動物行動学の日高先生が亡くなった。11月14日、享年79歳。
10数年も前のことですが当時、わたしは仲間と文化好きな市民のための勉強会を開いておりました。錦市場に近い「ト一食堂」の広間で、隔月ほどのペースで、まず講師のお話を聞く。それから鍋を囲み、ゲストとともにあれこれ談義する。
会名を「といち会」といいましたが、命名者は第一回の講師を引き受けてくださった、国際日本文化研究センターの井上章一先生。のべ十数名の先生方が来てくださいました。多田道太郎、鶴見俊輔、鷲田清一、石川九揚、梶田真章、津村喬…。講師謝礼は、図書券一万円と鍋がロハという、格段の謝礼寸志でした。
日高先生が来てくださったときは、あまりにもタイミングが悪かった。京都大学の総長選挙の真っ只中でした。「理学部からもだれか一名、立候補者を出そう。当然一時選考で落ちるのはわかっていますが」。学部内の決定で、すぐ落ちる前提で、日高先生の形式だけの立候補が決まったそうです。
ところが意外なことに、何人もいた泡沫候補のなかで、最終決戦投票の二名に、日高先生が残ってしまったのです。お招きした「といち会」の日はちょうど決戦の直前、総長を決める天王山の真っ最中だったのです。
「本当だったら、ぼくは今日、ここには来られなかったのです…。信じられないことになってしまいました…」。ところが日高先生は、鍋の約束をドタキャンすることもなく、ユーモアあふれる日高節を聞かせてくださり、みなと鍋を囲み、お開きまで付き合ってくださった。
市井のわれわれと交わした勉強会の約束を、律儀に守り通してくださった。「何と立派な方なのでしょう…」。お見送りするとき、わたしの頭は自ずから深く垂れさがりました。昨日のことのように記憶しています。
日高先生の業績ですが、まずいちばんに驚いたのは、モンシロチョウ・オスがどのようにメスを判別するか? わたしはフェロモンだと信じていました。そうではないという真実を知ったとき、大ショックを受けました。
リチャード・ドーキンスの利己的遺伝子理論を読んだときも、驚愕しました。「ドーキンスの原文は、翻訳がむずかしい難解(下手?)な英文でした」と、いっておられた。
その後、滋賀県立大学を創設され、さらに総合地球環境学研究所を立ち上げられた。そのころ、蹴上げ南禅寺前の京都市国際交流会館でのパーティで、乾杯の発声をされた。「研究所の名があまりに長いので略称を<地環研>と決めました。ところが、このようにいうと、たいていの方が??。『チカン(痴漢)の研究所ですか?』。困ったことです」。参会者全員が爆笑しました。どうも<地球研>に落ち着いたようです。
追悼文はいろいろ拝読しましたが、弟子の今福道夫(京大名誉教授)氏は、「日高先生が逝去直前に記された判読が困難な一文に、アリストテレスの霊魂論を思い重ねた。<植物も動物も生長し、動物は植物にない感情や感覚をもつが、わたしたち人間は感情を抑える理性をもつ>。先生の文と奥さんの話を総合すると、体のコンディションが低下するにつれて、拮抗する植物性と動物性のうち前者が次第に勝って行くことを、書き残したかったらしい」
梅原猛先生は、終生酒とタバコを愛した日高先生を、「知的エピキュリアンらしく、たとえ健康に害があるとしても、酒とたばこはやめられないというようなことを[絶筆で]書いていた。また日高氏は亡くなる少し前、書きたいことがいっぱいあるのに書けなくて残念だと夫人に語ったそうである。酒とたばこは氏の命を奪った病気の原因になったと思われる。氏には、酒やたばこをやめて、まだ十年は生きて、より深く動物の命のすばらしさを語ってもらいたかったとわたしは思う」
絶筆は、11月24日掲載の京都新聞「天眼」欄、タイトル「生まれてこの方」。好きな酒とタバコのことを書いておられる。「でも今までずっと[タバコを]吸い続けているのは、先に述べたように、ぼくが、体にいい悪いで自分の行動を変更したことがないからだろう。よくないと言われているのは知っている。自分でもいいものだとは思っていない。だからむちゃくちゃな吸い方はしないし、なければ仕事ができないというような禁断症状にまでは陥らない。しかし、あるからあるものを、やめたらどうだろうと考えるのは、まったくばかばかしいと思うのだ。/絶対吸わない、などというふうに考えない。吸えなければしょうがない、吸えれば吸いましょう、というふうに思う。このごろは健康を大事にして、やばこを吸うか、長生きを取るか、二者択一で考えている人も多いようだが、なぜそこまで追いつめて考えるのだろう。/結局ぼくは、いいかげんなのではないだろうか。[かつて]酒が飲めなかった自分。たばこを吸うようになった自分。わがことであっても、それもよかろう。これもよかろう。どこかさめた他者の目で見ている」
日高先生とわたしの共通点は、酒とタバコだけかもしれない。前世でのご縁、お世話になったことを深く感謝し、合掌いたします。
<2009年12月5日 南浦邦仁> [192]
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