永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(96)

2008年07月02日 | Weblog
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【明石】の巻  その(8)

入道はさらに、
琵琶というものは、正式の音を弾きこなす人は、昔も希でしたが、娘はたいしてつかえることなく、魅力ある弾き方など人並みではありません……。

源氏は、入道のいかにも風流がっていますのを、試されるように箏の琴を琵琶に替えてお渡しになります。なるほど、入道は伝授を受けただけあって、きわだって調子づいて弾きます。今の世には知られない曲を弾きこなして、手さばきがごく唐風で、左手で弦をふるわす音も、深く澄んでします。
声の良き人に歌わせたり、源氏も拍子をおとりになったり、めずらしいくだものやお酒を持って来させて、入道には憂いを忘れそうな夜の有様でした。

「いたくふけ行くままに、浜風涼しうて、月も入り方になるままに澄みまさり、……この娘の有様、問はず語りに聞ゆ。……」
――夜が更けていくにつれて、浜風が涼しく、月も山の端に入る頃になって、いよいよ光が冴えてまいりました。(入道は来し方行く末を端から話し始めて)、とくに娘のことを問わず語りにはなしますのを、源氏は、これも親心だとしみじみとお聞きにもなるのでした。

入道の話は、このようです。

 誠に申し上げにくいことではございますが、あなた様がこのような思いがけない片田舎に移ってこられたのは、もしや年来この老法師がお祈りしています神仏が、不憫に思われて、そのために、しばらくあなた様をお悩まし申すのではないかと存じます。それと申しますのも、住吉の神に願をかけましてから、十八年になります。娘がほんの幼児でありました頃から、思う子細がありまして、毎年、春秋必ずお参りさせて参りました。
私は昼夜六時の勤めに、自分の来世での極楽往生はさておき、ただただ娘の出世の願いを叶えてくださいと祈っております。

願いとも愚痴とも言えない話が続きます。

 私は、前世からの因縁で運が開けぬまま、このような山がつの身になっておりますが、親は大臣の位を保たれました。子孫がつぎつぎに落ち目になりますのを辛く思っておりました時、この娘が生まれて、頼もしいものがありました。何とかして都の尊い御方に差し上げたいと願うあまり、この地方の国守などの恨み(娘の求婚を拒む)を受けましが、なんの苦しいとは思いません。娘には、私の存命中はなんとしても育てましょう、もしこのまま身の定まらぬ娘を残して死ぬようなことがあったならば、海に身を投げて死ねと申しつけてございます。

◆昼夜六時の勤め=一昼夜六回の勤行。すなわち、朝、日中、日没、初夜(そや)、中夜、後夜の仏前の勤行

ではまた。

源氏物語を読んできて(女房という職業)

2008年07月02日 | Weblog
女房という職業

 女房とはもともと身分の高い女性をさす言葉

 本来は身分の高い女性をいった。古くは女官の部屋の意で、平安時代、貴族が自分の娘を後宮に入れるようになると、知識もあり身分も高い女官は后や妃の教育の任につき、個室が与えられた。

 その部屋が「女房」で、やがてそこに住む女官の敬称としても用いられるようになった。出身階級によって、上臈(じょうろう)、中臈、下臈がある。

 ●仕事としては、

 もっぱら主人の身辺に直接かかわる雑務を果たす身分の高い使用人であり、場合によっては乳母、幼児や女子の主人に対する家庭教師、男子の主人に対する内々の秘書などの役割を果たした。

 主人が男性の場合には主人の妾(召人)となったり、女性の場合には主人のもとにかよう男と関係を持つことが多く、結婚などによって退職するのが一般的であった。
 なお内裏で働く女房のうち、天皇に仕えるのは「上の女房」と呼ばれる女官で、後宮の妃(ひいてはその実家)に仕える私的な女房とは区別される。

 平安中期以降の社会においては受領階級などの中級貴族の娘が出仕することが多く、そのため教養に優れていた。ひらがなの使用など国風文化に大きな影響を与えた。和歌や和文文学に優れた人物も多く、平安期から鎌倉期にかけてのこの階層の作者の手になるものを特に女房文学と呼ぶ。

◆ 写真は公家女房、裙帯比礼の物具装束(くたいひれのもののぐしょうぞく)

 女房装束の晴れの姿といえば、いわゆる俗に云う十二単で、これが最高の服装のように思われたりしているが、さらに厳儀の時にはここに示したように裙帯(くたい)、比礼(ひれい)をつけ、髪は垂れ且結い上げ宝冠をつけた奈良時代の礼服(らいふく)の形を残したものが用いられた。これを物具(もののぐ)装束という。

 写真:風俗博物館より



源氏物語を読んできて(くだもの)

2008年07月02日 | Weblog
くだもの

 当時、お菓子のことは「くだもの」と呼ばれてしました。しかし、「くだもの」と書いてあればお菓子のことを指すというわけではありません。

「くだもの」は本来「木(く)だ(=の)もの」の意であり、現在もそうであるように、木の実や草の実、つまり果実を指す言葉だったからです。

「延喜大膳式」の「諸国貢進菓子」の条には、山城国のムベ,アケビ,イチゴ,ヤマモモ,平栗,れんこんなど、さまざまな果実の名が挙げられており、これらは饗膳(きょうぜん)の献立の一部をも構成していました。

 この他、「くだもの」には、酒のさかなという意味もあります。  

◆参考と写真「唐菓子(からがし)」  風俗博物館より
 
 別名は唐果物(からくだもの)。糯米(もちまい)の粉、小麦粉、 大豆、小豆などを素材に、酢、塩、胡麻、甘葛汁(あまずら)を加 え、油で揚げたものです。植物の菓子に似せて作られ、異国風の 意匠となっていました。