2011. 7/3 966
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(27)
匂宮はわけもなく涙ぐまれて、しばらく中の君を見つめておられて、
「などかくのみなやましげなる御けしきならむ。暑き程のこととかのためひしかば、いつしかと涼しき程待ち出でたるも、なほはればれしからぬは、見ぐるしきわざかな。さまざまにせさする事も、あやしく験なき心地こそすれ。さはありとも、修法はまた延べてこそはよからめ。験あらむ僧もがな。なにがし僧都をぞ、夜居にさぶらはすべかりける」
――どうしてこんな風に苦しげなご様子が続くのでしょう。暑いうちのこととかおっしゃっていましたから、涼しくなればと待ちかねておりましたのに、まだすっきりとなさらないのは困ったことですね。いろいろと祈祷をさせているけれども、不思議に効き目がないようだし。しかし修法はこれからも続けたほうがようでしょう。効験のあらたかな僧はいないものか。あのなにがしかの僧都に夜居を勤めてよかったのに――
などと、細々とおっしゃる。中の君は、
「かかる方にも言よきは、心づきなく覚え給へど、むげに答へきこえざらむも例ならねば、『昔も、人に似ぬ有様にて、かやうなる折はありしかど、おのづからいとよくおこたるものを』とのたまえば」
――こういうことには、匂宮の口先のよいのが厭な気がなさいますが、全くお返事をなさらないのも常のようではありませんので、「私は以前にも人と違った体質でこんな事がよくありましたが、そのうち自然に癒ってしまうのです」と申し上げますと――
「『いとよくこそさわやかなれ』とうち笑ひて、なつかしく愛敬づきたる方は、これにならぶ人はあらじかし、とは思ひながら、なほまたとくゆかしき方の心いられも立ちそひ給へるは、御志おろかにもあらぬなめりかし」
――(匂宮は)「よくまあ、さっぱりしたものですね」と苦笑いをなさる。やさしくて可愛らしい点では、中の君に並ぶ人はいないと思われるものの、やはり一方では、早く六の君に逢いたいものと焦る気持ちに急き立てられるのは、六の君へのご愛情の並々ならぬということでしょう――
中の君とご一緒のときは、今までと変わることもなく、来世までもと行く末をお約束されることなど尽きないのでした。匂宮のそれを伺うにつけても、中の君は、
「げにこの世は短かめる、命待つ間も、つらき御心は見えぬべければ、後の契りや違わぬこともあらむ、と思ふにこそ、なほこりずまにまたも頼まれぬべけれ、とて、いみじく念ずべかめれど、えしのびあへずにや、今日は泣き給ひぬ」
――確かにこの世は短かそうで、命が尽きる間にもきっと辛く思えるお心が見えるに違いないから、せめてあの世の約束は違わず守ってくださるだろうと、そんな風に思えばこそ、やはり性懲りもなくおすがりせずにはいられないわが身である、と、じっと我慢しておいでになるようでしたが、それとても堪え切れず、今日は泣いておしまいになるのでした――
◆言よきは=口先ばかり上手なのは
◆いとよくこそさわやかなれ=実にさっぱりとしたものですね。中の君が嫉妬を顕わにしなかったこと。この時代、男性が女性に求める最大の美点は、嫉妬しないことであった。
では7/5に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(27)
匂宮はわけもなく涙ぐまれて、しばらく中の君を見つめておられて、
「などかくのみなやましげなる御けしきならむ。暑き程のこととかのためひしかば、いつしかと涼しき程待ち出でたるも、なほはればれしからぬは、見ぐるしきわざかな。さまざまにせさする事も、あやしく験なき心地こそすれ。さはありとも、修法はまた延べてこそはよからめ。験あらむ僧もがな。なにがし僧都をぞ、夜居にさぶらはすべかりける」
――どうしてこんな風に苦しげなご様子が続くのでしょう。暑いうちのこととかおっしゃっていましたから、涼しくなればと待ちかねておりましたのに、まだすっきりとなさらないのは困ったことですね。いろいろと祈祷をさせているけれども、不思議に効き目がないようだし。しかし修法はこれからも続けたほうがようでしょう。効験のあらたかな僧はいないものか。あのなにがしかの僧都に夜居を勤めてよかったのに――
などと、細々とおっしゃる。中の君は、
「かかる方にも言よきは、心づきなく覚え給へど、むげに答へきこえざらむも例ならねば、『昔も、人に似ぬ有様にて、かやうなる折はありしかど、おのづからいとよくおこたるものを』とのたまえば」
――こういうことには、匂宮の口先のよいのが厭な気がなさいますが、全くお返事をなさらないのも常のようではありませんので、「私は以前にも人と違った体質でこんな事がよくありましたが、そのうち自然に癒ってしまうのです」と申し上げますと――
「『いとよくこそさわやかなれ』とうち笑ひて、なつかしく愛敬づきたる方は、これにならぶ人はあらじかし、とは思ひながら、なほまたとくゆかしき方の心いられも立ちそひ給へるは、御志おろかにもあらぬなめりかし」
――(匂宮は)「よくまあ、さっぱりしたものですね」と苦笑いをなさる。やさしくて可愛らしい点では、中の君に並ぶ人はいないと思われるものの、やはり一方では、早く六の君に逢いたいものと焦る気持ちに急き立てられるのは、六の君へのご愛情の並々ならぬということでしょう――
中の君とご一緒のときは、今までと変わることもなく、来世までもと行く末をお約束されることなど尽きないのでした。匂宮のそれを伺うにつけても、中の君は、
「げにこの世は短かめる、命待つ間も、つらき御心は見えぬべければ、後の契りや違わぬこともあらむ、と思ふにこそ、なほこりずまにまたも頼まれぬべけれ、とて、いみじく念ずべかめれど、えしのびあへずにや、今日は泣き給ひぬ」
――確かにこの世は短かそうで、命が尽きる間にもきっと辛く思えるお心が見えるに違いないから、せめてあの世の約束は違わず守ってくださるだろうと、そんな風に思えばこそ、やはり性懲りもなくおすがりせずにはいられないわが身である、と、じっと我慢しておいでになるようでしたが、それとても堪え切れず、今日は泣いておしまいになるのでした――
◆言よきは=口先ばかり上手なのは
◆いとよくこそさわやかなれ=実にさっぱりとしたものですね。中の君が嫉妬を顕わにしなかったこと。この時代、男性が女性に求める最大の美点は、嫉妬しないことであった。
では7/5に。