010.5/24 744回
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(2)
このような堪え難い日々の中で、八の宮はお心の内で、
「見棄て難くあはれなる人の御有様、心ざまに、かけとどめらるるほだしにてこそ、過ぐし来つれ、一人とまりて、いとどすさまじくもあるべきかな、いはけなき人々をも、一人はぐくみ立てむ程、限りある身にて、いとをかがましう、人悪かるべきこと」
――(出家したくても)後に残しておけないほど愛しい北の方の御容姿や、ご性質の良さに惹かれる絆でこそ、この年月を送って来たものなのに、今一人残されて、花も香りもない生活になってしまったことよ。落ちぶれているとはいえ、親王という身分が身分だけに、男手一つで幼い姫君達を育てることは体裁悪く、世間体にも見苦しいこと――
と、出家の望みを遂げたいと思っておいででしたが、姫君たちのお世話を託すべき人も居ないまま残して置くことにたいそう悩んでいらっしゃったのでした。
そうして、いつかしら年月が過ぎて、
「おのおのおよづけまさり給ふ様容貌の、うつくしうあらまほしきを、明け暮れの御なぐさめにて、おのづから見過ごし給ふ」
――(今では)お二人の姫君が大きくなられるにつれて、それぞれご容貌も愛らしく、
理想的なお成長ぶりなのを、八の宮は朝夕の慰めごととして、そのご養育に紛れてお過ごしになっておられるのでした。――
中の君がお生まれになったことで、北の方が亡くなられたことを、「なんと具合の悪い時にお生まれになったことよ」と女房の中には、この中の君を大事に思わない者もいましたが、北の方が意識が朦朧となっておられた臨終の時に、お苦しい息の中で、
「ただこの君を形見に見給ひて、あはれと思せ」
――ただもう、この中の君を私の形見とお思いになって、可愛がってあげてください――
と、ただそればかりを宮にご遺言なさいましたので、宮もこれが前世からの宿縁と、何時の時も思い出されて、この中の君を殊のほか慈しんでお育てになっておられるのでした。
◆かけとどめらるるほだし=懸け留めらるる絆(ほだし=きずな)=引きとどめる絆。
ではまた。
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(2)
このような堪え難い日々の中で、八の宮はお心の内で、
「見棄て難くあはれなる人の御有様、心ざまに、かけとどめらるるほだしにてこそ、過ぐし来つれ、一人とまりて、いとどすさまじくもあるべきかな、いはけなき人々をも、一人はぐくみ立てむ程、限りある身にて、いとをかがましう、人悪かるべきこと」
――(出家したくても)後に残しておけないほど愛しい北の方の御容姿や、ご性質の良さに惹かれる絆でこそ、この年月を送って来たものなのに、今一人残されて、花も香りもない生活になってしまったことよ。落ちぶれているとはいえ、親王という身分が身分だけに、男手一つで幼い姫君達を育てることは体裁悪く、世間体にも見苦しいこと――
と、出家の望みを遂げたいと思っておいででしたが、姫君たちのお世話を託すべき人も居ないまま残して置くことにたいそう悩んでいらっしゃったのでした。
そうして、いつかしら年月が過ぎて、
「おのおのおよづけまさり給ふ様容貌の、うつくしうあらまほしきを、明け暮れの御なぐさめにて、おのづから見過ごし給ふ」
――(今では)お二人の姫君が大きくなられるにつれて、それぞれご容貌も愛らしく、
理想的なお成長ぶりなのを、八の宮は朝夕の慰めごととして、そのご養育に紛れてお過ごしになっておられるのでした。――
中の君がお生まれになったことで、北の方が亡くなられたことを、「なんと具合の悪い時にお生まれになったことよ」と女房の中には、この中の君を大事に思わない者もいましたが、北の方が意識が朦朧となっておられた臨終の時に、お苦しい息の中で、
「ただこの君を形見に見給ひて、あはれと思せ」
――ただもう、この中の君を私の形見とお思いになって、可愛がってあげてください――
と、ただそればかりを宮にご遺言なさいましたので、宮もこれが前世からの宿縁と、何時の時も思い出されて、この中の君を殊のほか慈しんでお育てになっておられるのでした。
◆かけとどめらるるほだし=懸け留めらるる絆(ほだし=きずな)=引きとどめる絆。
ではまた。