永子の窓

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枕草子を読んできて(121)その1

2019年05月16日 | 枕草子を読んできて
一〇八  淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など (121)その1  2019.5.16

 淑景舎、東宮にまゐりたまふほどの事など、いかがは、めでたからぬことなし。正月十日まゐりたまひて、宮の御方に、御文などはしげう通へど、御対面などはなきを、二月十日、宮の御方にわたりたまふべき御消息あれば、常よりも御しつらひ心ことにみがきつくろひ、女房なども、みな用意したり。夜中ばかりにわたらせたまひしかば、いくばくもなくて明けぬ。登華殿の東の二間に、御しつらひはしたり。
◆◆淑景舎が東宮の妃として入内なさるころのことなど、どうして、素晴らしくないことは何一つない。正月十日に(小右記では十九日)参上なさって、中宮様の御方に、お手紙などは頻繁に通うけれども、ご対面などはないのを、二月十日、中宮様の御方にお出でになるはずのご案内があるので、いつもよりもお部屋の飾りつけを特に心を入れて磨きをかけ、立派に整え、女房などもみな緊張して心構えをしている。夜中のころお越しあそばされたので、いくらの時もたたないうちに夜が明けてしまった。登華殿(とうかでん)の東の廂の二間に、お迎えするお飾り着けはしてある。◆◆

■淑景舎(しげいしゃ)=中宮の妹、原子。長徳元年(995)一月東宮(後の三条帝)に入内。
■東の二間=東の廂の、二つの柱間を仕切って一室にしたもの・



 つとめて、いととく御格子まゐりわたして、暁に、殿、うへ、一つ御車にてまゐりたまひにけり。宮は、御曹司の南に、四尺の屏風、西東にへだてて、北向きに立てて、御畳、御褥うち置きて、御火桶ばかりまゐりたり。御屏風の南、御帳の前に、女房いとおほく候ふ。
◆◆翌朝、とても早く御格子をお上げ申し上げて、夜明け前のまだ暗いころに、関白道隆(中宮、淑景舎の父)、奥方様(道隆の妻貴子)が、一つの御車にて参上なさったのであった。中宮様は、御部屋の南に、四尺の屏風を
西から東に隔てとして、北を正面に向けて立てて、そこに御畳や、御敷物を置いて、御火鉢くらいをお入れ申し上げている。御屏風の南や、御帳台の前に、女房がとても大勢伺候している。◆◆



 こなたにて御髪などまゐるほど、「淑景舎は見たてまつりしや」と問はせたまへば、「まだいかでか。積善寺供養の日、ただ御うしろをはつかに」と聞こゆれば、「その柱と屏風とのもとに寄りて、わがうしろより見よ。いとうつくしき君ぞ」とのたまはすれど、うれしく、ゆかしさまさりて、いつしかと思ふ。紅梅の固紋、浮紋の御すそどもに、紅の打ちたる御衣三つぞ、ただ上にひき重ねて奉りたるも、「紅梅には濃き衣こそをかしけれ。今は、紅梅、着でもありぬべし。されど萌黄などのにくければ、紅には似はぬなり」とのたまはせれど、ただいまめでたく見えさせたまふ。奉りたる御衣に、やがて御かたちのにほひ合はせたまふぞ、なほことよき人もかくやおはしますらむとぞゆかしき。
◆◆こちらで中宮様の御髪などをお手入れ申しているとき、「淑景舎はお見申しあげていたか」とお尋ねあそばされますので、「まだどうしてお見申しあげましょう。積善寺供養の日に、ただ御後ろ姿をちらっと」と申し上げますと、「その柱と屏風とのそばに寄って、私の後ろから見なさい。とても可愛い方よ」と仰せあそばすので、うれしく、お見申しあげたさがつのって、早くその時がこないかなと思う。中宮様は紅梅の固紋、浮紋のお召し物の御裾に、紅の御打ち衣三枚を、ただ上にひき重ねてお召しになっていらっしゃるのも、「紅梅には濃い紅の打ち衣こそおもしろい。今は、紅梅を着ないでいるほうがきっとよいであろう。だけれど萌黄などが好きではないから、萌黄は紅には合わないのだよ」と仰せあそばすけれど、今の今、素晴らしくお見えあそばされる。お召しになっている御衣装に、そのままお顔のつやつやとしたお美しさが映え合っていらっしゃるのは、やはりもう一人の素晴らしい御方もこのようでいらっしゃるのだろうと、お見申し上げたい気持ちになる。◆◆

■御髪(みぐし)などまゐる=貴い方に御整髪をしてさしあげるの意。

■積善寺(しゃくぜんじ)供養の日=この前年の正暦五年(994)二月二十日道隆の主催で行われた。

■紅梅の固紋=紅梅の織色か。縦糸紫、横糸紅という。一説、襲の色目。表紅、裏紫。それを固くしめて織ったもの。

■浮紋=糸を浮かせて紋様を織り出したもの。

■紅の打ちたる御衣(おんぞ)=紅の綾を砧(きぬた)で打って艶を出したもの。
*この文のままでは紅梅の衣の上に紅の打ち衣三枚を着たと解いされるが、打ち衣は表着(うわぎ=ここでは紅梅の衣)の下に着るのが普通だとすれば、不審。ただ打ち衣は表着に用いたようにも見える。

■今は、紅梅、着でもありぬべし。……=紅梅は十一月から二月までの着用なので、二月十日の今は珍しげがないから着なくてもいいはずだとするのが通説だが、萌黄云々と考え合わせると、この年齢(中宮十九歳)ではもう着ないほうがよい、の意とする説に従うべきか。



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