静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

書評【115】 1/2   澄 江 堂 雑 記    芥川龍之介 著       2014年12月  青空文庫POD 発行     

2020-12-20 14:22:43 | 書評
 本書は書評【114】で取り上げた<ルネサンスとは何だったのか>の最後で塩野七生氏が引用しており、気になり取り寄せたものだ。 ご存知の方ばかりではあるまいから、ひとまず説明を。
* 『青空文庫POD』・・インターネット上の図書館(青空文庫)が著作権満了の作品をプリント・オン・デマンド<POD>により印刷製本したもの。(株)インプレスR&D。
            同社によれば原稿の入力&印刷は”ボランティアの皆さん”の手で行われた、とある。 時代が変わったな、としみじみ感じた次第。
* 澄江堂(ちょうこうどう)・・芥川が使った数多くの雅号/ペンネームの一つで、≪澄江≫は、住居に近い隅田川をもじったらしい、と立命館大学「日本文学会・研究余禄」第11号付録(1959年)に
                森本修氏が【芥川龍之介の別名研究】と題して寄稿した文による。興味をもたれる方は当たられたい。
    
「奥つき」に、この編集は<芥川龍之介全集第四巻>(筑摩書房)を底本にしたとあり、1~32に分けられている。岩波書店からも全集は出ているらしいが、私は両方とも未だ当たって居ない。
従い、他にも澄江堂の名で「~雑記」に収められた文章が有るのかも知らないが、とりあえずは私が目を通した32編から、印象に残った事を記したい。。

★ まず32編を敢えて分類すれば、次のようになる。(A) 言葉の解釈/用法の変遷に関して  (B) 文明/時代批評  (C) 作家としての表現論/芸術論
(A) 22、23、27の三編で、如何にも作家らしいセンスを光らせ、用法の変化について述べている。 
* #22 ; 蕪村の俳句【負けまじき 相撲を寝もの がたりかな】が題材だ。「負けまじき」を(明日の相撲は負けてはならぬ)と解釈するか(今日は負けてはならぬ相撲を負けてしまった!)と
   解釈するか? 即ち{未来 vs 過去どちらの想いで蕪村は用いたのか?}を巡り、前者とする高浜虚子/河東碧梧桐に対し、蕪村は過去を振り返る気持ちゆえに「寝物語かな」と間延びした
   詠嘆の止めを下句に充てた、と芥川は後者の解釈を主張している。 要は、緊張に溢れる勝負前夜の気分を「寝物語かな」と間延びした表現で〆ることなどあるまい、というのである。
   正岡子規&内藤鳴雪の両氏も過去と解釈してるではないか、と最後に援用している。 それにしても、反駁は理路整然としており、頭脳明晰さを覗わせるではないか。

* "#23&27; 副詞【とても】は、芥川の理解では「とてもかなわない」「とても纏まらない」など、否定の文脈で用いられる言葉だったのに、「とても安い」「とても寒い」と肯定の文脈に
  <数年前から使われるようになった>という。 <東京の言葉になりだした>との言い回しが、江戸に興味と畏敬を抱き続けた芥川龍之介らしい。
   また「~雑記」は大正7~13 年の間の著述を集めたとされるが、それが正しいなら明治の終り頃から用法の転換が起きたことになる。明治25年生まれの芥川が青年にさしかかる辺りだ。
   【秋風や とても (芒)すすきは 動くはず】三河 子尹(しいん)作。これは、元禄4(1692)年上梓の句集「猿蓑」に収められた句。肯定文脈での使い方は三河方言か?と芥川(#23)。
   ところが【市雛や とても数ある 顔貌(かたち)】化羊 ・・と言う句を「続・春夏秋冬」なる句集に見つけ<明治の化羊とは何国の人であらうか?>と首を捻っている(#27)。

 用法の変遷は現代に限らず江戸の昔からあったことが芥川の遺した文からもよく解るし、時間の経過と相まって不可避な事象であるが、それは昨今の識者が嘆く≪文法軽視、曖昧表現多用、語形単略≫
とは問題の本質と文化への影響が全然違う。 それを我々は改めて真剣に考える必要があろう。                                   < つづく >
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