静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

【書評 147-1】  自 壊 す る 帝 国      佐藤 優     新潮文庫   2009年11月 刊 

2022-01-26 08:58:12 | 書評
 本書は『国家の罠』(2008年11月刊)の1年後に出版されたもので、著者の2作目にあたる。佐藤氏は2002年2月、外務省国際情報局分析第一課・主任分析官から外交史料館課長補佐に左遷され、
同年5月、東京地検特捜部に「背任」容疑で逮捕・収監された。同書は、その経緯・顛末を佐藤氏が出獄後に綴ったものである。
 ゴルバチョフの始めた≪ペレストロイカ(開放)≫でソ連の衰退が進み、91年12月末のソ連解体後における更なる混迷が進んでいた。<Soviet Resolved !>と特大の黒字見出しが紙面トップを覆った
新聞を92年冬休み明け、日本でいう1992年元旦の翌日、テネシー工場の社食でアメリカ人従業員と共に目にした時の驚きを今も忘れない。

この裁判の舞台は佐藤氏が日本に帰任した1995年の後である。「北方領土返還」要求をめぐる日ソ交渉に関し、鈴木宗男議員と佐藤氏が情報収集及び工作活動していたさなか、小泉元首相の起用した
田中真紀子外相と鈴木宗男議員との確執を利用し、外務省における鈴木議員の影響力排除を望んだ外務省幹部に巻き込まれ背任罪を負わされた下級官吏(=佐藤氏)の主張を背景としたものだ。
・・裁判は2009年6月30日・最高裁が佐藤氏の上告を棄却し結審した。佐藤氏が背任の罪を問われた経費支出申請書を決裁した当時の国際条約局長は罪を問われず、北方4島への発電設備投資をめぐり、
  商社選定基準にもれた某商社の排除をルール通り承諾した鈴木議員は「公的圧力」をかけたとされ、服役した・・。

 『国家の罠』のタイトルが物語る通り<国家権力・国家組織は個人をどのように陥れ、刑罰の罠に陥れるのか>をつぶさに描いた秀作であり、たびたび繰り返される(冤罪)の創られ方を示す格好の
事例でもある。『自壊する帝国』をどう読み・評価する為にも、佐藤氏がどういう人物で何をしてきたのかを知る必要はあるので、其の面からも『国家の罠』は一読をお薦めしたい。
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 本書で佐藤氏は在モスクワ日本大使館勤務中<1987-1995>に目撃したソ連解体に至るプロセス及び解体後の混乱期前半を、様々な情報収集活動の描写で展開する。此の8年弱は、ゴルバチョフから
エリツィンに権力が移行する際の内乱一歩手前の騒擾、そして其の後も続いた大混乱期だ。大統領制採用と国会の改組が招いた統治の二重構造。そして共産党組織におけるソ連とロシアの分離・分断。
それと連動した旧ソ連構成諸国の離反と独立への闘いの8年でもあるが、著者は単なる現場ルポに留まらず、国家の解体には”権力闘争”の一言では括れない大きなテーマが潜んでいる事を明らかにする。

 【”権力闘争”の一言では括れない大きなテーマ】? それは「イデオロギー」の衣をまとう〇〇主義、「ヒューマニズム・博愛」の衣をまとうXX教、此の二つを貫く「民族の誇り」ナショナリズムが
国家統治において絡み合い影響を及ぼしあう姿であり、単純な権力闘争の裏に在る、いわば人間の「業(ごう」を指していると私は感じた。

 ソ連の大地においてそれらの要素は≪マルクス・レーニン主義≫≪ロシア正教≫とロシアンナショナリズムだった。ソ連崩壊後、≪マルクス・レーニン主義≫は消えたが他の二つはロシアに残る。
西欧では≪議会制民主主義≫≪カソリック&プロテスタント vs ユダヤ教≫。イスラム世界では≪イスラム原理主義 vs 西欧式議会主義≫≪イスラム教≫になる。 
現在の日本は≪議会制民主主義≫≪神道≫となる。 では≪議会制民主主義≫は採らず、西洋概念で言う宗教をもたぬ中国は? 

佐藤氏はソ連解体のプロセス中にロシアの政治家や知識人が追い求めた自己正当性の理論づけにみられる”二つの潮流”を見事に表現している。一つは、ソ連の失敗をレーニンに帰し、ロシア正教の説く
(人と神)&(救済観)を新しい国家統治イデオロギーに取り込む試みだ。「レーニンはマルクス主義を正しく受け継いでいない異端者であり、地上に社会革命を起こす事で人は神になれる」という。
つまり「人から神へ」ベクトルがある。他方、カソリック&プロテスタント vs ユダヤ教では「神が地上に下りてきて人を導く」方向にベクトルはある。
 もう一つは、ロシア正教の取り込みを迂回した社会民主主義的統治への模索であった。エリツィンの後を継いだプーチンが選んだのはロシア正教取り込み路線による強権的統治で、今に至る。

10世紀末、西欧のキリスト教主流ではないロシア正教を選択したのは、佐藤氏によれば、進んだ西欧文明に吸収されまいとするナショナリズムの発露だった。それは19世紀まで続き、20世紀になってからのボルシェヴィキ革命となる。其の潮流はプーチン政権でも受け継がれており、反欧米ナショナリズムと一体になった宗教が新しいロシアの国家統治基盤となった。アメリカと同様、プーチンの大統領就任・宣誓式はロシア正教の司祭が行っている。日本の総理大臣が神道の頂点に立つ天皇から親任を受けるスタイル、これまた同じだ。

 国家宗教を持たぬ中国は、ナショナリズムしか柱が無い。ソ連の失敗を研究し、それに気づいた習近平は毛沢東神格化にあやかり、別の柱を築こうとしているのではないか?   < つづく >
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