永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(904)

2011年03月03日 | Weblog
2011.3/3  904

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(81)

 薫がこうして宇治に引き籠もっておられますので、次々聞き伝えては、わざわざお見舞いにやって来られる人もいます。薫の並々ならぬお気もちを拝して、家来や家令たちも大君のためにあちこちに祈祷をさせては、ご心配申し上げるのでした。
 
 折も折、薫は「今日は豊明(とよのあかり)であった」と、京に思いを馳せていらっしゃる。こちらの宇治では風が吹き荒れて雪を巻き上げる荒れた天候ですが、京はこれほどでもあるまい、と、お心細く、

「疎くて止みぬべきにや、と思ふ、契りはつらけれど、恨むべうもあらず、なつかしうらうたげなる御もてなしを、唯しばしにても例になして、思ひつる事どもも語らはばや、と思ひ続けてながめ給ふ。光もなくて暮れはてぬ」
――大君とは結局他人のままで終わってしまうのか、とやるせなく、思えば辛い二人の中ではあるけれども、恨みようもなく、なつかしく愛おしいお姿や物越しを、ただ暫くでも元のお姿にして、胸の裡を語りたい、と、ぼんやりと外を眺めていらっしゃる。日の光も射さず、あたりはすっかり暮れてしまったのでした――

(薫の歌)「かきくもり日かげも見えぬ奥山に心をくらすころにもあるかな」
――空が曇って日の光も見えない山里に、私はこうして毎日心を暗くしていることだ――

 ただこうして薫が滞在しておられることを、宇治の人々は皆、頼もしく感じているのでした。例によって薫は大君のお近くにいらっしゃるときに、風が御几帳の帷子(かたびら)を吹き上げて、あちらこちらが露わになってきましたので、中の君も侍女たちも恥ずかしく、奥に隠れてしまいました頃、薫はやおら大君のお側ににじり寄られて、

「いかがおぼさるる。心地に思ひ残すことなく、念じきこゆるかひなく、御声をだに聞かずなりにたれば、いとこそわびしけれ。後らかし給はば、いみじうつらからむ」
――ご気分はいかがですか。私が精いっぱいの気持ちで御全快をお祈りしている甲斐もなく、もうお声さえも伺えなくなってしまいましたので、淋しくてなりません。私を残してお亡くなりになるようなことがありましたら、それこそ恨めしく存じます――

 と、泣く泣く申し上げるのでした。大君は半ば意識のないご様子ながら、それでもお顔だけは見えないように隠されて、苦しげな息の下から、

「よろしき暇あらば、きこえまほしき事も侍れど、ただ消えいるやうにのみなりゆくは、くちをしきわざにこそ」
――少しでも気分のよろしい時がございましたら、申し上げたいこともございますが、ただもう消え入りそうになってまいりますのは、本当に残念なことでございます――

 と、心底あわれぶかく思っておいでのご様子です。薫はいっそう涙を抑える事もお出来にならず、涙は不吉なことと、そんなに心細そうな様子を見せまいとお思いになるものの、やがてお声を出して泣き伏しておしまいになりました。

◆豊明(とよのあかり)=十一月の中の辰の日に行われ、新穀を神に供えて帝が群臣と共に召される節会。

◆後らかし(おくらかし)=(人が死んだり、出発したりして)人を後に残す。

では3/5に。