡井隆氏だったことも懐かしい。その授賞式は、はるばる大阪から中村市(現四万十市)を訪れて、岡井氏自らの手で表彰状をいただいた。そんな思い出もあるので、岡井氏には特に親しみを覚えるし、氏には可能な限り長生きしていただきたいと思ったりする。

  四万十川短歌大会授賞式そこで初めて御目文字の栄  biko

その後、京都で開かれた現代歌人協会の公開講座か何かを生で聞かせていただいたこともあった。岡井氏は、いくつになられてもダンディで素敵な紳士だ。親子以上に年の離れた奥様と再婚をされているが、氏は気持ちが若々しいから、精神年齢では合っていられるのだろう。

今日は疲れが出て

2015年06月16日 20時48分34秒 | 日記
                (↑昨日撮りこぼしていたお花)

朝食後、食堂のソファで寝て、昼食後は和室においてあるソファで寝て、というふうに、一日中寝てしまいました。

夫が、年取ったら疲れがすぐに出ないで数日後に出ると申しておりますが、その通りになりました。

私は、もう頑張れないと弱気な気持ちになってしまいましたが、夫のほうは、昼食後こそ少し昼寝しましたが、夕方は自転車で伊丹空港までサイクリングしました。

伊丹空港まで行くと飛行機が見られるのが楽しいし、お茶も飲んでこられるというので、最近のお気に入りのサイクリングコースになっています。

私は、とてもそんな元気はありません。

それでも、夕方、元気を振り絞って近所に買い物に出かけました。

現在は、買い物に行くのが私の唯一の運動になっています。

  運動は買ひ物のみのわたくしの今日の買ひもの夕方にゆく  biko

  宝塚、伊丹、さらには西宮あたりまでゆく夫の自転車  biko

4人分の寝具を干して、4人分の寝具のカバーを洗って

2015年06月15日 16時13分58秒 | 家事
今日は幸い晴れていたから、朝娘一家の4人分の寝具のカバーを外して洗い、寝具を2階のベランダで干した。

先ほど取り込んだが、暑さの割りには乾きはイマイチだった。湿度のせいだろう。

布団も取り入れて、また一階におろしてきて、押入れに入れたが、ふだん怠けている私には、これだけで重労働だった。

夫は昼前から仕事で加古川市まで出かけたから、手伝ってもらうこともできなかった。

これからもっと年取って、しかも、夫に先立たれたりしたら、娘家族を受け入れることもできなくなるのだろうか。

まあ、そんな先のことまで考える必要はないが、つい考えてしまった。

それにしても、今日は蒸し蒸しして不快指数が高かった。

  四人分布団を干して四人分シーツ洗つてああ疲れたと言ふ  biko

家中お花がいっぱい

2015年06月15日 10時34分30秒 | 日記
一昨日の次男の結婚式で持ち帰ったので、家中お花でいっぱいだ。

上は、食堂に飾った花。花瓶の足元に孫の飛ばした紙飛行機が残っている。

↓仏壇にも、結婚式のお花をお供えした。


↓一階の洗面所


↓1階のトイレ


↓2階の洗面所


↓2階のトイレ


次男たちは、今日から大阪で新婚生活。

新婚旅行は、今月末にモリジブに行くそう。

お嫁さんは一人娘だから、ご両親はいっぺんに寂しくなったのではないかと。

大切に大切に育てられたお嫁さんだから、私達も大切にさせていただかなければ!

ダンボール製の簡易オーブンで焼いたピザの出来上がり

2015年06月14日 15時39分13秒 | 料理
そろそろピザが焼けたようだ。

猪名川河川敷でピザを焼いたの続きになる)

↓いったん取り出してから


↓婿がバーナーで表面を焼いてくれる。


↓出来上がり


ピザを切り分けてもらってから、私は暑さを避けるため、阪神高速道路の橋脚の下に避難した。


↑娘一家と夫が遠くに見える。
(ブルーシートが目印)

猪名川河川敷でピザを焼いた

2015年06月14日 13時54分06秒 | 家族
娘一家は午後東京に帰るというので、お昼前から近くの猪名川河川敷で、夫の作ったダンボール製の簡易オーブンでピザを焼いて昼食にすることにした。

