永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(106)

2008年07月14日 | Weblog
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【明石】の巻  その(18)

 明石の御方は、譬えようもないほどの萎れ方で、もともと身分の違いが根にあってのことながら、やるせなく忘れようにも形見の御衣ゆえに、ただただ涙に沈むほかはないのでした。

母君も慰めかねて
「何にかく心づくしなる事を思ひそめけむ。すべてひがひがしき人に従ひける心のおこたりぞ、という」
――どうしてこうも苦労の種となる事を思いはじめたのでしょう。みなあの一徹な人に従った私の油断のせいですよ、まったくやりきれない、といいます――

入道は
「あなかまや。思し棄つまじきことも、ものし給ふめえば、さりとも思すところあらむ。……あなゆゆしや」
――ああうるさい。思い棄てなさらない訳がおありの筈だから、何かお考えがおありだろう。(安心して、せめて薬湯でも飲みなさい。泣いたりして)まったく縁起でもない――
 
 入道は、娘を気の毒に思うばかりに、ぼおっとして、昼の日中は寝てばかりいて、夜にはしゃんと起きていて、数珠の在処が分からなくなって、手を摺り合わせて空を仰いでいます。弟子たちにも馬鹿にされて、挙げ句には月夜に出て遣り水に倒れて、岩に腰を打って病み臥しています。その間は少しは気が紛れたようですよ。

 源氏の一行は、難波で御祓いをし、住吉明神にも無事帰京の暁は、今までいろいろと掛けた願ほどきのお礼参りをするということをお使いをやって申させられます。物見にあちらこちらに立ちよることもせず、急いで京にお入りになり、二條の院にお着きになりました。

ではまた


源氏物語を読んできて(願掛け)

2008年07月14日 | Weblog
願(がん)掛け・願立て

日本における巡礼として、平安時代の源氏物語に見られるような、貴族階級による願掛けを中心とした神社参詣がその初期形態ではないかとされる。

 その後仏教の末法思想の流行により、後白河法皇の熊野詣でなど浄土信仰を背景とした極楽往生を願う巡礼へと変化し、中世に入ると、戦乱や貧困の中で一般階級による巡礼も行なわれるようになった。

源氏物語を読んできて(履物・わらぐつ)

2008年07月14日 | Weblog
わらぐつ
 
東アジア各国では、糸や草で編んだ沓が作られ、それぞれの国の言葉で呼ばれながらも、総じて「草鞋」の字を宛てられていた。
 日本でも「わらぐつ」と呼ばれ、律令制の中で下級役人である衛士(えじ。兵士)の履物として制定された。

源氏物語を読んできて(履物・草鞋)

2008年07月14日 | Weblog
草鞋(わらじ)

草鞋は、中国の草鞋(ツァオシェ=植物繊維を編んだくつ)が伝わったもので、奈良時代にはくつ型をしていてワラクツと言われていました。これが平安時代以降に日本の気候風土に合わせて工夫され、足指にはさんで履く庶民の履物として、農作業や旅の時に利用されました。

庶民は日常は裸足でした。