永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(907)

2011年03月09日 | Weblog
2011.3/9  907

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(84)

「世の中をこと更に厭ひはなれねと、すすめ給ふ仏などの、いとかくいみじきものは思はせ給ふにやあらむ、見るままに物の枯れ行くやうにて、消えはて給ひぬるは、いみじきわざかな」
――この世を厭離せよと、私をお導きになった御仏の思召しで、このような辛い目をお見せくださるものなのか、愛しいお方が目の前で、まるで物が枯れて行くように、息を引き取っておしまいになるとは。何とまあ切なく悲しいことか――

「引きとどむべき方なく、足摺りもしつべく、人のかたくなしと見む事も覚えず。かぎりと見たてまつり給ひて、中の宮の、後れじ、と思ひまどひ給ふ様も、ことわりなり」
――この世にお引き留めする術もないままに、薫は足摺りもしたい心地で、人目にどう映ろうとも構わないご様子です。いよいよご臨終というので、中の君が姉君と御一緒に(あの世に行きたい)と取り乱してお嘆きになるのも、まことにごもっともです――

「あるにもあらず見え給ふを、例の、さかしき女ばら、今はいとゆゆしきこと、と、引きさけ奉る」
――(中の君が)われにもなく泣き崩れていらっしゃるのを、例の賢しらな老女たちが、「亡くなられた方のそばにいるのは、たいそう不吉な、忌むべきことでございます。(死者が一緒にあの世に連れ去ると忌む)と、お引き離し申し上げます。

 薫は、

「さりとも、いとかかる事あらじ、夢か、とおぼして、御となぶらを近うかかげて見たてまつり給ふに、隠し給ふ顔も、ただ寝給へるやうにて、変わり給へるところもなく、うつくしげにてうち臥し給へるを、かくながら、むしの骸のやうにても見るわざならましかば、と、思ひまどはる」
――いくら何でも、まさかお亡くなりになる事などあるまい、夢ではないかと思われて、灯を大君の近くにかかげてご覧になりますと、隠しておられたお顔も、まるで眠っておいでのように安らかで、変わったご様子もなく清らかに臥せっていらっしゃいます。このままでも、蝉の抜け殻のようであっても、ずっと拝見していられるものならば、と、また新たな悲しみが込み上げてくるのでした――

◆むしの骸(虫のから)=古今集「空蝉は殻を見つつもなぐさめつ深草の山けぶりだに立て」。むしは蝉。

では3/11に。