宮城県も大変なことになっていますね。
呑気にブログなど書いていていいのかと思いますが、続きをアップします。
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午前9時半にはりまや橋交差点に降り立った私は、実家に向かいました。
実家では今年初めて兄嫁が祭壇を作ったとかで、兄嫁が私に「これでええろうか?」と尋ねたのですが、私も嫁ぎ先では法事の設えをしますが、実家ではしたことがないのでよくわかりません。実家は天台宗で、嫁ぎ先は真言宗という違いもありますし・・・。
それにしても三回忌に誰も来ていないことに驚きました。父方の従妹達と会うことをちょっぴり期待していただけに・・・。
亡き兄の三回忌へと里帰りせしが里はも様変わりして biko
亡くなりてまだ二年なり法事には会いたかりしと思ひゐし従姉妹ら biko
父の時は7回忌くらいまでは、いとこ、はとこがきて、みな酒飲みですから、にぎやかなことこの上もなかったのでしたが、今年から法事をしきることになった兄嫁は東京育ちで合理的な考えの人だから「親戚は呼びませんでした」とさっぱりしたものでした。時代の趨勢もあるのでしょうか。年代の差もあるのでしょうか。兄嫁は私より5歳年下です。
父の法事は、数年前の35年祭も母が遠方いる孫達も招集して盛大に執り行いました。
最近でも本家(父の長兄)の法事は本家の2階の和室4部屋を使って盛大に執り行われました。
だから時代の趨勢だけでなく、兄嫁の考え方もあるのでしょう。私は従姉妹たちに会いたかったのでしたが、兄嫁にすれば、それは煩わしさ以外の何物でもないということは容易に想像できます。
本家のお嫁さんは私と同い年の安芸市生まれ安芸市育ちの人で、田舎育ちのせいもあって今でも高知式にするのかもしれませんが・・・。
↓兄の愛犬だった2匹が3階から降りてきて仏壇の前に鎮座したので兄嫁に叱られていました。
愛犬も兄を偲ぶや三回忌祭壇まへの座布団に坐す biko
お坊さんは10時に来られましたが、お坊さんは兄嫁の作ったお膳の並べ方を手直ししてから読経を始めました。お坊さんの読経の間は撮影するのは不謹慎なので、撮影を控えました。
ずいぶん長い読経でしたが、あとで母が言うのには、今年兄嫁が包んだ額は昨年母が包んだ金額の半分以下だったから来年からは読経も短くなると思うと。しかし母も今年90歳、いつまでも母が取り仕切ることはできないので、兄嫁に任せることにしたと。
長々し読経もお布施のお陰かと聞きをり昨年までの biko
今年より半分以下にせしといふお布施ははのときより biko
兄嫁に兄嫁なりの考へはありてお布施は半分になる biko
半分の長さになるや減らされしお布施の多寡に応じて経は biko
お坊さんが帰られても、まだお昼前でしたが、兄嫁が昼食のことを手配してくれている気配はないので私は帰ることにしました。母に聞くと、お勤めをしている甥の奥さんが夕方きて、皆で食事に行く予定だとか。母も連れて行ってもらえるかどうか気になりましたが、聞きそびれました。
兄が生きていれば、里帰りした私を高知市内で一番おいしい店に連れていってくれただろうに・・・。妹の私は甘えているだけでよかったのに・・・。
何もかも兄嫁の采配で執り行われるようになったから、兄嫁式に従うしかありません。
高知駅までは歩いていくことにしました。足の弱った母は歩くのに時間がかかるのですが、送ってくれました。
↓途中の江の口川です。
↓高知駅が見えてきました。建て替えて大きくなったと思っていたけれど、都会の駅と比べると小さい駅です。
↓駅に近づきました。時間が早いのと急いで帰る必要もないので、また高速バスで帰ることにしました。
↓母にお昼ご飯をご馳走しようとしましたが、食べたくないというので、私はバスの中で食べようと鯖寿司とてんぷらを買いました。
