ふろむ播州山麓

京都山麓から、ブログ名を播州山麓に変更しました。本文はほとんど更新もせず、タイトルだけをたびたび変えていますが……

謎の女性「堀田さだ」

2013-08-11 | Weblog
 友人に古物商を営む女性、Yさんがいます。最近、京の業者市で、古い写真や短歌などがぎっしり詰まった小箱を買ってしまったそうです。古書や美術品なら商売になるでしょうが、Yさんはなぜかこの箱にひきつけられ、後先のことも忘れて衝動的に落札してしまったそうです。
 中を調べてみると、堀田さだ、あるいはさだ子か貞子、定子かもしれませんが、通称は「さだ」という明治から大正に生きた短歌を愛する女性の形見らしい。若くして亡くなった名古屋の医家の娘だったそうです。
 Yさんによると、写真の入った短歌遺稿集を出版しようとしたのではないか。あるいは縁者がさだの没後に伝記本をつくろうとしたのかもしれない。
 90年ぶりに突如出現した堀田さだ。謎に満ちた箱ですが、ネットで調べても名古屋の堀田さだはヒットしません。
 どなたかこの女性に心当たりのある方はおられませんでしょうか。タイムカプセルのような小箱が、さだの縁者のもとに届けば何よりもうれしい。わずかでも情報があればご一報ください。「堀田さだ」が現代によみがえる可能性を信じてみます。
<2013年8月11日>

追記 Yさんからコメントが届きました。ブログのコメント欄を開いて読んでいただけばよいのですが、検索エンジンにヒットしやすいように本文に転載します。ところで、青春18きっぷが数回分残っていますので、日帰りで西枇杷島に行ってこようかと思っています。以下、Yさんから。

堀田貞(子)は大正10年に21歳で亡くなりました。
住所は愛知県西春日井郡西枇杷島町南六軒町1の1です。
明治45年の夏休みの綴り方が残っていて、明治天皇が亡くなった日の記述があります。
その頃、母親と5歳の妹が病に臥せっていたようで、下女のいない間は、妹の世話をしたり、母親のおかゆを作ったりと、貞も一生懸命看病する様子が書かれています。
そして、天皇の亡くなられた日の翌日、妹も亡くなってしまいます。貞の嘆くこと!
そんな様子が、生真面目な鉛筆書きで、しかも優美な文体で書かれていて、写真や資料を眺めていると、一人の女性の姿が浮かんでくるようです。すっかり貞に魅せられました。
父親の名前は難しくてかけませんが、弟は新三さんと順平さん。旧制の名古屋第一中学出身で、順平さんは八高を出て医者になっています。
当時の珍しい写真が一杯あって、長い闘病中の短歌が、後に遺族によって小さい歌集にされてもいます。
何か心当たりのある方は、宜しくお願いいたします。
<2013年8月12日>

コメント (2)
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