神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

法事、結婚式に対する考え方は人それぞれ

2015年09月11日 21時42分03秒 | 私の意見
「兄の法事」の記事に対してハイジさんからコメントをいただいた。

兄の法事には行こうかどうしようか迷っていたが、ハイジさんが薦めてくださって帰省をしてよかったと思っている。

私の書き方だと兄嫁が一方的に悪いように受け取られるかもしれないが、しかし、人はそれぞれということを、このごろ強く思う。

兄の法事に対しても、私の物差しに当てはめて兄嫁を計ると兄嫁が悪いように聞こえるかもしれない。が、兄嫁には兄嫁の物差しがあるのだろう。

現代は、葬式、法事、お墓に対する考え方は過渡期なのかもしれない。

私自身、それほど仏教に対して信仰心が篤いわけではない。

子供の頃から何となく、こうしなければならないと教えられ、してきたようなところもある。

だから、ときどき疑問を抱くときもある。

最近は、そういう人が増えて、樹木葬などがもてはやされるのかもしれない。

兄嫁も葬式仏教というか、そのやり方に対しては疑問に思っているのかもしれない。

私は、亡くなった、たった一人の兄のことと、遺された母のことを思って、そうせずにはいられなくて帰省したが、兄嫁にしたら、家族だけで済ませようと思っていたのに余計なことをと内心思ったかもしれない。だから、食事の手配もしなかったかもしれない。

「十分なお供えをしたから食事を」と期待するのは、こちらのいやらしさかもしれない。(私はいやらしいから期待してしまったことを白状しておこう)

  仏教もひとつ宗教なにゆゑに人を招きてと思ひゐるにや  biko

ところで、我が家は先般の次男の結婚式を家族婚で済ませた。長女、長男もそうした。

が、兄のところは、数年前のその長男のときも昨年のその次男のときも大勢招待した。

兄嫁にすれば、我が家のやり方こそ、間違っていると思っているかもしれない。

私達は招ばなかった代わりに十分なお返しをさせてもらった。

来てもらうと、交通費、宿泊費などの出費は、こちらが負担する場合はいいが、しない場合は負担させることになる。

現に兄の長男の結婚式は北海道で挙げたから出席はしたが、お祝い以外に北海道までの旅費、ホテル代がかかった。おまけに結婚式は会費制だったから、お祝い以外に会費もかかった。可愛い甥のことだから、こんなことは別にかまわないが、それよりも、遠方なので、行くこと自体がおっくうで、欠席の返信をした。が、甥から直々に電話がかかってきて、ぜひ来てほしいと言ってきたから、出席した。

その次男の時は、われわれ夫婦だけでなく、長女、長男、次男にまで招待状が届いた。

長女だけは東京に引越す直前だったので欠席したが、われわれ夫婦に長男、次男は出席した。

それぞれの仕事のやりくりをしての出席なので、大変だった。

私達は、そんな負担をかけさせたくなくて招待しなかった。

自分達はそれがいいと思ってそうしたが、しかし、いずれが正解ということはないのかもしれない。

葬式、法事が過渡期であるのと同じように、結婚式のあり方も、今は過渡期であるかもしれない。

昔のように親戚、縁者が近くに住んでいるケースが多いなら従来のやり方でいいと思うが、現代のように皆が多忙になり、かつ遠方に住んでいるというケースが多くなれば、それに合わせた方法を模索していかなければならないのかもしれない。

麻婆茄子

2015年09月11日 12時03分42秒 | 料理
今日のお昼は冷凍庫で冷凍してあった豚ひき肉と買い置きの茄子で麻婆茄子を作りました。

これからいただきますが、母に食べさせてあげたいと思ってしまいます。

同じ高知市に住んでいたら、毎日でも届けてあげられるのに・・・。

手作りのおかずは、ついたくさん作りすぎて、夫婦2人とも食べ過ぎてしまうのです。

母に分けてあげれば、私達も食べ過ぎないでいられると思います。

昨日の今日のことですから、つい母のことを考えてしまいます。

  熱々のこの麻婆茄子も近くなら食べてもらへる故郷の母に  biko

  働きて働きてこしこの母は今が晩年こんな晩年  biko

  晩年に大事にされぬ一生であつたと思はせたくはなけれど  biko

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今ケイタイにメールが入り、宮城県大崎市というのは、同じ結社の、私もよく知っている歌人の住んでいるところなのだそう。そういえば、どこかで聞いたことのある地名だと思っていました。それを知ると、テレビを見ていても身を切られるような気がします。

