神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

満月の孤独

2015年09月27日 18時59分17秒 | 気づき
今夜はスーパームーンの満月ということなので、外に出てお月様を見ていた。

お月様は毎日お出ましになられているのだが、こうしてわざわざ拝ませてもらうことは少ない。

大阪のマンションに暮らしているころは部屋が最上階であったことと周囲に高い建物がなかったこととで、日の出も日没も、月の出も月の入りも、よく見えた。

が、現在の川西市の家は一戸建てであることと、周囲にマンションが建っていることで、いつのまにやら太陽が出て、いつのまにやら日が沈んでいるという毎日だ。

月も同様で、いつのまにか天高く昇ってしまっているし、いつのまにか姿が消えている。

暮らしのメリハリがなくなったような気がしている。

今夜久しぶりにお月様を眺めさせていただいていると、スーパー満月で大きいといっても、天高く一人いませられるお月様は、つくづく孤独であると思わせていただく。

大勢の人々から見上げられて崇拝はされるけれども、だれにも頼ることができないし、勝手に動くことも許されない。

それと比べると、私達は寂しいといっても話し相手はいるし、話し相手がいなくても、自分の足で好きなところに行って気を紛らせることができる。

人から崇められる輝きはもっていないけれども、その代わりに、人を抱くこともできるし、抱かれることもできる。

月は、誰をも抱くことができないし、抱かれることもできないから、あんなに冷たい光を放っているのかもしれない。