落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

回るエロス

2008年07月27日 | play
『高野聖』

旅の僧(市川海老蔵)は飛騨から信州へ抜ける山道で、人里離れた一軒屋に一夜の宿を求める。家には凄絶な美女(坂東玉三郎)と脚の不自由な次郎(尾上右近)と老人(中村歌六)が3人で暮していた。夏の暑い道中でヒルに襲われた僧を、女は清水の淵へ連れ出して沐浴させるのだが、自らも衣を脱いで背中を流そうとする女に僧は驚く。

1900年に発表された泉鏡花の出世作。原作は学生のころに一度読んだきりなんで、けっこう内容忘れちゃってました。
いわくありげな廃村跡と、その傍らに住む化け物めいた女性、次々に行方不明になる旅人の噂。これも一種の怪談になるのかな?
今回の公演では廻り舞台や客席内の通路まで、会場全体をそっくりうまく使って山奥の人外魔境の空気を非常に生々しく再現している。足下には人の腕ほどもある大蛇がのたくり、フクロウやコウモリが頭上を飛び交い、大きなヒキガエルやサルが声を上げて跳ねまわる。
でもやはりいちばん怖いのは坂東玉三郎演じる年齢不詳の美女である。肉親でもない次郎と“おじさん”と呼ぶ老人と共同生活を営み、夜陰の影で魑魅魍魎と「今夜はお客さまがいらっしゃるから」などとひそひそと言い交わすエロティックな女。彼女自身が歯を剥いたり生首を長くしたりして変化するわけではないのだが、ただ者ではない空気を醸すだけでじゅうぶん怖い。こういう役ってホントに玉三郎向きだよね(爆)。失礼ながら。他の女形さんではなかなか「単に怪しい人」で終わっちゃいそうな気がする。
逆に海老蔵は可もなく不可もなく(爆)。ぐりは彼を舞台で観るのはほとんど初めて?に近いのだが、清廉潔白な禁欲的修行僧ってキャラじゃないんだよね(笑)。僧の人物造形が完全に受け身なんだけど、彼本人もどう演じるべきか迷ってる感じがしました。だから玉三郎の最後の台詞ももうひとつうまく響いてこない。残念。

とにかく舞台装置が豪華というか、廻り舞台回し過ぎでしょいくらなんでも?ってくらい、回る回る。あまりに回るので、回ってないときでも舞台が回りそうな感じがして目が疲れました。
目が疲れるといえば、今回10年ぶりくらい?に歌舞伎座に行ったんだけど、客席が平らで前の客の頭が邪魔だったり、音がうまく反響しなくて台詞が聞き取りづらかったり、劇場として古くなってしまってるところがやたらに目についた。建物そのものは雰囲気があって好きだけど、そろそろもうちょっと近代化してもよいのでは。建て替えの話もチラホラ聞くけど、実際いつから工事に入るのかはなかなかハッキリしない。
しかし歌舞伎座の客ってよく寝る(爆)。入場料高いのに、もったいなくないのかなあ?なんて思うぐりは貧乏性でしょーか。

青空文庫『高野聖』

伝説の恋

2008年07月27日 | play
『夜叉ヶ池』

学校の夏休みに山歩きをしていた教師・山沢(市川右近)は、寺のない鐘楼で美しい百合(市川春猿)に出会い、彼女の夫が旅先で行方不明になったきりの旧友・萩原(市川段治郎)であることに驚く。鐘楼は一日三度決まった時間に突く決まりになっており、怠ると夜叉ヶ池が溢れて村がのみこまれてしまうという。萩原は前夫に先立たれ山中に取残された百合に同情して、鐘を突き続けていたのだった。

に三池崇史演出で観た『夜叉ヶ池』だけど、こうして歌舞伎で観てみると全然イメージが違う。意外に社会派ドラマだったんだね(爆)。三池版はかなりヴィジュアル系というかオカルトっぽい雰囲気が強調されてたんでとくにそういう印象はなかったんだけど。テーマは環境破壊。
百合と萩原は現状維持を信じて慎ましく静かに暮らしながら鐘を突いている。だが旱魃に困った村人たちは雨乞いをするか、さもなくば鐘突きをやめて池を溢れさせる方がいいといって彼らを責めたてる。
共同体のためなら環境を破壊しようと誰かを傷つけようといっさい構わない、という無茶苦茶な大義名分に踊らされる無名の人々。有力者など役名のある悪人も登場するが、観ていて怖いなと思ったのは、他人の主張に無批判に同調する大衆の、無自覚な暴力の方だった。

この夜叉ヶ池という山中の池は岐阜県と福井県の県境に実在する池で、9世紀に遡る龍神伝説で著名な地。泉鏡花がこれを題材にした戯曲『夜叉ヶ池』を発表したのは1913年のことだった。日韓併合の3年後、清朝滅亡・中華民国の成立の翌年、第一次世界大戦勃発の前年である。
こうした時代背景がどの程度作中に反映されているかはわからないが、おそらく「集団ヒステリーが煽動する大義による悲劇」的なモチーフは普遍のものなのだろう。
マジメな物語だけど、前半の鯉七・大蟹たちのコミカルなやりとりなどけっこう笑えるパートもあり、娯楽演劇としてバランスのとれた戯曲。おもしろかったです。その割りには周りの席の人がみんなぐうぐう寝てたのはこはいかに〜。

