永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(105)

2008年07月13日 | Weblog
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【明石】の巻  その(17)

 御出立の朝、源氏は岡辺を夜深く出られて、心も、うわの空ながら、人目を忍んで文を交します。源氏の打ち萎れられたご様子を、深い事情を知らない人は、不思議に思うようです。
 良清は、かの明石の御方に未練を残される源氏をねたましく眺めています。
入道は、いつの間にか、この日の為のお支度を立派に整えて、お供の人々にも旅の御装束を準備しておりました。都への土産もすべて立派なものを揃えております。

 明石の御方からは、御狩衣に添えてのうたに、
「寄る浪にたちかさねたる旅ごろもしほどけしとや人のいとはむ」
――この浦でご用意しました旅のご装束ですから、涙に濡れていてお嫌いになるでしょうか――

源氏の返し
「かたみにぞ換ふべかりける逢ふ事の日数へだてむ中のころもを」
――形見として着替えるべきでした。再びお逢いするまでは日数のかかる形見ですから――と言って、早速贈られた御衣に着替えられて、今の御装束を明石の御方に遣わします。

 入道は、思い出してくださる折りがありましたら、娘にお便りを…と半べそをかきながら言います。
その姿を若い人たちが見たらきっと笑い出してしまうでしょうよ。(作者のことば)

源氏も
「思ひ捨て難き筋もあめれば、今いと疾く見なほし給ひてむ。」
――忘れにくい事情(妊娠)もある様子ですから、そのうち私の本心を理解頂けるでしょう――と涙をぬぐわれるのでした。

 入道は一層不覚の涙にくれ、立ち居さえおぼつかい有様です。

ではまた。


源氏物語を読んできて(狩衣)

2008年07月13日 | Weblog
狩衣(かりぎぬ)
 
狩衣の歴史
 
 狩衣はその名の通り野外狩猟用のスポーツ服で、着用も簡便で運動性も高いものでした。便利なため一般公家の日常着として愛用されました。それが次第に院参にも用いられるようになり、時代を経るに従って公服としての色彩も増してきました。ただし狩衣での参内(昇殿)は一切認められず、狩衣に冠をかぶることは特殊な事情を除き(下絵巻参照)決してありません。

◆参考 装束の知識と着方より

源氏物語を読んできて(履物・線鞋)

2008年07月13日 | Weblog
線鞋(せんかい)

 元来は革靴で、紐で結んで用いた浅履(あさくつ)であったが、日本では甲の部分を絹織物で覆うようになった。
 底は牛革で、男女ともに用いたが、のちにはもっぱら女性の室内履きになった。

 鞋=わらじ

◆写真と参考:風俗博物館