日本はいったいどうしたのだろう。神様、助けてください。

兄の法事(2015-09-10 12:32:20)

2015年09月11日 10時09分48秒 | 家族
宮城県も大変なことになっていますね。

呑気にブログなど書いていていいのかと思いますが、続きをアップします。

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午前9時半にはりまや橋交差点に降り立った私は、実家に向かいました。

実家では今年初めて兄嫁が祭壇を作ったとかで、兄嫁が私に「これでええろうか?」と尋ねたのですが、私も嫁ぎ先では法事の設えをしますが、実家ではしたことがないのでよくわかりません。実家は天台宗で、嫁ぎ先は真言宗という違いもありますし・・・。

それにしても三回忌に誰も来ていないことに驚きました。父方の従妹達と会うことをちょっぴり期待していただけに・・・。

  亡き兄の三回忌へと里帰りせしが里はも様変わりして  biko

  亡くなりてまだ二年なり法事には会いたかりしと思ひゐし従姉妹ら  biko

父の時は7回忌くらいまでは、いとこ、はとこがきて、みな酒飲みですから、にぎやかなことこの上もなかったのでしたが、今年から法事をしきることになった兄嫁は東京育ちで合理的な考えの人だから「親戚は呼びませんでした」とさっぱりしたものでした。時代の趨勢もあるのでしょうか。年代の差もあるのでしょうか。兄嫁は私より5歳年下です。

父の法事は、数年前の35年祭も母が遠方いる孫達も招集して盛大に執り行いました。

最近でも本家(父の長兄)の法事は本家の2階の和室4部屋を使って盛大に執り行われました。

だから時代の趨勢だけでなく、兄嫁の考え方もあるのでしょう。私は従姉妹たちに会いたかったのでしたが、兄嫁にすれば、それは煩わしさ以外の何物でもないということは容易に想像できます。

本家のお嫁さんは私と同い年の安芸市生まれ安芸市育ちの人で、田舎育ちのせいもあって今でも高知式にするのかもしれませんが・・・。

↓兄の愛犬だった2匹が3階から降りてきて仏壇の前に鎮座したので兄嫁に叱られていました。


  愛犬も兄を偲ぶや三回忌祭壇まへの座布団に坐す  biko

お坊さんは10時に来られましたが、お坊さんは兄嫁の作ったお膳の並べ方を手直ししてから読経を始めました。お坊さんの読経の間は撮影するのは不謹慎なので、撮影を控えました。



ずいぶん長い読経でしたが、あとで母が言うのには、今年兄嫁が包んだ額は昨年母が包んだ金額の半分以下だったから来年からは読経も短くなると思うと。しかし母も今年90歳、いつまでも母が取り仕切ることはできないので、兄嫁に任せることにしたと。

  長々し読経もお布施のお陰かと聞きをり昨年までの  biko

  今年より半分以下にせしといふお布施ははのときより  biko

  兄嫁に兄嫁なりの考へはありてお布施は半分になる  biko

  半分の長さになるや減らされしお布施の多寡に応じて経は  biko

お坊さんが帰られても、まだお昼前でしたが、兄嫁が昼食のことを手配してくれている気配はないので私は帰ることにしました。母に聞くと、お勤めをしている甥の奥さんが夕方きて、皆で食事に行く予定だとか。母も連れて行ってもらえるかどうか気になりましたが、聞きそびれました。

兄が生きていれば、里帰りした私を高知市内で一番おいしい店に連れていってくれただろうに・・・。妹の私は甘えているだけでよかったのに・・・。

何もかも兄嫁の采配で執り行われるようになったから、兄嫁式に従うしかありません。

高知駅までは歩いていくことにしました。足の弱った母は歩くのに時間がかかるのですが、送ってくれました。

↓途中の江の口川です。


↓高知駅が見えてきました。建て替えて大きくなったと思っていたけれど、都会の駅と比べると小さい駅です。


↓駅に近づきました。時間が早いのと急いで帰る必要もないので、また高速バスで帰ることにしました。


↓母にお昼ご飯をご馳走しようとしましたが、食べたくないというので、私はバスの中で食べようと鯖寿司とてんぷらを買いました。

あとで聞いたら、母は脳梗塞の後遺症の嚥下障害があって、食べるのに時間がかかるから外食したくないのだとか。確かに時間はかかりますが・・・。

兄嫁は朝、昼、晩と外食をする人なので、私は母の食事のことが心配なのですが、現在のところは、お掃除にきてくれているおばちゃんが、昼、夜を作ってもってきてくれているようです。

