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【澪標(みおつくし】の巻 その(2)
帝はつづけて、こうもおっしゃるのです。
「だが、身分としては、平民におなりでしょうよ。(自分の子なら皇子だが、源氏の子は平民でしかない)」
尚侍は、帝のご容貌など優雅でお綺麗で、御自分へのご愛情のますます増されておいでなのに対して、
「めでたき人なれど、さしも思う給へらざりし気色心ばへなど物思ひ知られ給ふままに、などてわが心の若くいはけなきに任せて、さる騒ぎをさへ引き出でて、わが名をばさらにもいわず、人の御ためさへなど思し出づるに、いと憂き御身なり。」
――源氏は立派な方ですが、そうも深くは思ってくださらなかったご様子やお気持ちなど、分別がついてきました今にして思えば、あのような騒ぎを引き起こして、自分の浮き名ばかりでなく、帝の御為のことも思い出されるにつけ、ひどく侘びしい御身でございます。――
明くる年の二月に、春宮ご元服の儀がございました。十一歳になられ、お歳の割には大人びて清らでいらっしゃって、源氏の君に瓜二つで、眩いほどに光り輝いておいでなのを、世間では大層よろこばしいことと申し上げておりますが、
「母宮はいみじうかたはらいたき事に、あいなく御こころをつくし給ふ。」
――母宮の藤壺は、ひどく後ろめたく思われるのですが、どうにも仕様のないことと胸を痛めておいでです。――
同じ二月の二十日ほどに、にわかに御譲位のことがありまして、大后は大あわてでいらっしゃいます。
新しい春宮には、承香殿(しょうぎょうでん・じょうきょうでん)腹の御子がお着きになりました。
源氏は大納言から内大臣になられました。そのまま帝の摂政として政をなさるところでしょうが、引退中の先の左大臣を太政大臣に推されて、摂政をおゆずりになりました。
左大臣家の御子息方も、沈みきっておりましたところから、浮かび上がったように、宰相の中将(葵の上の兄君)は権中納言になられ、正妻四の君(右大臣の君)腹の姫君を入内させるべく、あれこれと準備をなさっているようです。姫君は十二歳におなりです。
御子の少ない源氏は、左大臣家の御子の多いにぎやかさを、うらやましくお思いです。(子女を政略に使えない)
◆内大臣=左右大臣が定員に満ち、入るべき余地がないために、員外の官たる内大臣として加わる。
◆御譲位=生前に帝を譲る。ここでは朱雀院が健康状態を理由としているが、政治的にも、父の桐壺院は亡くなり、母の弘徴殿大后は病がち、その父右大臣は亡くなり、朱雀院の強力な後ろ盾がない状態を考えてのことと思われる。冷泉帝には源氏という後見人が遺言で決まっているので、この際この御譲位が良いと判断した(もちろん、冷泉帝が源氏の御子とは、ご存じない)
ではまた。
【澪標(みおつくし】の巻 その(2)
帝はつづけて、こうもおっしゃるのです。
「だが、身分としては、平民におなりでしょうよ。(自分の子なら皇子だが、源氏の子は平民でしかない)」
尚侍は、帝のご容貌など優雅でお綺麗で、御自分へのご愛情のますます増されておいでなのに対して、
「めでたき人なれど、さしも思う給へらざりし気色心ばへなど物思ひ知られ給ふままに、などてわが心の若くいはけなきに任せて、さる騒ぎをさへ引き出でて、わが名をばさらにもいわず、人の御ためさへなど思し出づるに、いと憂き御身なり。」
――源氏は立派な方ですが、そうも深くは思ってくださらなかったご様子やお気持ちなど、分別がついてきました今にして思えば、あのような騒ぎを引き起こして、自分の浮き名ばかりでなく、帝の御為のことも思い出されるにつけ、ひどく侘びしい御身でございます。――
明くる年の二月に、春宮ご元服の儀がございました。十一歳になられ、お歳の割には大人びて清らでいらっしゃって、源氏の君に瓜二つで、眩いほどに光り輝いておいでなのを、世間では大層よろこばしいことと申し上げておりますが、
「母宮はいみじうかたはらいたき事に、あいなく御こころをつくし給ふ。」
――母宮の藤壺は、ひどく後ろめたく思われるのですが、どうにも仕様のないことと胸を痛めておいでです。――
同じ二月の二十日ほどに、にわかに御譲位のことがありまして、大后は大あわてでいらっしゃいます。
新しい春宮には、承香殿(しょうぎょうでん・じょうきょうでん)腹の御子がお着きになりました。
源氏は大納言から内大臣になられました。そのまま帝の摂政として政をなさるところでしょうが、引退中の先の左大臣を太政大臣に推されて、摂政をおゆずりになりました。
左大臣家の御子息方も、沈みきっておりましたところから、浮かび上がったように、宰相の中将(葵の上の兄君)は権中納言になられ、正妻四の君(右大臣の君)腹の姫君を入内させるべく、あれこれと準備をなさっているようです。姫君は十二歳におなりです。
御子の少ない源氏は、左大臣家の御子の多いにぎやかさを、うらやましくお思いです。(子女を政略に使えない)
◆内大臣=左右大臣が定員に満ち、入るべき余地がないために、員外の官たる内大臣として加わる。
◆御譲位=生前に帝を譲る。ここでは朱雀院が健康状態を理由としているが、政治的にも、父の桐壺院は亡くなり、母の弘徴殿大后は病がち、その父右大臣は亡くなり、朱雀院の強力な後ろ盾がない状態を考えてのことと思われる。冷泉帝には源氏という後見人が遺言で決まっているので、この際この御譲位が良いと判断した(もちろん、冷泉帝が源氏の御子とは、ご存じない)
ではまた。
殿上人の冬の衣冠
衣冠とは束帯に対する略儀の公家の服装で石帯は用いない。
束帯が昼装束(ひのしょうぞく)と呼ばれたのに対し、宿(とのい)装束といわれた。しかし、当初は宿装束として出来たがやがて平常の参内等にも着用されるようになった。
衣冠というのは、衣と冠とを似って官職を表現するので、この名が起ったものと思われる。衣冠には文武官の別がない。
公家には基本として三位以上の公卿と四、五位の殿上人にわかれる。ここでは殿上人の五位の冬姿として緋袍に紫無紋の指貫をはく、帖紙を懐中にし、手に檜扇、襪(しとうず)は、はかない[40才以上で特に許された時は襪をはく]。
◆写真:正面
衣冠とは束帯に対する略儀の公家の服装で石帯は用いない。
束帯が昼装束(ひのしょうぞく)と呼ばれたのに対し、宿(とのい)装束といわれた。しかし、当初は宿装束として出来たがやがて平常の参内等にも着用されるようになった。
衣冠というのは、衣と冠とを似って官職を表現するので、この名が起ったものと思われる。衣冠には文武官の別がない。
公家には基本として三位以上の公卿と四、五位の殿上人にわかれる。ここでは殿上人の五位の冬姿として緋袍に紫無紋の指貫をはく、帖紙を懐中にし、手に檜扇、襪(しとうず)は、はかない[40才以上で特に許された時は襪をはく]。
◆写真:正面