いまさらだが、帰省のたびに高知市の繁華街の衰退を哀しく思う。
高知市の一番にぎやかなところは、以前は、はりまや橋近辺だった。
高知駅からは離れているが、路面電車の交差する場所で、南北には高知駅から桟橋通りまで、東西は後免(もっと昔は安芸市)から伊野町までの路線の交差するポイントだった。
現在も交差しているが、車社会になって電車がメーンの交通手段ではなくなった頃から様変わりしてきたのだろう。
車社会の発達とともに郊外の車で行ける店のほうがにぎわっている。
高知駅の北側に巨大ショッピングセンターであるイオンができたのが、決定的だったと思う。
ということを私が知ったのは、母が脳梗塞で倒れた11年前であった。
それまでは、帰省するのは年に一度か二度であった。
それもお正月か、よさこい祭りのころ。
そんな特異なときにだけ帰省しても現状は把握できなかった。
母が倒れた11年前は何度も帰省した。
3月に倒れたので、春から夏にかけて、特に頻繁に帰省した。
そのとき、買い物に、高知市の繁華街だった帯屋町などに行くのだが、どうも人通りが少ない。
実家の近くに魚の棚という市場があったのだが、そこには以前からのお店がなくなっていた。
いったいどうしたのかといぶかしく思っていたが、あるとき、高知駅の北側にできていたイオンに行って理由が分かった。
イオンの中はいっぱいの人出であったのだ。
驚いたが、すぐに納得できた。
高知市の中心地だった地域は、車で買い物にいけば地下駐車場にお金を払って駐車しないといけないのに比して、イオンでは少し買い物をすれば駐車料金は無料なのだ。
実家は中心地にあるので、百貨店の大丸も帯屋町も徒歩圏内だが、郊外の住宅地の人たちは、そうはいかない。
そんなこんなが重なって、中心地の衰退に拍車がかかったのだろう。
かつての賑わいの中心だった播磨屋橋交差点の人通りは、昼間でも少なくなったが、夜の寂しさには涙が出そうになるほどだ。
数年前に高知駅が建てかえられて、その南北の通行が可能になったころからは、ますます繁華街の衰退が激しい。
さびしいけれど、これは昔から繰り返されてきた盛衰史のパターンの一つなのだろう。
押し寄せるやうに人並みありし日々播磨屋橋は華やぎてゐき/biko
よさこいの踊り流れてゆく街はよさこい祭りのときのみときめく/biko
高知市の一番にぎやかなところは、以前は、はりまや橋近辺だった。
高知駅からは離れているが、路面電車の交差する場所で、南北には高知駅から桟橋通りまで、東西は後免(もっと昔は安芸市)から伊野町までの路線の交差するポイントだった。
現在も交差しているが、車社会になって電車がメーンの交通手段ではなくなった頃から様変わりしてきたのだろう。
車社会の発達とともに郊外の車で行ける店のほうがにぎわっている。
高知駅の北側に巨大ショッピングセンターであるイオンができたのが、決定的だったと思う。
ということを私が知ったのは、母が脳梗塞で倒れた11年前であった。
それまでは、帰省するのは年に一度か二度であった。
それもお正月か、よさこい祭りのころ。
そんな特異なときにだけ帰省しても現状は把握できなかった。
母が倒れた11年前は何度も帰省した。
3月に倒れたので、春から夏にかけて、特に頻繁に帰省した。
そのとき、買い物に、高知市の繁華街だった帯屋町などに行くのだが、どうも人通りが少ない。
実家の近くに魚の棚という市場があったのだが、そこには以前からのお店がなくなっていた。
いったいどうしたのかといぶかしく思っていたが、あるとき、高知駅の北側にできていたイオンに行って理由が分かった。
イオンの中はいっぱいの人出であったのだ。
驚いたが、すぐに納得できた。
高知市の中心地だった地域は、車で買い物にいけば地下駐車場にお金を払って駐車しないといけないのに比して、イオンでは少し買い物をすれば駐車料金は無料なのだ。
実家は中心地にあるので、百貨店の大丸も帯屋町も徒歩圏内だが、郊外の住宅地の人たちは、そうはいかない。
そんなこんなが重なって、中心地の衰退に拍車がかかったのだろう。
かつての賑わいの中心だった播磨屋橋交差点の人通りは、昼間でも少なくなったが、夜の寂しさには涙が出そうになるほどだ。
数年前に高知駅が建てかえられて、その南北の通行が可能になったころからは、ますます繁華街の衰退が激しい。
さびしいけれど、これは昔から繰り返されてきた盛衰史のパターンの一つなのだろう。
押し寄せるやうに人並みありし日々播磨屋橋は華やぎてゐき/biko
よさこいの踊り流れてゆく街はよさこい祭りのときのみときめく/biko
帯屋町が静かになったのは感じました。
でもその中で昔からあった店を見つけると嬉しかったですね。
兄の友人の店も帯屋町にあってのですが、本店は企業団地とかに移したといっていました。帯屋町では、もう立ち行かないとかで。
帯屋町だけではありません。
大橋通も、昔は、夕方に行くと人でいっぱいだったのですが、現在は閑散としています。
大橋通には、私の友人の店があるのですが、けなげにお店に立っていますが、手持ち無沙汰の様子です。
ただ日曜市だけは、観光客のせいか、昔と変わらず活気がありました。
私はたまに帰るので、そういう変化が余計強く感じられるのかもしれません。
コメントありがとうございました。
はりまや橋付近、アーケード街の衰退が言われて久しいですね。
土電会館の時代から知っているんですが、まさかあそこがパチンコ屋さんになるとは。アーケード街も、昔からのお店はなくなり、パチンコ屋さん、ゲームセンター、100円ショップなど、昔はなかったものがにぎわっている感じですね。
和服はあまり着なくなり、既製服で十分間に合うようになり、専門店でなくてもよくなってきたと言う事でしょうか。
イオン、駐車場の心配はないし、雨が降っても濡れないで、遊んだり、食事したり、買い物もできると言うことはありますが、
私たちの年代は、食料品は地元スーパーを利用することが多いように思います。
魚の棚、たまに行きます。
じゃ、すごく近くかもしれないですね。(^^)
先日の帰省でも、最初到着した日の昼食をと高速道路を下りてすぐのイオンのレストラン街に行きましたが、私達の食べたいものはなくて、結局、華珍別館まで行きました。
イオンは、子供連れで行くのにはいいかもしれないけれど、広くて疲れるし、全国どこででも買えるようなものばかりで、私には魅力が乏しいです。
土電会館にはテアトル土電とかいう映画館もあって、私達の若い頃は賑わっていました。パチンコ屋になってしまったことを悲しんでいます。
アーケード通りもかつての華やぎがなくなりました。百均、ゲームセンターばかりでは寂しいですね。
コメントありがとうございました。
ちょっと小さかったですが。
あの辺歩いて往復しました。
「南国土佐をあとにして」
スケールの大きさがいい好きな曲です♪
はりまや橋はがっかり名所で有名です(苦笑)が、そういうふうにいっていただいて嬉しいです。
でも、高知のいいところは、新鮮なお魚、新鮮な野菜、果物です。これだけは県外の人達にも自慢ができます。
コメント、どうもありがとうございました。