次の朝、釧路から西へ南千歳乗り換えで白老へ。ここは昨年5月一人旅で訪れている。本ブログ【旅行】≪ 北 日 本 の 旅 ≫ 1~3:北海道白老町:『アイヌ民族共生象徴空間』ウポポイ。
アイヌ民族の風習や死生観・文化については昨年述べているので今回は割愛する。交流ホールでは民族舞踊を演じており二人で耳を傾けた。前回は「ウポポイ(唄の集まり)」と題していた歌唱が中心だったが、今回は踊りが中心の公演。前回同様、阿寒コタンからの演者と紹介したが、男女ともメンバーが替わっており、年齢が若返ってみえた。小学生くらいの男児が上手に踊っていたのには家内と共にビックり。年配の女性二人と男性ひとりは容貌が明確にアイヌ出自であり、他の若い女性たちもよく見つめれば同じ印象。歌声は昨年感じたのと同様、輪唱あり和声ありで迫力があった。
左から二つ目の写真は「トンコリ」と呼ぶ5弦の撥弦楽器。女性3人による演奏の動画を聴いたが、音色は太棹三味線の音域を豊かにした印象を受けた。爪弾きながらゆっくりなテンポで歌う。
ゆっくりとはいえ、和人の奏でる長唄のスピードほど遅くは無い。
今回気づいたのは、国立民族博物館(左写真)内の展示と説明が全化とは見違えるほど丁寧で充実していたこと。説明プレートも増えたし、何よりも驚いたのが明治以降のアイヌ民族への差別の歴史に
触れた展示が設けられた点だ。下段の写真は森竹竹市という和名を名乗った男性が昭和41(1966)年、シャモ(=和人・ヤマト)との融合を願う思いを綴った手紙である。此のコーナーの他にも俳優の
宇梶剛士が主宰する劇団活動の紹介コーナーがある。旧部落民や朝鮮系の在住者へ今も向けられる差別問題の取り上げ方と比べ、果たしてバランスが取れていると言えるのか?
比較するに十分な知識はもちあわせないが、私は直観的な疑問を感じながら博物館を後にした。
翌日、小樽の街を散策。観光客の数が予想以上に多く、日本人よりも外国人が勝る印象であった。ガラス製品に因む店が多い。旧寿原邸を覗くが豪商という割には質素な邸宅だった。 < 了 >
アイヌ民族の風習や死生観・文化については昨年述べているので今回は割愛する。交流ホールでは民族舞踊を演じており二人で耳を傾けた。前回は「ウポポイ(唄の集まり)」と題していた歌唱が中心だったが、今回は踊りが中心の公演。前回同様、阿寒コタンからの演者と紹介したが、男女ともメンバーが替わっており、年齢が若返ってみえた。小学生くらいの男児が上手に踊っていたのには家内と共にビックり。年配の女性二人と男性ひとりは容貌が明確にアイヌ出自であり、他の若い女性たちもよく見つめれば同じ印象。歌声は昨年感じたのと同様、輪唱あり和声ありで迫力があった。
左から二つ目の写真は「トンコリ」と呼ぶ5弦の撥弦楽器。女性3人による演奏の動画を聴いたが、音色は太棹三味線の音域を豊かにした印象を受けた。爪弾きながらゆっくりなテンポで歌う。
ゆっくりとはいえ、和人の奏でる長唄のスピードほど遅くは無い。
今回気づいたのは、国立民族博物館(左写真)内の展示と説明が全化とは見違えるほど丁寧で充実していたこと。説明プレートも増えたし、何よりも驚いたのが明治以降のアイヌ民族への差別の歴史に
触れた展示が設けられた点だ。下段の写真は森竹竹市という和名を名乗った男性が昭和41(1966)年、シャモ(=和人・ヤマト)との融合を願う思いを綴った手紙である。此のコーナーの他にも俳優の
宇梶剛士が主宰する劇団活動の紹介コーナーがある。旧部落民や朝鮮系の在住者へ今も向けられる差別問題の取り上げ方と比べ、果たしてバランスが取れていると言えるのか?
比較するに十分な知識はもちあわせないが、私は直観的な疑問を感じながら博物館を後にした。
翌日、小樽の街を散策。観光客の数が予想以上に多く、日本人よりも外国人が勝る印象であった。ガラス製品に因む店が多い。旧寿原邸を覗くが豪商という割には質素な邸宅だった。 < 了 >
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