私がこうして毎日記事を更新することを見て、外交的な人間を思い浮かべる人は多いと思う。
が、逆である。
一日中、だれとも喋らない日もある。夫とさえ。
ブログをはじめるまでは、世間の夫婦よりよく話をするほうだったと思う。
が、状況が変わった。
家族にとっては、私はブログを書かないほうがいいのだろう。
黙って家事にだけ勤しんでいれば問題はない。
が、それだけでは、私という人間が半分死んでいる。
一昨年だったか、一度ブログ閉鎖のご挨拶をしたことがあった。
が、やめられず、現在にいたっている。
現実の私は、それほど傲慢な人間ではないと思うが、文章を書くと傲慢になってしまうだろうか。
以前、とあるメーリングリストに参加させていただいていたころ、私のことを、「この人は文章を書くことに自負を持っているのでしょう」と憎憎しげに言い放った女性がいた。
自負???
別に自負などはないけれど、聴覚障害のため、リアルな人間関係を築けない私は、こうして文章を綴ることでしか自分を表現することができない。
私だって、人の声を聞いて会話ができたら、どれだけ楽しいだろう。
それができないから、こうして文章に綴っているのだ。
と説明しても、耳のいい人には、この気持ちはわかっていただけないだろうな。
私は、この世にパソコンというものができて、ブログという媒体ができて、救われていると思っている。
その意味では、神様に感謝の毎日だ。
もしブログなければわれは沈黙の一生(ひとよ)であつたかもしれぬ 主よ biko
繋がりがほしくて書きしメーリングリストなりしに「自負」とぞ言はる biko
自負といふ言葉は自信と同義なり自信なき吾(あ)に自負があるとや biko
が、逆である。
一日中、だれとも喋らない日もある。夫とさえ。
ブログをはじめるまでは、世間の夫婦よりよく話をするほうだったと思う。
が、状況が変わった。
家族にとっては、私はブログを書かないほうがいいのだろう。
黙って家事にだけ勤しんでいれば問題はない。
が、それだけでは、私という人間が半分死んでいる。
一昨年だったか、一度ブログ閉鎖のご挨拶をしたことがあった。
が、やめられず、現在にいたっている。
現実の私は、それほど傲慢な人間ではないと思うが、文章を書くと傲慢になってしまうだろうか。
以前、とあるメーリングリストに参加させていただいていたころ、私のことを、「この人は文章を書くことに自負を持っているのでしょう」と憎憎しげに言い放った女性がいた。
自負???
別に自負などはないけれど、聴覚障害のため、リアルな人間関係を築けない私は、こうして文章を綴ることでしか自分を表現することができない。
私だって、人の声を聞いて会話ができたら、どれだけ楽しいだろう。
それができないから、こうして文章に綴っているのだ。
と説明しても、耳のいい人には、この気持ちはわかっていただけないだろうな。
私は、この世にパソコンというものができて、ブログという媒体ができて、救われていると思っている。
その意味では、神様に感謝の毎日だ。
もしブログなければわれは沈黙の一生(ひとよ)であつたかもしれぬ 主よ biko
繋がりがほしくて書きしメーリングリストなりしに「自負」とぞ言はる biko
自負といふ言葉は自信と同義なり自信なき吾(あ)に自負があるとや biko
そんな毎日です。
主人が階下で歯科医ですので
昼食の用意もあり、外出がままならない
からです。
ブログ
楽しみましょう。
・・はなこころ
そう、私も、それもあって出られないのです。
私の夫も自営で、ワーカホリック気味の人ですから。
食事の支度だけでも縛られますが、夫は、冷蔵庫に入れておいても、出して食べるということをしない人ですから。
その上ブログもやめたら、私は息が詰まってしまいます。
私がblogを書いているのは、少しだけ違っている。自分は外出好きでお喋り。でも病気のことがあり、思うように外出できない。リタイア後は、嫁さんと話をするのみだが、どうも煩がられている。やっぱり「亭主元気で留守がいいわネ」と。blogに取り組み始めて、煩く話しかけることが無くなった。blogを書く為に、新聞を詳しく読む様になった。ネットで検索も行う様になった。note型のパソコンが、多分使い過ぎてバッテリーがあがってしまった程。認知症対策にもなるのかナ。でも毎回テーマに悩んでいますが…
身体が丈夫でないことは、ふかさんと同じです。
でも、今の時代、こういう機器があって、お互いによかったですね。
ふかさんも、ブログを書くことで、元気になってくださいね。(^^)