落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

物語の灯り

2008年07月25日 | book
『灯台守の話』 ジャネット・ウィンターソン著 岸本佐知子訳
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崖っぷちに斜めに突き刺さった家で生まれ育った少女シルバーは、10歳のとき母親を亡くして孤児になった。彼女は盲目の老灯台守ピューに引き取られ、跡継ぎとして育てられる。ピューによれば世界中のどんな灯台にも物語があり、良い灯台守の条件はたくさん物語を知っていることだった。

現代では少なくとも日本国内の灯台はすべて自動化されているが、紀元前にまで遡るという灯台の歴史上、盲目の灯台守というのは実在し得たのだろうか。
よしんば実在し得たとして、ピューの語るバベル・ダークの長い物語はどこか陳腐で、いかにもありそうな話である。心から愛した女性に裏切られたと思いこみ、それでも彼女を愛することをやめられず、死ぬまで妻子を裏切り続けた19世紀の孤独な牧師。牧師でありながら心の底では信仰の意味など理解していなかった男。
シルバーはダークの話を聞きながら、ただひたすらに信ずべき“愛”というものを知り、孤独の宿命を受入れながら成長する。やがて時代の変転が彼女から灯台をも奪っていく。

徹頭徹尾シルバーは異端である。母親も、ピューも、ダークも異端である。
だが彼らは異端である運命を悲しんだり恨んだりはしない。ただあるがままに受け入れ、異端は異端なりの幸せを求める。幸せの形とは、本来、人それぞれが自分で見いだすべきものだと、この物語は教えてくれる。言葉にすれば当り前のことだが、なぜか人は、他人や世間が勝手に唱える“幸せ”にしがみつきたがる。だがそんな“幸せ”にどんな意味があるのだろう。それは本物の“幸せ”なのだろうか?

いわゆる一種の幻想小説のような、美しい韻文を多用した長い散文のような物語なので、あまりこの手の小説を読んだ経験のないぐりには残念ながらもうひとつうまく感想が書けそうにない。
著者がいわんとしてるところはすごくわかるんだけど、いざそれを自分の言葉で表現しようとすると難しい。
精進しまーす・・・。

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