2010.4/9 701回
四十二帖 【匂宮(にほふのみや)の巻】 その(6)
薫は母宮に対しては、ご自分が何か事実の一端を知っている風に悟られるのは具合が悪いことと思いながらも、どうしても四六時中お心にあって、
「いかなりける事にかは。何の契りにて、かう安からぬ思ひ添ひたる身にしもなり出でけむ」
――いったいどうした事情なのだろう。どういう宿縁で、こうも不安が付きまとう身に生まれてきたのだろう――
と、独りつぶやいていらっしゃる。
(薫の歌)「おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめもはても知らぬわが身ぞ」
――いったい誰に尋ねたらよいのか、気がかりなことよ。自分はどうして生まれ、行く末も分からぬ身の上を――
もちろん、教えてくださる人とていない。
「事に触れて、わが身につつがある心地するも、ただならずものなげかしくのみ、思ひめぐらしつつ、宮もかく盛りの御容貌をやつし給ひて、何ばかりの御道心にてか、にはかにおもむき給ひけむ、かく思はずなりける事のみだれに、必ず憂しとおぼしなる節ありけむ、人もまさに漏り出で知らじやは、なほつつむべき事のきこえにより、われには気色を知らする人のなきなめり」
――何かにつけて、わが身に障りがあるような心地がして、ただならず薄気味悪くて、ただもの悲しい気持ちにばかりなってしまう。母宮はこのような女盛りの御身で尼姿になられ、いったいどれほどの御道心で急に出家などなさったのか、きっと思いがけない出来事に人知れずお悩みになり、世を憂く思われた訳がおありだったのだろう、他人もまさか漏れ聞いていない筈はないであろうから、やはり隠さねばならない事情があって、それで自分には様子を知らせる人がいないのだろう――
と、薫はお考えになります。そしてお心の内で、「母宮は、朝夕勤行をなさっておられるけれど、頼りないほどおっとりとしたお勤めなので、これでは真の悟りに入る事は難しそうだ、自分が母宮の御道心をお助けして、同じ事ならせめてその後生でも安らかにして差し上げたい」と思うのでした。
◆つつがある心地=恙(つつが)ある=病気、患いがある
◆ものなげかしく=物嘆かし=何となく嘆かわしい。何となく悲しい。
◆写真:勤行の女三宮 風俗博物館
ではまた。
四十二帖 【匂宮(にほふのみや)の巻】 その(6)
薫は母宮に対しては、ご自分が何か事実の一端を知っている風に悟られるのは具合が悪いことと思いながらも、どうしても四六時中お心にあって、
「いかなりける事にかは。何の契りにて、かう安からぬ思ひ添ひたる身にしもなり出でけむ」
――いったいどうした事情なのだろう。どういう宿縁で、こうも不安が付きまとう身に生まれてきたのだろう――
と、独りつぶやいていらっしゃる。
(薫の歌)「おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめもはても知らぬわが身ぞ」
――いったい誰に尋ねたらよいのか、気がかりなことよ。自分はどうして生まれ、行く末も分からぬ身の上を――
もちろん、教えてくださる人とていない。
「事に触れて、わが身につつがある心地するも、ただならずものなげかしくのみ、思ひめぐらしつつ、宮もかく盛りの御容貌をやつし給ひて、何ばかりの御道心にてか、にはかにおもむき給ひけむ、かく思はずなりける事のみだれに、必ず憂しとおぼしなる節ありけむ、人もまさに漏り出で知らじやは、なほつつむべき事のきこえにより、われには気色を知らする人のなきなめり」
――何かにつけて、わが身に障りがあるような心地がして、ただならず薄気味悪くて、ただもの悲しい気持ちにばかりなってしまう。母宮はこのような女盛りの御身で尼姿になられ、いったいどれほどの御道心で急に出家などなさったのか、きっと思いがけない出来事に人知れずお悩みになり、世を憂く思われた訳がおありだったのだろう、他人もまさか漏れ聞いていない筈はないであろうから、やはり隠さねばならない事情があって、それで自分には様子を知らせる人がいないのだろう――
と、薫はお考えになります。そしてお心の内で、「母宮は、朝夕勤行をなさっておられるけれど、頼りないほどおっとりとしたお勤めなので、これでは真の悟りに入る事は難しそうだ、自分が母宮の御道心をお助けして、同じ事ならせめてその後生でも安らかにして差し上げたい」と思うのでした。
◆つつがある心地=恙(つつが)ある=病気、患いがある
◆ものなげかしく=物嘆かし=何となく嘆かわしい。何となく悲しい。
◆写真:勤行の女三宮 風俗博物館
ではまた。