ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

聖バレンタインデーの謎  前編

2008-02-02 | Weblog
義理と人情が渦巻き、まことの愛の甘味がとろけるヴァレンタインデー。2月14日を愛の告白の日とし、女性が意中のひとにチョコレートを贈る風習は、なぜどのように、いつから始まったのでしょうか。実に謎が多い。
 神戸のモロゾフが、昭和11年(1936)にまず仕掛けた。創業者のひとり、葛野友太郎(くずのともたろう)が神戸の英字新聞に広告を載せました。
 「ヴァレンタインデーにチョコレートを贈ろう。」
 欧米では愛する異性に心中を告白し、カードや花、そして菓子や、ときにはチョコレートなども贈る風習があることを米人記者から聞き、彼はこの日を選びました。在日の欧米人向け企画でしたが、葛野の試みは、見事に失敗します。あまりにも時代を先取りしすぎたのです。10日ほど後には、2・26事件が起きました。
 モロゾフの試みは戦後、こんどは日本人向けに昭和28年から再開されます。また昭和33年には東京のメリーチョコレートカンパニーが、新宿の伊勢丹でヴァレンタインのキャンペーンを行ないました。ところが売上はわずか170円。客ひとりに五個売れただけでした。そしてメリーの4年後には森永が大々的に仕掛けます。景品のハンカチをチョコにつけたり、抽選で宝石をプレゼントするなど、会社あげての大作戦でしたが、これも惨敗してしまいます。
 たびたびの失敗にもめげず、これら菓子メーカーとデパート・スーパーが連携した、何度にもわたるしぶとい敗者復活戦が繰り返されました。2月は、ニッパチの言葉通り、小売業の端境期です。暇なこの時期を盛り上げたいという魂胆がありました。
 そしてついに昭和40年ころから、やっと定着します。そういえばわたしが子どものころ、チョコを2月にもらった男の子など、回りにひとりもいません。生きていくのが精一杯の昭和30年代なかばころまで、チョコやバナナなどは、雲のうえのぜいたく品でした。いまでは信じられないことですが。

 ところで肝心の「聖ヴァレンタイン様」とは何者か? 彼は謎だらけの人物です。イタリア・ローマの80キロほど北の町、テルニの司祭であった。あるいは、ローマの聖職者であったともいわれています。西暦270年ころの2月14日に、ときのローマ皇帝クラウディウス二世の迫害で殉職した聖人であるといわれています。ところが確かな記録もなく、没年もはっきりしません。
 『黄金伝説』という本があります。13世紀に書かれたキリスト教聖人伝説ですが、中世ヨーロッパにおいて、聖書とならんで広く読まれた殉教録です。この本をみても、ヴァレンタインは、愛を象徴する聖人としては描かれていません。
 彼は当時、古代ローマにおいて異教であったキリスト教からの改宗を断固拒否し、古来のローマの神々を認めなかった。頑固なキリスト者として記述されています。特筆すべきは、眼病などの医者でもあったという記述です。
 ヴァレンタイン神父が皇帝に命によって斬首された理由は、単に背教しなかったためと、医術による「奇跡」をおこしたためと、わたしは考えています。しかし一般にいわれているのは、皇帝クラウディウスが定めた法律「未婚の戦士は結婚してはならない」に反対したからだという。新妻への未練をもって戦地に赴いたのでは、まともに戦えないからという理由ですが、ヴァレンタインは皇帝の意に逆らって、テルニの教会でたびたび兵士たちの結婚式をあげたといいます。しかしこの俗説は、キリスト教会史やヨーロッパの結婚史からみても、実にあやしい。 ~続く~

※ 「京都から」には無縁の、「古代ローマから」になってしまいました。理由は、先日ある新聞に「ヴァレンタインデーのチョコレートは、メリーチョコレートカンパニーが始めた作戦から云々」というインタビュー記事が載ったからです。その記載は間違いです。始めたのは、神戸のモロゾフです。葛野友太郎の名誉のために書こうと思いました。ご容赦ください。
 参考までに「ヴァレンタイン Valentine 」は英語です。ラテン語「Valentinus 」。仏語・ドイツ語「Valentin 」。伊語「Valentino」。

<2008年2月2日 京都雪落 前後の前 南浦邦仁記>

コメント