サキクについては前に書きました。『万葉集』にたびたび出てきます。また『古事記』では、コノハナノサクヤヒメの出産の「無事に」が<サキク>です。「産時不幸…幸」<産むとき幸(サキク)あらじ。…幸(サキク)あらむ>。古事記でも万葉でも「サキ」は無事、つつがなき、変わりなき状態をいいます。
サキクは副詞で、名詞はサキ、動詞はサキハフ。サキハフの名詞形はサキハヒです。そしてサキハヒが転じて「サイハヒ」「さいわい」になったといわれています。
『岩波古語辞典』の解説がわかりよいと思います。
<さきはひ>幸ひ sakifafi
サキ(咲)・サカエ(栄)・サカリ(盛)と同根。
成長のはたらきが頂点に達して、外に形を開く意。
ハヒはニギハヒのハヒに同じ。
生命力の活動が活潑に行われる。
サキハヒは植物の繁茂が人間に仕合せをもたらす意から成立した語。
対して、サチは狩猟(と漁労)の獲物の豊富さが人間に仕合せをもたらす意から成立した語。
<サキハヘ>幸へ sakifafe(e:乙類)
サキハヒの他動詞形
成長力の活動を盛んならしめ、それによって幸いあらしめる。
サチは弓矢の「サ」矢と、釣針の「チ」鉤が合体した語で、猟と漁の獲物、収獲物をいう言葉に転じました。
一方の「サキハヒ」「サイハヒ」「さいわい」は、植物が繁り花咲く。<咲き>サキなどから来た語で、植物の豊かな稔り、収穫物の豊富をいう言葉に転じてきたようです。
なおサキハフ、サキハヒの「ハフ」「ハヒ」は這う、這いで、這うように広がって行くこと。繁茂を意味するそうです。
「幸魂」をサチタマ・サチミタマ・サキタマ・サキミタマといい、幸に「サキ」と「サチ」の両方が用いられます。幸魂は猟漁と作物に関する呪力・霊魂と考えるべきでしょう。
猟漁のサチと、農作物などの植物性サキを本来は使い分けていた名残ではないでしょうか。
いずれにしろ、幸は海山のサチ、そして穀物などのサキ。動物性も植物性も、豊富な食べ物に恵まれることを、ともにいう語であるに違いありません。
「幸」字、<サチ>とサキ<サイワイ>の本来の原点はそこにあったに違いないと思っています。最後に、古い用例をいくつか列記します。
『万葉集』894(7~8世紀)
「言霊 佐吉播布(さきはふ)国等 加多利継」 言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と語り継ぎ
『佛足石歌』(753年ころ)
「佐伎波比乃 阿都伎止毛加羅」 幸(さき)はひの厚き輩(ともがら)
『竹取物語』(900年ころ)
もし、幸(さいは)ひに神の助けあらば
『伊勢物語』107(平安時代初期)
身さいはひあらば、この雨は降らじ
『宇津保物語』祭りの使い(10世紀末)
幸(さいはひ)なき君にもいますかるかな
『源氏物語』玉鬘(11世紀初め)
さいはひの、あるとなきとは、隔てあるべきわざかな
『枕草子』181(11世紀初め)
よろしき人の幸(さいはひ)の際(きは)と思ひて、めでうらやむめれ
『平家物語』祇王(鎌倉時代)
さいはゐはたゞ前世の生まれつきでこそあんなれ
『太平記』長崎新左衛門尉意見事(14世紀)
今コソ待處(まつところ)ノ幸(さいはい)ヨト思テ
<2012年8月17日>
サキクは副詞で、名詞はサキ、動詞はサキハフ。サキハフの名詞形はサキハヒです。そしてサキハヒが転じて「サイハヒ」「さいわい」になったといわれています。
『岩波古語辞典』の解説がわかりよいと思います。
<さきはひ>幸ひ sakifafi
サキ(咲)・サカエ(栄)・サカリ(盛)と同根。
成長のはたらきが頂点に達して、外に形を開く意。
ハヒはニギハヒのハヒに同じ。
生命力の活動が活潑に行われる。
サキハヒは植物の繁茂が人間に仕合せをもたらす意から成立した語。
対して、サチは狩猟(と漁労)の獲物の豊富さが人間に仕合せをもたらす意から成立した語。
<サキハヘ>幸へ sakifafe(e:乙類)
サキハヒの他動詞形
成長力の活動を盛んならしめ、それによって幸いあらしめる。
サチは弓矢の「サ」矢と、釣針の「チ」鉤が合体した語で、猟と漁の獲物、収獲物をいう言葉に転じました。
一方の「サキハヒ」「サイハヒ」「さいわい」は、植物が繁り花咲く。<咲き>サキなどから来た語で、植物の豊かな稔り、収穫物の豊富をいう言葉に転じてきたようです。
なおサキハフ、サキハヒの「ハフ」「ハヒ」は這う、這いで、這うように広がって行くこと。繁茂を意味するそうです。
「幸魂」をサチタマ・サチミタマ・サキタマ・サキミタマといい、幸に「サキ」と「サチ」の両方が用いられます。幸魂は猟漁と作物に関する呪力・霊魂と考えるべきでしょう。
猟漁のサチと、農作物などの植物性サキを本来は使い分けていた名残ではないでしょうか。
いずれにしろ、幸は海山のサチ、そして穀物などのサキ。動物性も植物性も、豊富な食べ物に恵まれることを、ともにいう語であるに違いありません。
「幸」字、<サチ>とサキ<サイワイ>の本来の原点はそこにあったに違いないと思っています。最後に、古い用例をいくつか列記します。
『万葉集』894(7~8世紀)
「言霊 佐吉播布(さきはふ)国等 加多利継」 言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と語り継ぎ
『佛足石歌』(753年ころ)
「佐伎波比乃 阿都伎止毛加羅」 幸(さき)はひの厚き輩(ともがら)
『竹取物語』(900年ころ)
もし、幸(さいは)ひに神の助けあらば
『伊勢物語』107(平安時代初期)
身さいはひあらば、この雨は降らじ
『宇津保物語』祭りの使い(10世紀末)
幸(さいはひ)なき君にもいますかるかな
『源氏物語』玉鬘(11世紀初め)
さいはひの、あるとなきとは、隔てあるべきわざかな
『枕草子』181(11世紀初め)
よろしき人の幸(さいはひ)の際(きは)と思ひて、めでうらやむめれ
『平家物語』祇王(鎌倉時代)
さいはゐはたゞ前世の生まれつきでこそあんなれ
『太平記』長崎新左衛門尉意見事(14世紀)
今コソ待處(まつところ)ノ幸(さいはい)ヨト思テ
<2012年8月17日>