神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

結局お墓参りには帰らなかった、帰れなかった

2018年03月24日 01時54分57秒 | 帰省
昨日の夕方まで悩んでいた。

お墓参りに帰りたかったからだ。

また母の初めてのお彼岸だったから、帰ってやらなければとも思っていた。

しかし、夫の多忙な様子を見ると帰りにくかったし、
無駄足のような気もしたし。

数か月前までは母が喜ぶから帰省していたが、
喜んでくれる人がいなくなるということはこれほど帰省が意味をなさなくなるなんて、

でも、私の帰りたい気持ちは消えない。

私自身が帰ることで精神的な安定を得ていたところもあった。

半分耄碌していた母だったが、最後の最後まで娘の私を案じていた。

そんな有難い存在がこの世からいなくなった。

現在は、私は夫の多忙のイライラの緩衝材のような役割も果たしているように感じる。

夫はそんなこと思ってもいないかもしれないが、
夫が帰宅したとき、
私がいるのといないのとでは、全然違うと思うのだ。

が、私が精神的に安定しているときはいいのだが、
私自身が不安定になりやすい人だから
私のことを心底心配してくれる母の存在は得難かったと
今頃になって気づく。

遅すぎる。

せめてお墓参りに行って、自分の精神の安定を図ってこようと思っていたが、
昨日の夕方まで迷って、結局帰れなかった。

お彼岸は今日までだったが、
夜行バスはもう満席でなかったが、
昨日の夕方のバスが一席あった。

夕方のバスに乗って、高知には今頃の時間に着くバスだったが、
ホテルを予約していけば、こんな夜中に到着しても朝まで寝られた。

朝いちばんにお墓参りすればよかった。

が、それだけだ。

実家に帰ることは、もうない。

帰ったところで、喜んでくれる人はいないのだから。

そのことを考えていると、涙が出てくる。

もうこの世に未練はないと思う。

こういう悲しい思いをしている私であるが、
これが逆だったら、もっと悲惨だった。

兄に先立たれ、私にまで先立たれたら、母は可哀想すぎた。

だから、私が残ってこうして悲しむほうが、まだいいのだ。

*

・母死にてまだ二か月しか経ちてゐずまだまだその死に馴れずゐるかも

・お彼岸のお墓参りに行きたしと強く願ひて行かずに終はる

・悲しみはまだまだこの身に満ちてゐてときどき溢れ出すなり 涙

・多忙なる夫の吸ひ取り紙であるわれの悲しみ吸ひ取りてほし

・もう誰もわれを心底心配をしてくれるなく此の世に残る

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