永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(653)

2010年02月18日 | Weblog
2010.2/18   653回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(68)

 続けて夕霧は、

「ふさはしからぬ御心の筋とは、年頃見知りたれど、然るべきにや、昔より心に離れ難う思ひ聞こえて、今はかくくだくだしき人の数々あはれなるを、かたみに見棄つべきにやと、頼み聞こえる。はかなき一節に、かうはもてなし給ふべくや」
――貴女は私の妻には似つかわしくないご性格とは年来思っていましたが、前世の因縁で昔から離れがたくいて、今ではこうしてごたごたと沢山生まれた子供の可愛さに、お互いに見棄てられるものではないと安心していたのです。ちょっとしたことで、こんなことをしても良いでしょうか――

 と、咎めだてしたり恨んだりなさると、雲井の雁は、

「何事も今はと見飽き給ひにける身なれば、今はた直るべきにもあらぬを、何かはとて。あやしき人々は、思し棄てずばうれしうこそはあらめ」
――何事も今はすっかり飽きられた身ですから、今更お気に入るようになる筈もありませんし、今更ご厄介になることもないと存じまして。幼い子供たちの事はお忘れにならないで面倒をみてくだされば、それで十分です――

 と申し上げます。

「なだらかの御答や。言ひもて行けば、誰か名か惜しき」
――これはまたなんと穏やかなご口上ですね。結局はどなたの名折れになるのでしょうか――

 結局夕霧は強いてお帰りを促すこともおっしゃらず、お一人でお寝みになりました。
落葉宮はまだ打ち解けず、雲井の雁は逃げ出してしまうしと、妙に中途半端な事になったものだと思いながら子供たちの側で臥しながら、

「いかなる人、かうやうなる事をかしう覚ゆらむ、など、物懲りしぬべう覚え給ふ」
――いったい誰が恋路などを面白いなどと感じるのだろう、と、懲り懲りしたようにも思われるのでした――

ではまた。