兄嫁には、もう少し母の世話をしてほしいと思うのですが、お店を切り盛りしているから無理な相談かもしれません。でも、いざとなれば、世話してくれるだろうと私は兄嫁を信頼しています。兄嫁も悪い人ではありませんから。

甥達も、母はわがままな人であるし、甥達はお店をしているので、なかなかむずかしいとは思いますが、でも、甥達もいざとなれば、やってくれるでしょう。そう思うようにしています。2人ともいい子ですから。

母は3人いる孫息子達に不動産を残してやりたいそうです。以前は私にも分けてくれるといっていましたが、だんだん内孫達のほうが大事になってきたのでしょうね。なお亡兄の長男は北海道で公務員です。

兄嫁に言わせれば母は耄碌しているとのことですが、まだ認知症にはなっていません。昔の体力、知能でなくなったことは、もう90歳にもなった人ですから、仕方のないことと思います。

母は最近デイサービスに行くようになったとかで、そこでは食事は出るし、お風呂には入れてもらえるしで天国だそうです。義母がデイサービスに行くのを嫌がって、お迎えのくる直前に断りの電話を入れることが多かったこととは雲泥の差です。

実家の隣の本家の義伯母(父の長兄の奥さん)は今年98歳になりましたが、お嫁さんがよくできた人で、朝、昼、晩の食事を作ってもらって、よだれかけをつけて食べさせてもらっています。

母の実家の85歳になった義叔母(母の弟の奥さん)は、同じ敷地の別所帯に住んでいるお嫁さん2人が交互に食事の差し入れをしてくれるそうです。通院のときは、行きは長男の奥さんが送ってくれて、帰りは市会議員をしている従弟が迎えにきてくれるそうです。90歳の母が今でも一人で通院していることを考えると可哀相にも思えます。が、まだ、曲がりなりにも、一人で通院できる力を神様から遺してもらっていることは幸せなのかもしれません。2度も脳梗塞を起こした体であるにも関わらず・・・。

どのような老後になるかは、それまでその人が生きてきたことの集大成のようなものかもしれませんが、恵まれた老後を送っている人がいる一方、そうでもない人もいることは自分の周囲の年寄りを見ていて感じることです。

先月末帰省したばかりなのに、また兄の法事に帰省したのは一見無駄のように見えたかもしれませんが、しかし、母に会えたことだけでもよかったと思います。母にも喜んでもらえたと思います。もういつお迎えがあってもおかしくない年齢の母ですから、できるだけ帰省するようにしないとと思いながら、帰途に就きました。

  年寄りになりたるわれに老い母は大年寄りになりて長らふ  biko

土佐電鉄に乗って後免町からはりまや町まで(2015-09-10 09:06:04頃)

2015年09月11日 06時47分18秒 | 旅行
帰省中でニュースを耳にしなかったので今知ったのですが、鬼怒川が反乱して大変なことになっているんですね。

四国というか、高知県はいいお天気だったので、驚いています。

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ところで、土佐くろしお鉄道後免町駅で下車したことは前の記事で書きました。

後免町駅で土佐電鉄の路面電車に乗り換えて、はりまや橋まで行くことも書きました。

↓土佐電鉄の車内です。2両連結になっていて、ヨーロッパのどこかの国の車両のようです。


↓動いている電車から撮影するので上手く撮れていませんが、



          鹿児
      船戸      田辺島

と書かれてあるのが、かろうじて読み取れます。そう、ここらあたりは昔は海だったのでしょうね。

近くに大津という地名があることから考えても、海だったことがうかがわれます。

↓介良通、高須と書かれてあるここらあたりは現在は市街地になっていますが、私が子供の頃は田んぼでした。


↓知寄町、私達が子供の頃はここらあたりまでが市街地でした。

この停留所を降りて南進した鏡川河口近くには宮尾登美子の小説「陽暉楼」の世界が広がっていました。

↓ここは菜園場というところで下町の台所として賑わっていました。近くに九反田という卸売市場がありましたから、安価な生鮮食品が手ごろな値段で買えた町でした。

九反田の中央卸売市場の広い敷地跡は現在”かるぽーと”と名づけられた文化施設になっています。

↓はりまや橋停留所、電鉄ターミナル前です。


↓ここが名にし負う、はりまや橋交差点です。昔と比べると、人の流れも減ったし、交通量も相対的に減ったと思います。昔は、この道路が唯一のメーン道路でしたから、車が溢れていました。


私の実家は、ここから数分のところにあります。私がこの停留所に降り立った時刻は、午前9時半ごろでした。