あとで聞いたら、母は脳梗塞の後遺症の嚥下障害があって、食べるのに時間がかかるから外食したくないのだとか。確かに時間はかかりますが・・・。
兄嫁は朝、昼、晩と外食をする人なので、私は母の食事のことが心配なのですが、現在のところは、お掃除にきてくれているおばちゃんが、昼、夜を作ってもってきてくれているようです。
兄嫁には、もう少し母の世話をしてほしいと思うのですが、お店を切り盛りしているから無理な相談かもしれません。でも、いざとなれば、世話してくれるだろうと私は兄嫁を信頼しています。兄嫁も悪い人ではありませんから。
甥達も、母はわがままな人であるし、甥達はお店をしているので、なかなかむずかしいとは思いますが、でも、甥達もいざとなれば、やってくれるでしょう。そう思うようにしています。2人ともいい子ですから。
母は3人いる孫息子達に不動産を残してやりたいそうです。以前は私にも分けてくれるといっていましたが、だんだん内孫達のほうが大事になってきたのでしょうね。なお亡兄の長男は北海道で公務員です。
兄嫁に言わせれば母は耄碌しているとのことですが、まだ認知症にはなっていません。昔の体力、知能でなくなったことは、もう90歳にもなった人ですから、仕方のないことと思います。
母は最近デイサービスに行くようになったとかで、そこでは食事は出るし、お風呂には入れてもらえるしで天国だそうです。義母がデイサービスに行くのを嫌がって、お迎えのくる直前に断りの電話を入れることが多かったこととは雲泥の差です。
実家の隣の本家の義伯母(父の長兄の奥さん)は今年98歳になりましたが、お嫁さんがよくできた人で、朝、昼、晩の食事を作ってもらって、よだれかけをつけて食べさせてもらっています。
母の実家の85歳になった義叔母(母の弟の奥さん)は、同じ敷地の別所帯に住んでいるお嫁さん2人が交互に食事の差し入れをしてくれるそうです。通院のときは、行きは長男の奥さんが送ってくれて、帰りは市会議員をしている従弟が迎えにきてくれるそうです。90歳の母が今でも一人で通院していることを考えると可哀相にも思えます。が、まだ、曲がりなりにも、一人で通院できる力を神様から遺してもらっていることは幸せなのかもしれません。2度も脳梗塞を起こした体であるにも関わらず・・・。
どのような老後になるかは、それまでその人が生きてきたことの集大成のようなものかもしれませんが、恵まれた老後を送っている人がいる一方、そうでもない人もいることは自分の周囲の年寄りを見ていて感じることです。
先月末帰省したばかりなのに、また兄の法事に帰省したのは一見無駄のように見えたかもしれませんが、しかし、母に会えたことだけでもよかったと思います。母にも喜んでもらえたと思います。もういつお迎えがあってもおかしくない年齢の母ですから、できるだけ帰省するようにしないとと思いながら、帰途に就きました。
年寄りになりたるわれに老い母は大年寄りになりて長らふ biko
呑気にブログなど書いていていいのかと思いますが、続きをアップします。
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午前9時半にはりまや橋交差点に降り立った私は、実家に向かいました。
実家では今年初めて兄嫁が祭壇を作ったとかで、兄嫁が私に「これでええろうか?」と尋ねたのですが、私も嫁ぎ先では法事の設えをしますが、実家ではしたことがないのでよくわかりません。実家は天台宗で、嫁ぎ先は真言宗という違いもありますし・・・。
それにしても三回忌に誰も来ていないことに驚きました。父方の従妹達と会うことをちょっぴり期待していただけに・・・。
亡き兄の三回忌へと里帰りせしが里はも様変わりして biko
