2011.3/13 909
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(86)
「中納言、かく世のいと心憂く覚ゆるついでに本意遂げむ、とおぼさるれど、三條の宮のおぼさむ事にはばかり、この君の御事の心ぐるしさとに思ひ乱れて、かののたまひしやうにて、形見にも見るべかりけるものを、下の心は、身を分け給へりとも、移ろふべくも覚えざりしを、かく物思はせたてまつるよりは、ただうち語らひて、つきせぬ慰めにも見たてまつり通はましものを、などおぼす」
――薫中納言は、こうして世の中を憂きものと、しみじみお感じになったこの際に、かねてからお考えの出家の御本意を遂げようとお思いになりますが、母君の三條の宮のお嘆きに対しての御遠慮と、中の君のお身の上のお気の毒さとに悩まれて、大君が仰ったように、中の君をお形見としてお世話申し上げるべきだったものを、心の底では身を分けた妹君としても、そちらへ思い移りそうには思われなかったのです。匂宮とのことで、こんなにも中の君にお辛い思いをおさせすると分かっていたならば、いっそ中の君と契りを交わして、亡き人の思い出もご一緒に語らい合って、尽きぬ悲しみの慰めにも連れ添うのであった、などと、今更どうにもならないことをお思いになるのでした――
「かりそめに京にも出で給はず、かき絶え、なぐさむ方なくて籠りおはするを、世の人も、おろかならず思ひ給へること、と見聞きて、内裏よりはじめたてまつりて、御とぶらひ多かり」
――薫はほんの一時でも京にお出でにならず、世間と全く交際を断って、お心の晴れないまま、ひっそりと宇治にお籠りなのを、世間の人も、「あの大君に対しては並み一通りのご愛情ではなかったのだ」と、聞き伝え、御所をはじめとして、方々からの御弔問が引きもきらないのでした――
「はかなくて日頃は過ぎゆく。七日七日の事ども、いと尊くせさせ給ひつつ、おろかならず孝じ給へど、かぎりあれば、御衣の色のかはらぬを、かの御方の心よせわきたりし人々の、いと黒う着かへたるを、ほの見給ふも」
――はかなく月日は過ぎていきます。七日ごとの御法事なども立派になさって、心を込めてご供養なさるけれど、薫は夫ではないので喪服を召すこともおできにならない。大君に特別親しくお仕えしていました侍女たちが、濃い黒色の衣に着替えているのを、ちらっとご覧になられるにつけても――
(歌)「くれなゐにおつる涙もかひなきはかたみのいろをそめぬなりけり」
――悲しみのあまり流す涙が血の涙であっても何になろう、所詮他人の私はこの衣を喪服に替えることができないのだから――
◆孝ず(けうず)=死んだ親や近親者を供養する。
◆かぎりあれば=世の掟があるので。薫は大君と夫婦ではないので、喪服は着られない。
◆絵:大君を偲ぶ薫
では3/15に。
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(86)
「中納言、かく世のいと心憂く覚ゆるついでに本意遂げむ、とおぼさるれど、三條の宮のおぼさむ事にはばかり、この君の御事の心ぐるしさとに思ひ乱れて、かののたまひしやうにて、形見にも見るべかりけるものを、下の心は、身を分け給へりとも、移ろふべくも覚えざりしを、かく物思はせたてまつるよりは、ただうち語らひて、つきせぬ慰めにも見たてまつり通はましものを、などおぼす」
――薫中納言は、こうして世の中を憂きものと、しみじみお感じになったこの際に、かねてからお考えの出家の御本意を遂げようとお思いになりますが、母君の三條の宮のお嘆きに対しての御遠慮と、中の君のお身の上のお気の毒さとに悩まれて、大君が仰ったように、中の君をお形見としてお世話申し上げるべきだったものを、心の底では身を分けた妹君としても、そちらへ思い移りそうには思われなかったのです。匂宮とのことで、こんなにも中の君にお辛い思いをおさせすると分かっていたならば、いっそ中の君と契りを交わして、亡き人の思い出もご一緒に語らい合って、尽きぬ悲しみの慰めにも連れ添うのであった、などと、今更どうにもならないことをお思いになるのでした――
「かりそめに京にも出で給はず、かき絶え、なぐさむ方なくて籠りおはするを、世の人も、おろかならず思ひ給へること、と見聞きて、内裏よりはじめたてまつりて、御とぶらひ多かり」
――薫はほんの一時でも京にお出でにならず、世間と全く交際を断って、お心の晴れないまま、ひっそりと宇治にお籠りなのを、世間の人も、「あの大君に対しては並み一通りのご愛情ではなかったのだ」と、聞き伝え、御所をはじめとして、方々からの御弔問が引きもきらないのでした――
「はかなくて日頃は過ぎゆく。七日七日の事ども、いと尊くせさせ給ひつつ、おろかならず孝じ給へど、かぎりあれば、御衣の色のかはらぬを、かの御方の心よせわきたりし人々の、いと黒う着かへたるを、ほの見給ふも」
――はかなく月日は過ぎていきます。七日ごとの御法事なども立派になさって、心を込めてご供養なさるけれど、薫は夫ではないので喪服を召すこともおできにならない。大君に特別親しくお仕えしていました侍女たちが、濃い黒色の衣に着替えているのを、ちらっとご覧になられるにつけても――
(歌)「くれなゐにおつる涙もかひなきはかたみのいろをそめぬなりけり」
――悲しみのあまり流す涙が血の涙であっても何になろう、所詮他人の私はこの衣を喪服に替えることができないのだから――
◆孝ず(けうず)=死んだ親や近親者を供養する。
◆かぎりあれば=世の掟があるので。薫は大君と夫婦ではないので、喪服は着られない。
◆絵:大君を偲ぶ薫
では3/15に。