4月16日から3泊4日で、中国は大連を旅してきました。
いよいよ大連旅日記の最終ページです。
空港に向かうまでの時間を、私はホテルのあるブロックをぶらぶら歩きました。
(オットは路面電車に乗って大連満鉄旧跡陳列館へ行きました)
銀行は何軒か郵便局も見かけました。
これこれ、枯れ木に極薄のポリ袋が引っかかっているのが至るところに見られました。
路上もキレイとはいえません。
かわいいカフェです。
どんなメニューがあるのか、時間があれば入ってみたかった。
街角のモモの花(か?)がきれいでした。
路面電車の停留所にプラットホームがなかったりして、乗り降りは命がけ。
ひきかえ、バス停はととのっていました。
バスは大部分がラッピングバスでした。
うっすらと横断歩道はあっても、歩行者用の信号があるのはごく一部です。
横断歩道じゃないところを渡る人が多いので、よそ者ながら、事故を心配してしまいます。
クラクションがうるさく鳴り響く街です。
帰国前日、大連駅近くの地下街でタコ焼き(章魚小丸子)やゼリー入りココナツミルクをいただきました。若い店員さんでもあまり英語が通じませんでした。
大連初日に見かけたワンコです。
生活が豊かになって、ペットを飼っている人が増えたそうです。
林の中に目立ったのがカササギの巣。
ヒヨドリぐらいの大きさで、黒と白の美しい鳥です。
日本と大連の時差は1時間。
飛行時間は2時間半で、機内食が出ました。
大したものは買ってこなかったお土産。
数珠もすぐ止まる懐中時計もどちらかと言えば買わされちゃったもの。
私は元への両替もせず、支払いはオットまかせ、お金を使わない^^旅でした。
大連はホコリっぽい街でした。
広大な中国の赤ちゃんの小指の先のような遼東半島のさらに爪先のような大連に3日いただけで言えることではないかもしれませんが、この国は一足飛びにアメリカになっちゃったなーと感じました。
競う必要はありません。まったく別の日本人らしい道を歩けばいいんだと、妙に安心したのでした。
阪神・淡路大震災の復興の経緯は、私が住んでいる地域は地震当日の夕方に電気が復旧したのを覚えている以外、記憶があいまいです。
ブログを更新するときに、東日本大震災関連の記録を残しておくことにしました。
4月29日(金)
東北新幹線、全線再開
松島の観光船再開
東北楽天、本拠地仙台開幕戦、田中マー君完投勝利