亡くなりてまだ二年なり法事には会いたかりしと思ひゐし従姉妹ら biko
父の時は7回忌くらいまでは、いとこ、はとこがきて、みな酒飲みですから、にぎやかなことこの上もなかったのでしたが、今年から法事をしきることになった兄嫁は東京育ちで合理的な考えの人だから「親戚は呼びませんでした」とさっぱりしたものでした。時代の趨勢もあるのでしょうか。年代の差もあるのでしょうか。兄嫁は私より5歳年下です。
父の法事は、数年前の35年祭も母が遠方いる孫達も招集して盛大に執り行いました。
最近でも本家(父の長兄)の法事は本家の2階の和室4部屋を使って盛大に執り行われました。
だから時代の趨勢だけでなく、兄嫁の考え方もあるのでしょう。私は従姉妹たちに会いたかったのでしたが、兄嫁にすれば、それは煩わしさ以外の何物でもないということは容易に想像できます。
本家のお嫁さんは私と同い年の安芸市生まれ安芸市育ちの人で、田舎育ちのせいもあって今でも高知式にするのかもしれませんが・・・。
↓兄の愛犬だった2匹が3階から降りてきて仏壇の前に鎮座したので兄嫁に叱られていました。
愛犬も兄を偲ぶや三回忌祭壇まへの座布団に坐す biko
お坊さんは10時に来られましたが、お坊さんは兄嫁の作ったお膳の並べ方を手直ししてから読経を始めました。お坊さんの読経の間は撮影するのは不謹慎なので、撮影を控えました。
ずいぶん長い読経でしたが、あとで母が言うのには、今年兄嫁が包んだ額は昨年母が包んだ金額の半分以下だったから来年からは読経も短くなると思うと。しかし母も今年90歳、いつまでも母が取り仕切ることはできないので、兄嫁に任せることにしたと。
長々し読経もお布施のお陰かと聞きをり昨年までの biko
今年より半分以下にせしといふお布施ははのときより biko
兄嫁に兄嫁なりの考へはありてお布施は半分になる biko
半分の長さになるや減らされしお布施の多寡に応じて経は biko
お坊さんが帰られても、まだお昼前でしたが、兄嫁が昼食のことを手配してくれている気配はないので私は帰ることにしました。母に聞くと、お勤めをしている甥の奥さんが夕方きて、皆で食事に行く予定だとか。母も連れて行ってもらえるかどうか気になりましたが、聞きそびれました。
兄が生きていれば、里帰りした私を高知市内で一番おいしい店に連れていってくれただろうに・・・。妹の私は甘えているだけでよかったのに・・・。
何もかも兄嫁の采配で執り行われるようになったから、兄嫁式に従うしかありません。
高知駅までは歩いていくことにしました。足の弱った母は歩くのに時間がかかるのですが、送ってくれました。
↓途中の江の口川です。
↓高知駅が見えてきました。建て替えて大きくなったと思っていたけれど、都会の駅と比べると小さい駅です。
↓駅に近づきました。時間が早いのと急いで帰る必要もないので、また高速バスで帰ることにしました。
↓母にお昼ご飯をご馳走しようとしましたが、食べたくないというので、私はバスの中で食べようと鯖寿司とてんぷらを買いました。
あとで聞いたら、母は脳梗塞の後遺症の嚥下障害があって、食べるのに時間がかかるから外食したくないのだとか。確かに時間はかかりますが・・・。
兄嫁は朝、昼、晩と外食をする人なので、私は母の食事のことが心配なのですが、現在のところは、お掃除にきてくれているおばちゃんが、昼、夜を作ってもってきてくれているようです。
兄嫁には、もう少し母の世話をしてほしいと思うのですが、お店を切り盛りしているから無理な相談かもしれません。でも、いざとなれば、世話してくれるだろうと私は兄嫁を信頼しています。兄嫁も悪い人ではありませんから。
甥達も、母はわがままな人であるし、甥達はお店をしているので、なかなかむずかしいとは思いますが、でも、甥達もいざとなれば、やってくれるでしょう。そう思うようにしています。2人ともいい子ですから。
