永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(114)

2008年07月22日 | Weblog
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【澪標(みおつくし】の巻  その(7)

 添えられている御文には、いろいろのなかに、「わたしは直ぐにでもそちらへいきたいものです。やはりこのままでは置けないので、上京なさる準備をしてください。あなたを心細い思いにおさせしませんから…」とありました。
 
 入道は嬉し泣きも例のごとくで、生きていた甲斐があったものだと思うのももっともなことです。

明石の御方からのお文も細々とありました中で
「……げに後やあすく思ふ給へ置くわざもがな」
――……仰せのとおり、姫君については安心のゆくように、お取り計らいくださいませ――

 源氏はごらんになって、あわれなことよと、独り言をおっしゃっていますのを、紫の上はそちらを横目でみられて

「『浦よりをちに漕ぐ船の』と忍びやかにひとりごちながめ給ふを……」
――(三熊野の浦よりをちに漕ぐ船のわれをばよそに隔てつるかな)私をお隔てになるのですね、とそっと独り言のように言って遠く目をやっておりますと、

「『まことはかくまでとりなし給ふよ。こはただばかりのあはれぞや。所のさまなどうち思ひやる時々、来しかたのこと忘れがたき独り言を、ようこそ聞き過ぐい給わね』など、うらみ聞え給ひて、上包ばかりを見せ奉らせ給ふ。」
――「真実これほどまでお疑いになることよ。これはただ、これだけの感情なのですよ。明石の浦の風情を思い出す時々に、その頃のことを忘れ兼ねて、ひとり言も洩れるのですが、よくも聞き捨てになさらないのですね。」とお恨みになりながら、明石の御方から来ました文の上包だけをお見せになります――

 手蹟(て)などたいそう深みがあって、歴とした方も恥じ入るようなのを、紫の上は見やって、
こういう具合だからこそ、明石の御方をないがしろにはおできにならないのだとお思いになります。

ではまた。

源氏物語を読んできて(貴族に仕える女房)

2008年07月22日 | Weblog
貴族に仕える女房たち

 主人付き、北の方付き、若君や姫君付きとそれぞれ何人かいる。
話し相手、取り次ぎ、応対、手紙の代筆、身の回りの世話、ときには教育にもあずかるので、人材を得るのは親として最大の関心事であった。

 末摘花の例でみると、常陸宮の孤児となって後見するものがいないので、お屋敷は荒れ放題、仕えている女房たちも、他に移れるものは出て行き、残ってもあわれな生活をしている。

 かつては帝の姻戚にあった宮家も、浮き沈みが激しかった。
末摘花は、気位を高く持って、貧困に耐えている例である。


源氏物語を読んできて(宮中の女房)

2008年07月22日 | Weblog
宮中の女房たち

 天皇家の場合でみると、「上の女房」といい、官職にある女官とは別に天皇の私生活に奉仕する。女房自身が使う女房もいた。

 皇后や女御、更衣にもそれぞれ女房がおり、みな実家から付けてくる。
娘を妃として宮廷に上げる場合、この女房集めが大きな仕事となる。

 他の家から出た妃たちとの交際や、廷臣と対応のできる若くて美しく、教養のある女房や、女房を取り仕切る年輩の女房など多彩な人数を要し、数も20人30人と増していった。

 女房として出仕することは、男性への取り次ぎなど、交際のきっかけに安易におちいることも覚悟しなければならないので、高貴な家柄では姫君を出すようなことはしなかった。

 だが、この当時、女性の保護・後見をする親や兄弟が居ない状態になると、いっきに没落してしまう。このような家の姫たちは生活のため、女房として出仕の道を選ぶ場合も多かった。経済的に女性が一人で生きて行けるのは、余程の資産を相続できたばあいである。

 女房には様々な資質が要求され、また家々の事情とが相まって、出身階級により、上中下があったが、宮中の機能を担う大切な働き手ではあった。

写真:働く女房