↓まず、丸太橋を渡って


↓娘達がピザの準備をしてくれる。


↓夫の作ったダンボール製の簡易オーブンに炭を入れて点火。


↓ブルーシートと折りたたみ椅子で簡易リビング。


下の写真は阪神高速道路と
↓川で遊んでいる子供達


↓池田市の五月山が見える。


↓私はビールを飲みながら待つだけ。


↓ピザの焼けるのを待つ間、孫達も川遊びを始めた。

近所の家の障子の張替えをしてあげる夫

2015年06月14日 11時42分18秒 | 近所
今朝から夫は、近所(といっても、実はお向かいですが)の障子の張替えをしてあげています。

頼まれればいやと言えない夫は、向かいの家の庭の草引きもしてあげて、さらに家の中の旧いテレビを大型家電店に持ち込んで処分してあげたり、家の中にある明らかに不要と思われるものの処分をしてあげています。(実費はもらっています)

家の所有者は鳥取県に住んでおられます。

週一度、持ち主の嫁いでいる娘さんが帰ってこられるのですが、来ても何もされないので、家の中は亡くなられたお祖母さんのもので溢れています。

娘さんが、そのお父さんに相談すると、うちの夫に頼めと言ったとかで、夫は、自営の仕事の合間にせっせと掃除や片付けをしてあげているのです。

ということで、今日は障子の張替えをしてあげています。

一昨日から東京から帰省している娘一家もまだいるのですが、ご飯の支度は私がするので、孫に手伝わせて障子の張替えを始めたのです。

こういう体験は、なかなかできないので、孫のためにもいいかもしれませんが・・・。

↓我が家の前にも張り替えた障子が立てかけられています。



↓小さな窓の障子も張り替えてあげています。


向かいの娘さんは「おじさん、襖も張り替えてください」と頼んでこられるが、私の娘は、「襖はプロにやってもらわないと」と陰で私に言っていますが、でも、人のいい夫は、やってあげるのではないかと。

まあ夫の親の代からのお付き合いなので、頼まれればいやとはいえないようです。

  家中の障子張替へ家中の襖張替へしてほしいとぞ  biko

次男の結婚式

2015年06月13日 17時27分07秒 | 家族
今日は、次男の結婚式でした。

人前結婚式だったので、特別なしきたりはありませんでした。

次男たちが入場してくる前に会場の撮影をしました。



↓ハーブ、チェロの生演奏がありました。


↓次男たちが入場してきました。顔を出せないのが残念です。


娘一家が帰ってきて

2015年06月13日 05時29分55秒 | 家族
昨夜10時前、今日の次男の結婚式のために東京から娘一家が新幹線で帰ってきた。

いつもは車だが、今回は諸般の事情から新幹線での帰省になった。

聞くと、今春から私立中学に通っている孫は今日の土曜日は授業があったが、欠席だとのこと。

娘の連れ合いも仕事を早く切り上げて一緒に帰ってきてくれた。

ふだん2人の家が3倍の総勢6人になり、いっぺんににぎやかになった。

孫たちは、さっそく夫の書斎で夫にいろいろ教えてもらっていた。

男の孫達だから、私よりおじいちゃんのほうがいいらしい。

おじいちゃんは、昨日は昼間からおやつや果物の買出しに余念がなかった。

日が暮れる前に私とおじいちゃんと2人で和室2部屋に4人分の布団を敷いておいた。

布団は一人でも敷けないこともないが、手伝ってもらうと助かる。

まだ私達は前期高齢者だが、婿の鹿児島のご両親は、後期高齢者になられたが、今年の春休みはこの孫2人を、子供達だけで飛行機で来させて世話をしてくださった。

その年齢になって、私にそんなことができるだろうか。

今日結婚式を挙げる次男たちには、これから子供ができるわけだが、遅く産んだ子どもには、遅く孫ができるのは自明のことだが、そのためには、私も少しでも元気でいないといけないと思う。

  孫ふたり冬より少し背の伸びてこんにちはとぞ言ひて入り来る  biko

  われよりも夫に懐く男孫たちすぐに夫の書斎に向かふ  biko

明日は次男の結婚式

2015年06月12日 14時54分10秒 | 家族
明日結婚式を挙げる吾子へ

  あす式を挙げる予定のわが次男わが三十五歳に生れし末の子

  上の子と十歳、九歳とし離れ生まれしゆゑに一人子のごと

  あかちやんの汝れは女の子のやうで人にもさういふふうに言はれて

  一歳を過ぎてアトピー皮膚炎になりてかゆがる汝れかなしかりき

  幼稚園ゆきてもアトピー皮膚炎のゆゑに苛めを受けることありき

  幼稚園いきたくないといふ汝れを休ませ家で遊ばせし日も

  小学校かよひはじめて勉強が好きになりせば苛めも減りて

  七歳で始めた水泳教室でぐんぐん汝れは成長したり

  塾いくはいやと高校受験はも塾いかぬまま受験したりき

  大学も自ら決めて受験して合格したりシステム学科

以上、biko作