今日は、地区の運動会であった。
今年は班長をしているわけではないが、班長をしているお向かいさんに、「嫁いだ娘の出産予定日と重なっているので、お昼のお弁当を配るのを替わりにやってほしい」と頼まれていたので、お昼前に会場の小学校に出向いた。
だいぶん暑さは和らいだといっても、まだ晴天の日中は暑い。
暑さには、からきし弱い私なので、正午になるまで校庭の隅の木陰で運動会を眺めていた。
すると、私と同じように、木陰で運動会を眺めていたお婆さんが話しかけてきた。私は、若い女性の高音の声は聞き取りにくいが、お年寄りの低音の声は比較的聞き取りやすい。それでも、運動会の、うるさい拡声器の合間を縫って話をしたのだが、大正13年生まれで当年88歳だといわれる。私の実家の母より一つ年上だ。なのに、未だに一人暮らしで自活していられるという。
「それは偉い。ところでご家族は?」とお聞きすると、「電車で3駅のところに息子夫婦が住んでいます」といわれる。そして、「息子の嫁さんは、とてもよくできた人です」とおっしゃる。
「じゃ、なぜ一緒に暮らされないのですか?」とお聞きしたかったのだが、聞かぬが花と思って止めた。
別々に暮らしているからこそ互いに尊敬しあうことができるけれども、一緒に暮らすようになったが最後、きれいごとだけではすまされない部分が出てきがちだということを、そのお婆さんは解っていられるから同居されないのだと思う。
お名前もお聞きせずにお別れしたが、ああいう運動会の場であったから会話できたのであって、ふだん道で会っでも会話する機会は得られないだろう。そう考えると、ああいう場に行くのもそれなりにいいものだと思った。それは、その一人暮らしのお婆さんにとっても、そして、これから、ぼちぼち本格的に老人の仲間入りをさせていただく私にとっても・・・。
今年は班長をしているわけではないが、班長をしているお向かいさんに、「嫁いだ娘の出産予定日と重なっているので、お昼のお弁当を配るのを替わりにやってほしい」と頼まれていたので、お昼前に会場の小学校に出向いた。
だいぶん暑さは和らいだといっても、まだ晴天の日中は暑い。
暑さには、からきし弱い私なので、正午になるまで校庭の隅の木陰で運動会を眺めていた。
すると、私と同じように、木陰で運動会を眺めていたお婆さんが話しかけてきた。私は、若い女性の高音の声は聞き取りにくいが、お年寄りの低音の声は比較的聞き取りやすい。それでも、運動会の、うるさい拡声器の合間を縫って話をしたのだが、大正13年生まれで当年88歳だといわれる。私の実家の母より一つ年上だ。なのに、未だに一人暮らしで自活していられるという。
「それは偉い。ところでご家族は?」とお聞きすると、「電車で3駅のところに息子夫婦が住んでいます」といわれる。そして、「息子の嫁さんは、とてもよくできた人です」とおっしゃる。
「じゃ、なぜ一緒に暮らされないのですか?」とお聞きしたかったのだが、聞かぬが花と思って止めた。
別々に暮らしているからこそ互いに尊敬しあうことができるけれども、一緒に暮らすようになったが最後、きれいごとだけではすまされない部分が出てきがちだということを、そのお婆さんは解っていられるから同居されないのだと思う。
お名前もお聞きせずにお別れしたが、ああいう運動会の場であったから会話できたのであって、ふだん道で会っでも会話する機会は得られないだろう。そう考えると、ああいう場に行くのもそれなりにいいものだと思った。それは、その一人暮らしのお婆さんにとっても、そして、これから、ぼちぼち本格的に老人の仲間入りをさせていただく私にとっても・・・。
私も娘や孫たちとは同居していません。
ボランティアをしている小学校の運動会に行っていますが、高知市や松山市に住んでいる孫たちの運動会には行けません。
お話した方のように、私もよい婿たちですが、できたら、このままでいたいです。
老後のことも考える年齢になってきました。
コメントいただきありがとうございます^^
そうですよね。元気な間は、一人暮らしのほうがいいですよね。そのためには、ご近所のネットワークを作っておかなければと思います。yumeさんみたいに、ご近所にご奉仕しながら年を重ねていくことができれば理想的だと思います。