自遊空間、 ぶらぶら歩き。

日々見たこと、聞いたこと、読んだこと、考えたこと

冬の散歩道でも・・・

2006-01-10 | 花・木・実・いきもの・自然
私の住む地域にある池は人工で、しかもその池の水は生活廃水を特殊処理したものなのです。だから、ここに生き物が棲み、水辺の植物が育っているのがなんだかうれしいのです。

アオサギカモ


コサギ


アオサギ


ナノハナ



スイセン
清楚でしょう。


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主婦の洗濯ならぬ選択

2006-01-10 | 食べもの・飲みもの
4・5日前のことです。
友人と近くのホテルのロビーで待ち合わせました。
ついこの間まで、クリスマスツリーがあった場所に、
どど~んと、小原流の生花というか、オブジェというか・・・。

これを見るだけでも価値がありますが、目的はリニューアルオープンしたレストランか少し前にできた惣菜売り場のイートインでランチしようという計画でした。


入口前のメニューをチェック。ランチは高くはないけれど、(ここの場合)これに税・サがつくんだよね、と腰が引けます。

結局、ホテルのすぐそばのお店の1000円バイキングになりました。
個々の料理の味は悪くありません。キスの天ぷらなんて、何枚でも食べられそうです(2枚だけにしたけど・・・)。

水ギョーザに、小ぶりのラーメンもいい味です。もちろんフルーツ、ドリンク付きです。
今年も安いものに走る、主婦根性健在でした。



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沖縄で出あったいきものたち

2006-01-09 | 花・木・実・いきもの・自然
いきものに出あうとついついかまってしまいます。

カミキリムシの仲間だとは思うのですが・・・。


ネコウサギ
一緒にいたわけではありません。


OOOOO・・・
お・お・お腹がすいた。なんかちょうだい!
池のコイ


バンアヒル
あとは何かなぁ。


オオゴマダラ


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沖縄の旅 Ⅷ いとまんピースフルイルミネーション

2006-01-09 | 沖 縄
那覇での宿はパシフィックホテル沖縄です。
国際通りからは少し離れています。朝食にお雑煮がいただけました。


平和祈念公園の近くの糸満観光農園で、
130万県民「平和の光」いとまんピースフルイルミネーションというイベントが開かれていました。ちょうど祈念公園を出るのが夕方だったので寄ってみることにしました。


今年で7回目、年末から年始まで60万個の光が点ります。
観光客にもだいぶPRされていましたが、地元の人が多く集まっているようにみえました。


農業公園内のレストランPALでのディナーショーに合わせて食事をとりました。

この日の出演者は25歳の沖縄民謡歌手、上原じゅんさん。
思いがけず沖縄の歌が聞けました。


何を食べながら見たかというと、日替わり定食。

ソーキそばに、太巻きの天ぷら、ケーキ、フルーツにジンジャエールという内容でした。太巻きの天ぷらは初めての経験です。しっかり酢のきいたご飯で、具はキャベツのマヨネーズあえ。このキッチュな組み合わせをけっこう楽しみました。


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沖縄の旅 Ⅶ 本島南部

2006-01-08 | 沖 縄
旧海軍司令部壕をかわきりに本島南部をまわりました。

ひめゆりの塔
沖縄師範学校女子部、沖縄県立第一高等女学校の生徒と教師が看護部隊として編成されほぼ全滅しています。
資料によってその数は異なりますが、平和祈念資料館の一室には200人を超える遺影が掲げられています。


具志川城跡
本島最南端の喜屋武にあり、三方を海に囲まれた絶壁の上に建つグスク跡です。
2012年の完成を目指して整備中です。


喜屋武岬
平和之塔が建つあたりから荒崎方向を見たところです。
砲撃で逃げ場を失った人たちが追い詰められてここから身を投げたと言われています。


平和の礎
平和祈念資料館と平和の礎です。平和の礎には国籍、軍人、非軍人を問わず沖縄戦で亡くなった人、沖縄県民であれば県外で亡くなった人、約24万人の氏名が刻まれています。

植えられている木はモモタマナ。沖縄にはめずらしく紅葉する木です。



平和の火
米軍が沖縄に初上陸した座間味村阿嘉島で採った火と広島の平和の灯、長崎の誓いの火を合わせた火を灯しています。


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沖縄の旅 Ⅵ 旧海軍司令部壕

2006-01-08 | 沖 縄
ぬくぬくと、穏やかな沖縄の空気にひたっていましたが、
今回の旅で、一番印象に残ったのはこの場所でした。

約4000人の兵士が自決、あるいは戦死した地下壕です。
幕僚室には幕僚が手榴弾で自決した時の破片のあとが当時のまま残っています。


司令官だった大田 實海軍少将が海軍次官に宛てた電文です。


沖縄県民はこのように戦いました

昭和二十年六月六日二十時十六分発

次の電文を海軍次官にお知らせ下さるよう、取り計らって下さい。

沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告されるべきですが、県にはすでに通信する力はなく、三二軍(沖縄守備軍)司令部もまた通信する力がないと認められますので、私は県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過ごすことができないので、代わって緊急にお知らせいたします。

沖縄に敵の攻撃が始まって以来、陸海軍とも防衛のための戦闘にあけくれ、県民に関してはほとんどかえりみる余裕もありませんでした。しかし、私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためにかりだされ、残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで、軍の作戦の支障にならない場所の小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でさまよい、雨風にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。