母は3人いる孫息子達に不動産を残してやりたいそうです。以前は私にも分けてくれるといっていましたが、だんだん内孫達のほうが大事になってきたのでしょうね。なお亡兄の長男は北海道で公務員です。
兄嫁に言わせれば母は耄碌しているとのことですが、まだ認知症にはなっていません。昔の体力、知能でなくなったことは、もう90歳にもなった人ですから、仕方のないことと思います。
母は最近デイサービスに行くようになったとかで、そこでは食事は出るし、お風呂には入れてもらえるしで天国だそうです。義母がデイサービスに行くのを嫌がって、お迎えのくる直前に断りの電話を入れることが多かったこととは雲泥の差です。
実家の隣の本家の義伯母(父の長兄の奥さん)は今年98歳になりましたが、お嫁さんがよくできた人で、朝、昼、晩の食事を作ってもらって、よだれかけをつけて食べさせてもらっています。
母の実家の85歳になった義叔母(母の弟の奥さん)は、同じ敷地の別所帯に住んでいるお嫁さん2人が交互に食事の差し入れをしてくれるそうです。通院のときは、行きは長男の奥さんが送ってくれて、帰りは市会議員をしている従弟が迎えにきてくれるそうです。90歳の母が今でも一人で通院していることを考えると可哀相にも思えます。が、まだ、曲がりなりにも、一人で通院できる力を神様から遺してもらっていることは幸せなのかもしれません。2度も脳梗塞を起こした体であるにも関わらず・・・。
どのような老後になるかは、それまでその人が生きてきたことの集大成のようなものかもしれませんが、恵まれた老後を送っている人がいる一方、そうでもない人もいることは自分の周囲の年寄りを見ていて感じることです。
先月末帰省したばかりなのに、また兄の法事に帰省したのは一見無駄のように見えたかもしれませんが、しかし、母に会えたことだけでもよかったと思います。母にも喜んでもらえたと思います。もういつお迎えがあってもおかしくない年齢の母ですから、できるだけ帰省するようにしないとと思いながら、帰途に就きました。
年寄りになりたるわれに老い母は大年寄りになりて長らふ biko
実家の隣はブログにも書いたように、父の長兄の家なのですが、今でも盛大に法事をします。私達も招かれていきます。
今回の実家のやり方は、あまりといえばあまりと思いましたが、今までの兄嫁のやり方からすれば、想像できたことでした。
今までの父の法事のときも、遠方から帰省した私達家族が準備して、終わった後の片付けも全て本来は客であるべき私達がしていましたから。
兄嫁は法事のあと飲食したら子供達と一緒にさっと3階に上がってしまうので、最初は驚きましたが、それを指摘すると、私は小姑なので角が立つと思って言わずにきました。
兄嫁が食事を作らなくなったのは、食道楽だった兄が結婚当初に兄嫁の料理をけなしたことが発端のようです。だから、兄にも責任の一端はあるのですが、死んだ人に文句を言っても仕方ないですね。
母も、そういうふうにされる運命だったのでしょう。
でも、どんな人でも悪いばかりの人はいないように、兄嫁には兄嫁のよさもあります。マイペースを通す人ですが、人の悪口は言いません。現在は水泳に凝っていて、夜間、店を閉めたあと、毎日スイミングに行っているそうです。高知県下のシニアクラスで優勝したというから、大したものだと思います。結婚した当初は弱弱しい感じの人だったのですが、たくましくなってくれたのは有り難いかも。私のように大病ばかりして、家族に迷惑をかけるのも、ね。(笑)
ハイジさんは気にされていますが、私は、ハイジさんの助言のお陰で今回帰省できてよかったと思っています。やはり母のためには、もっと帰省するべきだと反省しました。
コメント、どうもありがとうございました。