今朝の続きになるのだが、今朝は自分のブログの記事について書いたが、今夜は人様のブログについて。
私がブログにハマるのは、自分が記事を書く喜びもあるが、それよりももっと喜びをもたらせてくれるのは、人様のブログ記事を読ませていただくことである。
実際、どなたのブログを読んでも面白い。
商業作家の書く小説などより面白いと言ってもいいくらいだ。
なぜだろう?
それは、たぶん、真実が書かれているからだろう。
なんの儲けになるわけでもないのに書かざるをえなくて書く文章が面白くなかろうはずがない。
これは有名、無名を問わない。
むしろ、無名であるからこその面白さというものがある。
いま何の儲けにもならないと書いたが、しかし、中には儲けているブログもあるようだ。
書かれた文章に類する商品が提示されたりするブログがそうであるようだ。
こういうブログは、正直言って興ざめである。
いくら達文であっても、いや達文であるから余計に嫌らしく感じられてくる。
読んだことを後悔する。
無駄に時間を費やしてしまったと。
テレビの番組でもコマーシャルが入ると興ざめになることが多いが、テレビの場合には、番組とコマーシャルには因果関係がない。
だからまだ許せるところがあるが、ブログに挿入されるコマーシャルは、微妙にブログの記事にリンクしているところが不愉快なのだ。
せっかく楽しく読んでいたのに、あら、そうだったの?という気分である。
私を出しにして商売されていらしたのね、という気分になるのだ。
仕組みはよくわからないのだが、芸能人のブログなどは読まれることが収入につながるらしい。
そんなブログなど読みたくない。
私が読ませてもらいたいのは、無名の人の、一生懸命綴った記事である。
リッチな有名人に、その上搾取されるような真似はしたくない。
搾取というのは語弊があると思うが、ブログ収入を得るという行為にはそういうことにつながる要素を感じさせる。
*
・ブログ書きそれを稼ぎにすることのいかがはしさを厭ひてをりぬ
・金のある輩がさらに金を欲るその金づるは読者 あほらし
・金かせぐブログきたなく思ふ吾(あ)は金かせぐ記事読まず無視する
私がブログにハマるのは、自分が記事を書く喜びもあるが、それよりももっと喜びをもたらせてくれるのは、人様のブログ記事を読ませていただくことである。
実際、どなたのブログを読んでも面白い。
商業作家の書く小説などより面白いと言ってもいいくらいだ。
なぜだろう?
それは、たぶん、真実が書かれているからだろう。
なんの儲けになるわけでもないのに書かざるをえなくて書く文章が面白くなかろうはずがない。
これは有名、無名を問わない。
むしろ、無名であるからこその面白さというものがある。
いま何の儲けにもならないと書いたが、しかし、中には儲けているブログもあるようだ。
書かれた文章に類する商品が提示されたりするブログがそうであるようだ。
こういうブログは、正直言って興ざめである。
いくら達文であっても、いや達文であるから余計に嫌らしく感じられてくる。
読んだことを後悔する。
無駄に時間を費やしてしまったと。
テレビの番組でもコマーシャルが入ると興ざめになることが多いが、テレビの場合には、番組とコマーシャルには因果関係がない。
だからまだ許せるところがあるが、ブログに挿入されるコマーシャルは、微妙にブログの記事にリンクしているところが不愉快なのだ。
せっかく楽しく読んでいたのに、あら、そうだったの?という気分である。
私を出しにして商売されていらしたのね、という気分になるのだ。
仕組みはよくわからないのだが、芸能人のブログなどは読まれることが収入につながるらしい。
そんなブログなど読みたくない。
私が読ませてもらいたいのは、無名の人の、一生懸命綴った記事である。
リッチな有名人に、その上搾取されるような真似はしたくない。
搾取というのは語弊があると思うが、ブログ収入を得るという行為にはそういうことにつながる要素を感じさせる。
*
・ブログ書きそれを稼ぎにすることのいかがはしさを厭ひてをりぬ
・金のある輩がさらに金を欲るその金づるは読者 あほらし
・金かせぐブログきたなく思ふ吾(あ)は金かせぐ記事読まず無視する
スポンサー繋りのブログもですが、プロが書くコラムも何だか薄っぺらで。クリックするだけ無駄とまでは言わないが。
書けば金になる小説ではなく、金の為に書く小説では、雲泥の開きが出るのは当然ですね。ブログやコラムもまた然りですな。
これは昔、東大総長だった大河内一男氏の言った「太った豚より痩せたソクラテスになれ」にも通底すると思うのですが、パンを食べることが目的になってはいけませんね。
文章を書くという行為は、パンを得るという目的のためではなく、結果的にパンが得られることもあるということであってほしいです。
そのためには赤貧であることを覚悟する必要がある?
現実には難しいことだと思いますが、そういう人の文章をこそ読ませてもらいたいものです。