永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(714)

2010年04月24日 | Weblog
2010.4/24  714回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(1)

物語は十年前にさかのぼって展開します。

薫(源侍従、中将、中納言)     14・5歳~23歳秋まで
夕霧(右大臣、左大臣)       40歳~49歳
大君(夕霧と雲居の雁腹の長女)東宮へ入内
源少将、兵衛の佐(夕霧と雲居の雁腹の男君)
明石中宮              33歳~42歳
匂宮(兵部卿の宮)         15歳~24歳
△髭黒太政大臣  急死
玉鬘(前の尚侍、髭黒太政大臣の未亡人)    47歳~56歳
大君(髭黒と玉鬘腹の長女)冷泉院に入内    16歳~25歳
中君(髭黒と玉鬘腹の次女)尚侍として今帝に上がる 14歳~23歳
左近の中将、右中弁、藤侍従(髭黒と玉鬘腹の男君たち)

「これは、源氏の御族にも離れ給へりし、後の大殿わたりにありける、わる御達のおちとまり残れるが、問はず語りしおきたるは、紫のゆかりにも似ざめれど、かのおんなどもの言ひけるは、『源氏の御末々に、ひが事どもの交じりて聞ゆるは、われよりも年の数つもり、惚けたりける人の、ひが言にや』などあやしがりける。何れかはまことならむ」
――これからの物語は、源氏の御一門とも少し縁遠くなった髭黒大臣の邸に仕えていました口の悪い女房たちの中で、後まで生き残った者が、問わず語りに話し置いたことです。それは紫の上の女房の物語とはどうも違うようですが、「源氏のご子孫について、間違った言い伝えがありますのは、私たちより歳をとって耄碌(もうろく)した紫の上方の女房の言い違いかしら」などと不思議がっております。さてどちらが本当でしょうか――

 玉鬘の尚侍(たまかずらのないしのかみ)とおっしゃる方で、髭黒大将の後の北の方になられた方には、御子が男3人、女2人いらっしゃいます。

「さまざまにかしづき立てむ事を思し掟てて、年月の過ぐるも心もとながり給ひし程に、あへなく亡せ給ひにしかば、夢のやうにて、いつしかといそぎ思しし御宮仕へもおこたりぬ」
――(髭黒太政大臣は)姫君たちをそれぞれ立派に養育する方針を立てられて、いずれは宮仕えにと年月の過ぎますのも待ち遠しく思っておられます内に、何とまあ突然にお亡くなりになりましたので、玉鬘はまったく夢をみているようで、一日でも早く姫君の入内をとご準備されておりましたことも、そもままになってしまったのでした――

「人の心、時にのみよるわざなりければ、さばかり勢ひいかめしくておはせし大臣の御名残、内々の御宝物、領じ給ふ所々など、その方のおとろへはなけれど、大方の有様、引きかへたるやうに、殿の内しめやかになりゆく」
――世間の人の心は、その時々の権勢に靡くものですから、あれほど勢い盛んであられた髭黒大臣の亡くなられた後の御邸は、なる程今は、お持ちの宝物や、あちこちの荘園など、財政の面ではご不自由なことはありませんが、大方のご様子は、昔と打って変わって、邸内はひっそりとしていくばかりです――

◆わる御達(悪ごたち)=口の悪い女房達

◆おちとまり残れる=後まで生き残ったのが

ではまた。