神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

従姉の話

2018年02月28日 09時04分42秒 | 帰省
昨日母の納骨に来てくれた従姉は前の記事でも書いた通り、
私達父方いとこの中の最年長なので、私の知らなかったことも知っていて、
昨日もいろいろ話してくれた。

祖父は頭のいい人だったから、この墓地のある田舎でも皆から尊敬されていて、
現在墓地にしている一等地も、特別に手に入れることができたと。

また祖父は、第一次世界大戦のときに当時としては破格の出世をしたらしかったが、
学歴がなかったので、ある一定の地位までが限度だったそう。

それが悔しかったから、商売で成功してお金を作ってからは三人の息子を大学にやり、
その後、陸軍士官学校も卒業させている。

そのご利益があってか、私の父も軍隊に入ってまもなく中尉になったらしかったが、
この従姉の父親だった父の長兄は主計大尉だったそう。

それで、この父の長兄や父の威光で、親戚の男性陣は軍隊で全員が殴られるときなども
免除してもらえることが多かったそう。

父の次兄は体が弱かったから、兵役は免れていたらしかった。

また長兄は祖父が亡くなった時にほとんどの遺産を独り占めしたと私の母などは言っていたが、
この従姉の話によると、
私の父も、田舎の田畑を相続して、
それで私の母が高知市内に貸家にしている土地を買うことができたと言っていた。

私は、父からも母からも、そんな話は聞いたことがなかった。

やはり話は双方から聞かなければならないと思ったことだった。

父も母も、第二次世界大戦後法律が改正されていたのに、全部父の長兄が相続したと言っていたが、
従姉の話ではそうでもなかったことになる。

それから祖父存命中は、高見山というところに別荘があったが、
その別荘はいつのまにやら父の次兄のものになっていて、
現在、その次兄の長男(私の従兄)が自宅を建てて住んでいる。

母は、あの祖父の別荘は共有財産だったのになどと言っていたが、
しかし、このことも今度この従姉に聞いてみないといけない。

もっとも従姉も、すべての話に、多少は自分の親の贔屓を交えて話すことは計算に入れて。

とは言いながらも、この従姉は人格者だから、そう極端な話はしないと思う。

私は、子供の頃から、他の従姉妹たちと違って、
この従姉は全体を公平に見ることのできる従姉と信頼していた。

この従姉は、頭もよかったから、勉強はそれほどしないのに、常にトップの成績だった。

祖父も、この従姉のことは人にも自慢をしていた。

まだ幼かった孫の私にまで、
「〇〇ちゃんは勉強もよくできるけれど、絵を描かせたら、これがまたものすごく上手い」
などと(笑)。

従姉妹たちとは、私が結婚してからはお互いに疎遠になっていたが、
これからは、帰省したら、この従姉の家にも行ってみようかと思う。

この従姉の連れ合いは、さる銀行の重役だったから生活にも余裕があり、
それで余計こうして親戚筋の世話などもできるのだろう。

この従姉の結婚は、
卒業した高校の校長先生の推薦でお見合いして決まったと聞いている。

優等生だった従姉は、校長先生の覚えも目出たかったのだろう。

従姉が人格者だったから、こういう運命が授けられているのか、
こういう恵まれた生活をしているから人格者になれるのか、
これは「鶏が先か卵が先か」だ。

と、今日は、ちょっと従姉自慢をしてみた。^^

*

・嫁ぐまで姉妹のごとく親しみし従姉妹らのゐて今疎遠なり

・また祖父の生きゐしころに戻らむか戻りて姉妹のやうな従姉妹に

・われよりも先に勤めてゐし従姉われの勤めし四国銀行に

・入行をせしとき「妹さんですか?」と聞かれしこともありし従姉よ

・他人から見ればどこかが似てゐたか従姉妹同士は親が兄弟


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
高知 (ハイジ)
2018-02-28 13:31:05
お母様の納骨済まされ寂しさ一入ですね。

でもbikoさんは高知に待ってる人々が。
親友さんに従姉さん。
親友さんのお料理には感心しました。
視力の衰えを努力で克服されたのでしょうね。
故郷に親友が待ってる。いいですね。

ハイジは春の訪れ近い彦根の日々。
冬眠生活そろそろ終わりにしなくては。
グーたら生活の快適さが年々増殖します。
お尻に根が生えるかも。
お出掛け考えなくては。


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ハイジさんへ (biko)
2018-02-28 15:46:33
いつもやさしいコメントをありがとうございます。

私は、ブログを書きながら過去を思い出しているところもあって、自慢話も書いてしまいますが、ハイジさんは性格がいいから優しく読み取ってくださいます。

ハイジさんの言われる通り、母が亡くなって寂しくなりましたが、従姉妹はとこはいるわけで、これからはそうした人たちと縒りを戻して?仲良くしようかと思いました。

親友は、目と耳の違いはあっても、お互い本格的な障碍者になってしまったので、昔より親密度が増したくらいです。

人生なにが幸いするかわかりませんね。
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