しかも、若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊事婦はもとより、砲弾運びや切り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。
敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が生き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。

看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵がすでに出発してしまい、身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。
このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。
さらに、軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定された時、輸送力のない者は、夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。

これらをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられ、ご奉公をするのだという一念を胸に抱きながら、ついに(次の部分不明)報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。

沖縄の実情は言葉では形容のしようもありません。
一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も六月一杯を支えるだけということです。

沖縄県民はこのように戦いました。

県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。

 
(この電文は原文を現代文に直したものです)


どんな説明も不要でしょう。


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沖縄の旅 Ⅴ ナゴパラダイス

2006-01-07 | 沖 縄
ビーチでいつまでも海を見ていたかったけれどキリがありません。本島中部へ移動です。
大晦日に出会った3人組が以前見ておもしろかったという闘牛に行ってみようかと、コンシェルジェさんから情報を得て、今帰仁村へ向かいました。


だいぶ走ったところで、カウンターにウエストポーチを忘れたことに気がつきました。大あわてでもどったことで、闘牛には間に合いません(それでよかったよーな)。

変更した行き先はナゴパラダイスです。


ナゴパラダイスのうたい文句は、花と香りのリゾートです。
この時季、花とハーブは少なかったのですが、亜熱帯の木々はもりもりと茂っています。

アレカヤシという、竹のような節のある幹をしたヤシの林です。


園内のサミットの見える丘から見える部瀬名岬のザ・ブセナテラスリゾート。なかなか予約がとれません。


パンノキの葉っぱの大きいこと。

娘をアパートでおろすところで、ないと気がついたのが、荷物を足してから宅配にしようと別にしていた荷物1個。コテージからフロントまで乗ったマイクロバスの中に置き忘れたようです。
すぐ連絡をとったら、ホテル側にも手落ちがあったからと送料負担で送ってくれることになりました。ふーっ。


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お吹き初め

2006-01-07 | 日常・身の回り
お吹きめ初めをしてきました。

私が習っている先生は音校で専門教育を受けていたり、中学の吹奏楽部から始めて、間を空けながらも、ずっと続けているような生徒さんが多いので、40歳で始めた私はいつまで経っても番付けが下です。もちろん序列があるという意味ではありませんよ。

それに甘えて、練習しないし、下手でいいやと思ってしまう根性が我ながら情けないです。


新年会で広げられたお菓子の中に、韓国土産のとうがらしチョコがありました。それが、私の口に意外と合いましたv(^-'*)♪


さんちかの門松はリラックマです。背中を畳まれていました^^。

お正月気分もそろそろおしまいですね。


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沖縄の旅 Ⅳ 味わえました。お正月気分

2006-01-06 | 沖 縄
1月1日は天気が回復しました。

ホテルのロビーには大晦日の夜9時過ぎから
お正月の飾りつけが始まって、朝にはすっかり整っていました。


朝食のバイキングにはお節も用意されていました。


ビーチでは鏡開きにお餅つき。つきたてのお餅のおいしかったこと。

きなこと大根おろし、どっちか一つの味にすればよかったかしら。
実はあとで、アンコもいただきましたo(〃^▽^〃)o♪。


琉球舞踊も見ることができました。


あたたかなお正月です。


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沖縄の旅 Ⅲ ヒロ コーヒー ファーム

2006-01-06 | 沖 縄
12月31日は雨になりました。

オクマの朝食ヴァイキングは充実しています。
ご飯を長命草米にしてみました。長命草(サクナ)という、セリ科の葉野菜をまぜ込んで炊いたご飯です。

雨でも北部を回ってみようと出発しました。



沖縄本島最北端の辺戸岬で車を降りた以外は海を左に見ながら、ひたすら走り続けるだけです。晴れていたら、どんなにかきれいな海だったでしょう。東村の高江でHIRO COFFEE FARMという看板を見つけました。ナイチャーの沖縄移住のシンボルのような足立 宏さんのコーヒー園とお店です。

新年のカウントダウンを地元の人と迎えようと、閉店している時間帯でしたが、先客がいるからとお店に入れてくれました。

先客というのが写真のこの3人です。川崎から来た28歳の青年たちで、3年連続して沖縄で新年を迎えるそうです。ブログにどうぞ顔をさらしてくださいというので、載せましたからねーっ。

中の1人がCoyoteの編集者ということなので旅も仕事のうちなのかもしれません。ここのアドレスは教えていないので、ドブログ、ヒロ・コーヒー・ファーム、Coyoteでヒットしてくる?かな?


もともとこのお店は大阪十三出身の男性が経営していることを、夫がテレビで観たことを覚えていたのですが、なんと足立さんは夫の小学校の先輩だったことが分りました。奇縁です。

純国産のコーヒー豆と栽培用の種子を買って帰りました。左は足立さんのお嬢さんが作るコーヒーゼリーです。



東村から大宜味村側に本島を横断するとき、宮里 藍ちゃん効果で財政豊かな東村役場に寄ってみました。大変立派な建物です。お手洗いを拝借してきました。

4日後に藍ちゃんはここで成人式の取材を受けていました。

写真の空にあるのは月ではありません。カメラのレンズについた雨粒です。


夕食はオーストラリアビーフとオリオンビールです。

紅白歌合戦の後半を観て、新年をビーチで迎えました。雨は上がっていて、打ち上げ花火が見られました。


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