青空文庫『夜叉ヶ池』

パパ大好き

2008年07月26日 | movie
『リノ』

同棲していた恋人エミリーが急死し、2歳のひとり息子リノ(リノ・ミレジ)と取残された男(ジャン・ルイ・ミレジ)。リノの実の父でない彼は引き取り手を探してパリ中を奔走するが、人付き合いのよくなかったエミリーの子どもを引き取ろうという相手はなかなか現れなかった。

クレジットをみればわかるが、リノは監督・主演・脚本・編集のミレジ監督自身の実の息子である。
終映後のQ&Aでも語られたが、監督は「まだ言葉を話さないのに意思疎通能力をもつ」2歳の息子を形に残したいと考えて、この作品を撮ったという。もともとは脚本家で今回が監督3作め、出演は初。
確かに父親をそこまで動かすだけの力をリノは持っている。ただ愛くるしいだけではなく、観る者の心すべてを捉えて離さない、強烈な生命力のインパクト。
あるいはそれは彼固有のものではなく、これくらいの年ごろの子なら誰でも持っているものかもしれない。だがそれをあますことなく映像作品にすくいとることは、たとえ血をわけた親であろうと誰にでも出来ることではない。
この映画は、ミレジ監督父子絶対無二のコラボレーション作品といっていいのではないだろうか。

男はエミリーの死後、葬儀の前からリノの引き取り手の存在にこだわるし、母親に甘えたい盛りのはずのリノは劇中一度も「ママン」とはいわない。
初めこれが一見不自然に感じるのだが、観ているうちにこのふたりの内面が微妙に伝わって来る。若い娘に夢中になり、いきがかり上やむなく子どもの世話をしていたいわば“腰かけ仮父”だった男には、父性はあっても父としての自覚はなかった。だがリノにとってはそんな理屈はどうでもいい。他の恋人や遊びに多忙で家庭を顧みなかった母よりも、彼にとってはいつも傍にいてくれた男こそが“親”だったのだ。
そんなふたりの無条件にまっすぐな愛情が、まるでドキュメンタリー映画のようにリアルにやさしく描かれている。とくに父と共演するリノののびのびとして活発な表情は非常に魅力的で、彼自身がこの映画を心から楽しんでいることがとても良くわかる。
音楽やオモチャを使ったイメージ映像も雰囲気が良くて、シンプルだけどあたたかく心に響く、いい映画でした。拍手。

物語の灯り

2008年07月25日 | book
『灯台守の話』 ジャネット・ウィンターソン著 岸本佐知子訳
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崖っぷちに斜めに突き刺さった家で生まれ育った少女シルバーは、10歳のとき母親を亡くして孤児になった。彼女は盲目の老灯台守ピューに引き取られ、跡継ぎとして育てられる。ピューによれば世界中のどんな灯台にも物語があり、良い灯台守の条件はたくさん物語を知っていることだった。

現代では少なくとも日本国内の灯台はすべて自動化されているが、紀元前にまで遡るという灯台の歴史上、盲目の灯台守というのは実在し得たのだろうか。
よしんば実在し得たとして、ピューの語るバベル・ダークの長い物語はどこか陳腐で、いかにもありそうな話である。心から愛した女性に裏切られたと思いこみ、それでも彼女を愛することをやめられず、死ぬまで妻子を裏切り続けた19世紀の孤独な牧師。牧師でありながら心の底では信仰の意味など理解していなかった男。
シルバーはダークの話を聞きながら、ただひたすらに信ずべき“愛”というものを知り、孤独の宿命を受入れながら成長する。やがて時代の変転が彼女から灯台をも奪っていく。

徹頭徹尾シルバーは異端である。母親も、ピューも、ダークも異端である。
だが彼らは異端である運命を悲しんだり恨んだりはしない。ただあるがままに受け入れ、異端は異端なりの幸せを求める。幸せの形とは、本来、人それぞれが自分で見いだすべきものだと、この物語は教えてくれる。言葉にすれば当り前のことだが、なぜか人は、他人や世間が勝手に唱える“幸せ”にしがみつきたがる。だがそんな“幸せ”にどんな意味があるのだろう。それは本物の“幸せ”なのだろうか?

いわゆる一種の幻想小説のような、美しい韻文を多用した長い散文のような物語なので、あまりこの手の小説を読んだ経験のないぐりには残念ながらもうひとつうまく感想が書けそうにない。
著者がいわんとしてるところはすごくわかるんだけど、いざそれを自分の言葉で表現しようとすると難しい。
精進しまーす・・・。

おまえは誰だ

2008年07月24日 | diary
不運な出来事や、難しい立場の人や、ハードなシリアスなものごとに触れたとき、「自分のことじゃなくて良かった」なんてことだけはいいたくない。
共感できない現象や、受け入れにくい現象に接したとき、その背景を知ろうとせずに「自分とは世界が違う」なんてことだけはいいたくない。

たぶん自分でも気づかないうちにそういう態度をとってきたこともあると思う。
でもできることなら、これからは決してそういうことはしたくない。


レインボーブレス。LGBTユースエクスチェンジのドネーショングッズ。
たった1本のブレスレットだけど、毎日着けてると「自分は何者か」について真面目に考えざるを得なくなって来る。