永子の窓

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枕草子を読んできて(104)その4

2018年12月30日 | 枕草子を読んできて
九一  職の御曹司におはしますころ、西の廂に  (104)その4  2019.12.30

 「これいつまでありなむ」と、人々、のたまはするに、「十よ日はありなむ」ただこのころのほどを、ある限り申せば、「いかに」と問はせたまへば、「正月の十五日までは候ひなむ」と申すを、御前にも、「えさはあらじ」とおぼしめしたり。女房などは、すべて「年のうち、つごもりまでもあらじ」とのみ申すに、「あまり遠くも申してけるかな。げにえしもやはあらざらむ。ついたちなどぞ申すべかりける」と、下には思へど、「さはれ、さまでなくと、言ひそめてむ事は」とて、かたうあらがひつ。
◆◆中宮様が「この雪山はいつまでありおおせるだろうか」と仰せあそばすと、女房たちは、「十日あまりはありおおせましょう」と、いちずにこの日あたりの期間を、そこに居る全部の者が申し上げるので、中宮様が私に、「どうか」とおたずねあそばされるので、「正月の十五日くらいまではきっとございましょう」と申し上げるのを、御前様にも、「そんなにはありえない」とおぼしめされているようだ。女房たちはみな、「年内、それも年の暮れまでも保るまい」とばかり申し上げるので、「少し遠い先までを申し上げてしまったことよ。なるほどそんなに遠くまでは保ちそうもなさそうだ。正月の初めころと申し上げればよかった」と、心の中では思うけれど、「それはそうと、そんな時期までは無くても、言い出してしまったことは」と思って、頑固にも言い争ってしまった。◆◆

■ついたち=「月立ち」で、月初のこと。第一日であってもかまわないが、第一日は多く、「ついたちの日」という。



 二十日のほどに、雨など降れど、消ゆべくもなし。たけぞすこしおとりもて行く。「白山の観音、これ消やさせたまふな」と祈るも物ぐるほし。
 さてその山作りたる日、式部丞忠隆、御使日にてまゐりたれば、褥さし出で物など言ふに、「今日の雪山作らせたまはぬ所なむなき。御前の壺にも作らせたまへり。中宮、弘徽殿にも作らせたまへり。京極殿にもたまへり」など言へば、
 ここにのみめづらしと見る雪の山ところどころにふりにけるかな
「返しは、えつかうまつりがさじ」とあざれたり。「御簾の前にて人に語りはべらむ」とて
立ちにき。歌はいみじくこのむと聞きしに、あやし。御前に聞こしめして、「いみじくよくとぞ思ひつらむ」とのたまはする。
◆◆十二月二十日ごろに、雨などが降ったけれど、消えることもない。高さが少し下がったままである。「白山の観音様、どうぞこれを消えさせないでくださいませ」と祈るのも、気違いじみている。
 さて、その雪山を作っている日、式部の丞忠隆が、主上のお使いとして参上したので、敷物を差し出して話などをするときに、「今日の雪山は、作らせないところはありません。主上の御前の壺庭にもお作らせになっていらっしゃいます。中宮、弘徽殿でもおつくらせになっていらっしゃいます。京極殿でもおつくらせになっていらっしゃいます」などと言うので、
(歌)「ここでだけ作って珍しいと見る雪の山は、方々に降った雪のために珍しくもなく古くさいものとなってしまったことよ」
と詠むと、「返歌を差し上げて、せっかくのお歌をけがすことはできそうにもありません」と、返歌をせずに、ごまかしてしゃれたつもりでいる。「御簾の前で、方々にお歌を披露いたしましょう」と言って立ってしまった。歌はとても好きだと、かつて聞いたのに、妙なことだ。御前におかせられても、このことをお聞きあそばされて、「きっとすばらしく詠もうと思ったのであろう」と仰せあそばす。◆◆

■白山の観音=石川県白山(はくさん)の十一面観音。白山は雪山の歌枕として著名。



 つごもりがたに、すこし小さくなるやうになれど、なほいと高くてあるに、昼つかた縁に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出で来たり。「などいと久しく見えざりつる」と言へば、「何かは。いと心憂き事の侍りしかば」と言ふ。「何事ぞ」と問ふに、「なほかく思ひはべりしなり」とて、ながやかによみ出づ。
 「うらやまし足もひかれずわたつうみうみのいかなるあまに物たまふらむ
となむ思ひはべりし」と言ふを、にくみ笑ひて、目も見入れねば、雪山にのぼりて、かかぐりありきていぬる後に、右近の内侍に「かくなむ」と言ひやりたれば、「などかは人添へてここには給はせざりし。あれがはしたなくて雪の山までかかりつたよひけむこそ、いとかなしけれ」とあるを、また笑ふ。雪山はつれなくて、年も返りぬ。
◆◆月末のころに、雪山は少し小さくなったようだけれど、まだまだ高くあるときに、昼ごろ縁に女房たちが出て座りなどしている時に、あの常陸の介が出て来た。「随分長いこと姿を見せなかったことよ」と言うと、「いいえ、なに、たいへん情けないことがございまして」と言う。「何事か」と聞くと、「やはり、このように思ったのでございます」と言って、長く声を引いて朗吟する。
(歌)ああ、うらやましい。足も動けないほどたくさん、いったいどういう尼に物をくださっているのでしょう。 と思ったのでございます」と言うのを、憎らしがって笑って、見向きもしないので、雪山に登って、やっとのことで歩き回って、立ち去った後で、右近の内侍に「こういうことが……」と言い送ったところ、「どうして人を付けてこちらにお寄こしくださいませんでしたか。その者が、間が悪くなって雪の山まで踏み入りさまようだったのは、とても可哀そうなことです」と返事があるのを、また笑う。雪山はそのまま変わらずに、年も改まってしまった。◆◆


■かかぐりありきて=語義不確か。たどる、すがるの意にしたがう。



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