私の生れた実家の近くには新堀川という川が流れていた。
↓先日帰省したときに撮影した新堀川
現在は、ほとんどが暗渠になって、水面の見えるのは、このあたりだけになっている。
新堀という名称からお分かりいただけるように、お城の堀、それも外堀であった川だ。
この川は、大きくいえば、太平洋、その土佐に面した土佐湾から、さらに浦戸湾という湾から流れ込んできている。
逆にいえば、この新堀川から浦戸湾に出て、さらに土佐湾に出て、太平洋に出ることもできる堀川なのである。
祖父存命のころは、この新堀川に手漕ぎの舟を係留させてあった。
それで、公務員だった父の休日は、この舟を漕いで家族で浦戸湾で遊ぶこともあった。
遊ぶといっても、釣りも兼ねていた。
私達団塊の世代の生まれ育った時代は、まだ食料も十分でなかった。
だから、遊びを兼ねて、というか、実益を兼ねて、海に出たのである。
私達、兄妹は、そんな事情など知らず、浦戸湾では板切れを宛がわれて泳いだ。
まだ小学入学前のそんな幼い兄妹を両親はよく海に浮かべて遊ばせたと今になれば思う。
あるときは、潮の流れが変わって、私達がどんどん舟から遠ざかって、焦ったそうだ。
が、焦ったのは両親のほうのみで、私達は、そんな事情も知らず、にこにこ笑いながら海に浮かんでいたらしい。
もっと驚くのは、私がまだ生れる前、兄がやっと歩き始めたくらいの頃、舟から落ちて、それを父が慌てて網ですくって助けたことがあったらしい。
両親は秘密にしていたらしいが、そのやっとおしゃべりを始めた兄が、祖父に「おじいちゃん、海はこわいね」と話して事情が分かって、両親は祖父からお目玉を食らった。
祖父のふね係留されてゐたりけり新堀川とふ新ほりかわに/biko
『龍馬伝』に出てくる武市半平太の道場も、この新堀川のそばにあった。龍馬は稽古のあとに、この新堀川で水浴びをしていたという。。
↓先日帰省したときに撮影した新堀川
現在は、ほとんどが暗渠になって、水面の見えるのは、このあたりだけになっている。
新堀という名称からお分かりいただけるように、お城の堀、それも外堀であった川だ。
この川は、大きくいえば、太平洋、その土佐に面した土佐湾から、さらに浦戸湾という湾から流れ込んできている。
逆にいえば、この新堀川から浦戸湾に出て、さらに土佐湾に出て、太平洋に出ることもできる堀川なのである。
祖父存命のころは、この新堀川に手漕ぎの舟を係留させてあった。
それで、公務員だった父の休日は、この舟を漕いで家族で浦戸湾で遊ぶこともあった。
遊ぶといっても、釣りも兼ねていた。
私達団塊の世代の生まれ育った時代は、まだ食料も十分でなかった。
だから、遊びを兼ねて、というか、実益を兼ねて、海に出たのである。
私達、兄妹は、そんな事情など知らず、浦戸湾では板切れを宛がわれて泳いだ。
まだ小学入学前のそんな幼い兄妹を両親はよく海に浮かべて遊ばせたと今になれば思う。
あるときは、潮の流れが変わって、私達がどんどん舟から遠ざかって、焦ったそうだ。
が、焦ったのは両親のほうのみで、私達は、そんな事情も知らず、にこにこ笑いながら海に浮かんでいたらしい。
もっと驚くのは、私がまだ生れる前、兄がやっと歩き始めたくらいの頃、舟から落ちて、それを父が慌てて網ですくって助けたことがあったらしい。
両親は秘密にしていたらしいが、そのやっとおしゃべりを始めた兄が、祖父に「おじいちゃん、海はこわいね」と話して事情が分かって、両親は祖父からお目玉を食らった。
祖父のふね係留されてゐたりけり新堀川とふ新ほりかわに/biko
『龍馬伝』に出てくる武市半平太の道場も、この新堀川のそばにあった。龍馬は稽古のあとに、この新堀川で水浴びをしていたという。。
高知ですか。
私なにをかくそう
龍馬さんファン歴
かなり古いです。
こないだ、京都の近江屋の前で
感無量となりました。。。
実家の町そのものも、現在でこそ”はり○や町”という広い町域になりましたが、以前の町名をいえば、歴史ある町なので、すぐに実家が割れてしまいます。(笑)
コメントありがとうございました。
「龍馬」のキーワードから来て頂いたのでしょうか?
高知にはひとり友達がいます。
京都でお隣さんだったのですが、ご主人のご実家があり、帰られました。何十年も前の事です。
その方の家に2泊3日、お世話になり観光した事があります。
「新堀川」京都の堀川かと早合点してしまいました(^_^;)
私の父は子供の頃の高熱が原因で、耳と片方の目の機能が低下していました。
でも90歳まで長生きしてくれました (^。^)
また、訪問させて頂きます、これからよろしくお願い致します<m(__)m>
koichiwさんのブログでお名前を拝見して、ブログを少し読ませていただきました。
俳句を作られるそうで、私も下手の横好きで短歌を作りますので、読者登録させていただきました。
我が家は、義母が俳人だったのですが、私は、同じことはしないほうがいいと思って短歌を詠むようになりました。始めてもう17年あまりになりますが、さっぱり上達しないのは、才能がないということなのでしょうね。(苦笑)
kohさんは、文章もお上手だから、俳句の上達も早いと存じます。
京都には所属している短歌の結社がございまして、以前はちょくちょく行っておりましたが、最近はご無沙汰です。
難聴も進みまして、人と会うのが苦手になりました。
だから、パソコンが生きがいです。(笑)
それでは、どうぞよろしくお願い申し上げます。
新堀川のほとりでしたか。私の生活圏とそう遠くではないですが、狭い範囲での生活ですから、駅より南に出ることは少なく、せいぜいが日曜市、たまにかるぽーとに出かける程度です。
bikoさんが、街でいろんな経験をされている頃、私は高知の街も知らないで山奥で暮らしていました(汗)
新堀川を暗渠にするとかしないとかで、未だ工事は完成してなかったのではないでしょうか、街中でシオマネキが見られる貴重な場所だそうですね。
工事始める前に、なんとかならなかったのかと思うんですけどねえ。
風さんは、カルポートの建っている九反田には、むかし卸売り市場があったことはご存知ですよね。ずいぶん賑わっていました。
新堀川も決してきれいなばかりの川でもありませんでしたが、街の中に水が流れていることは得がたったと思います。反対運動もあったように聞いておりますが、それより道路のほうが優先されてしまいました。そうですか。まだ完成したわけではないのですね。ということは、あの木屋橋あたりが未完成、ということなのでしょうね。
私は、高知県は山が宝だと思っています。
山に囲まれているから独特の気風が育まれたように思います。いごっそうとか、はちきんとか・・・。
私も、どうやら”はちきん”のようです。(笑)
自分では、そう思っていなかったのですが、県外で暮らしていると、そう思います。(苦笑)
コメント、どうもありがとうございました。