★【欧州の仏教研究批判と著者の提言】 著者は現代の欧州における仏教研究を次の2点から批判する。
* 第1は、総合的信仰体系概念として「仏教」を創ったのはヨーロッパ人だという主張への批判だ。然し、それはチベット、中国文化圏、東南アジア圏どこでも仏教概念は<仏(ブッダ)の教え>を
意味する言葉として、言語は違えど存在してきた事実からして誤っていると著者は言う。
* 第2は、仏教経典の学術的翻訳において欧州が重要な役割を果たしているとの主張について。【仏教伝播とアジアの言語】及び【欧米への仏教伝播】で著者が説く通り、チベットや中国が果たしてきた
経典翻訳はヨーロッパ人の取り組みより遥かに古く、これまた誤りだと指摘する。
⇒ 欧州の学会でこのような誤った主張がなされているとは驚きである。背後に” 目に見えないキリスト教の刷り込み ”があるというべきなのか不明だが。。。
著者は研究者に向け、提言として仏教研究の望ましいアプローチを最後に記している。 【1】Humanist ユマニスト的アプローチ 【2】実践的アプローチ
【1】は、仏教圏諸国の言語を学び、文献を通覧したうえで、宗教史・哲学史・人類学にまたがる鳥瞰的アプローチ。 これは著者自身が歩んだ道であり、これを推奨している。
【2】は、堅固な伝統に基づいた教団と接触し、実際にその文化圏で長く滞在し、仏教に触れるアプローチ。
欲を言うならば、【1】【2】どちらも実践すれば鬼に金棒だろう。
☆ 最後に、訳者の今枝氏が「あとがき」で述べている大事なポイントを紹介して、本コラムを閉じる。
(1) 仏教を他の世界宗教と比較するとき、最大の特徴は教義の多様性であり「仏教はある地域・ある時代・ある宗派の枠の中でしか語ることも学習もできない」という著者の言葉を引いている。
(2) 小乗系では教義も仏典もまとまっているのに対し、大乗系では翻訳時の言語差異&時代的バラツキのため原典の一部だけを「偏食」することになり、相互に共通性をもたない。
とりわけ東海に浮かぶ孤島の日本では、中国以上に「偏食」が昂じて教義が難解になり、宗派の乱立で大衆の真の理解や信仰心を離れた<葬式仏教>化してしまった。
これを今枝氏は≪日本仏教のガラパゴス化≫即ち≪ガラ仏≫と呼ぶ。 ← 此の解析は実に当を得ており、的確だ。
今枝氏は、日本の仏教徒は日本仏教各宗派の多様性と特異性を客観的に認識せよと説いている。 < 了 >
* 第1は、総合的信仰体系概念として「仏教」を創ったのはヨーロッパ人だという主張への批判だ。然し、それはチベット、中国文化圏、東南アジア圏どこでも仏教概念は<仏(ブッダ)の教え>を
意味する言葉として、言語は違えど存在してきた事実からして誤っていると著者は言う。
* 第2は、仏教経典の学術的翻訳において欧州が重要な役割を果たしているとの主張について。【仏教伝播とアジアの言語】及び【欧米への仏教伝播】で著者が説く通り、チベットや中国が果たしてきた
経典翻訳はヨーロッパ人の取り組みより遥かに古く、これまた誤りだと指摘する。
⇒ 欧州の学会でこのような誤った主張がなされているとは驚きである。背後に” 目に見えないキリスト教の刷り込み ”があるというべきなのか不明だが。。。
著者は研究者に向け、提言として仏教研究の望ましいアプローチを最後に記している。 【1】Humanist ユマニスト的アプローチ 【2】実践的アプローチ
【1】は、仏教圏諸国の言語を学び、文献を通覧したうえで、宗教史・哲学史・人類学にまたがる鳥瞰的アプローチ。 これは著者自身が歩んだ道であり、これを推奨している。
【2】は、堅固な伝統に基づいた教団と接触し、実際にその文化圏で長く滞在し、仏教に触れるアプローチ。
欲を言うならば、【1】【2】どちらも実践すれば鬼に金棒だろう。
☆ 最後に、訳者の今枝氏が「あとがき」で述べている大事なポイントを紹介して、本コラムを閉じる。
(1) 仏教を他の世界宗教と比較するとき、最大の特徴は教義の多様性であり「仏教はある地域・ある時代・ある宗派の枠の中でしか語ることも学習もできない」という著者の言葉を引いている。
(2) 小乗系では教義も仏典もまとまっているのに対し、大乗系では翻訳時の言語差異&時代的バラツキのため原典の一部だけを「偏食」することになり、相互に共通性をもたない。
とりわけ東海に浮かぶ孤島の日本では、中国以上に「偏食」が昂じて教義が難解になり、宗派の乱立で大衆の真の理解や信仰心を離れた<葬式仏教>化してしまった。
これを今枝氏は≪日本仏教のガラパゴス化≫即ち≪ガラ仏≫と呼ぶ。 ← 此の解析は実に当を得ており、的確だ。
今枝氏は、日本の仏教徒は日本仏教各宗派の多様性と特異性を客観的に認識せよと説いている。 < 了 >