映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

夏時間の庭

2009年06月13日 | 映画(な行)
形は残らなくても、心は受け継がれてゆく

            * * * * * * * *

パリ郊外、大きな庭のある邸宅。
母エレーヌの75歳の誕生日、久々に家族が集まります。
エレーヌは長男フレデリックに言うのです。
自分が死んだら、この家も、大叔父の残した美術コレクションも処分して、
皆で分けるようにと。
そんなことのあと、まもなく本当にエレーヌは亡くなってしまうのです。

さて、フレデリックは母の思い出がいっぱいの
自分が育ったこの家、馴染んだ美術品に愛着があり、
できれば手放したくない。
しかし、長女はアメリカ、次男は中国に生活拠点を移しており、
まとまったお金が入るのはありがたいと思っている。
しかも最大の問題は、莫大な相続税を払うためには、
やはり、財産を売り払うしかない、ということ・・・。
やむなく、美術品も、家も、寄贈したり、売り払うこととなりました。

このあたりは、結構淡々としていまして、
別に兄弟間の遺産をめぐる大喧嘩があったり、
夫婦のいさかいがあったりするわけではないのです。
時の流れの中で、誰もが出会うストーリー。

思い出をつなぐために、私たちは時に、物にこだわるんですね。
お母さんが愛用した机。
いつも居間にかけてあった絵画。
いつも花が生けられていた花瓶。
そういうものが、みな売却されてゆくのは、とても寂しいのです。
人が入り込んで、少しずつ荷物が運び出されていくのは、
見ていてもなんともうら悲しい感じがします。
フレデリックにとって、母が亡くなった上に、
また家も家財もすべて人手に渡ってしまうというのは、
二重の喪失を意味しているのです。

けれどそれでも、フレデリックには彼の生活があります。
妻と、娘と息子。
反抗期で実に扱いにくい子どもたちではありますが・・・。
いつまでも、お母さんの思い出に浸っていられないのも事実。
淡々と「事後処理」という雰囲気でストーリーは進行するのですが・・・。

こんな中、ラストで実に鮮烈な思いを味わいました。
フレデリックと妻が、
家が人手に渡る前、最後に
「子どもたちが友達を呼んでパーティーをするんだって・・・」
といって、クスクス笑うシーンがあるのです。
何がそんなにおかしいのだろう・・・と、いぶかしく思うのですが、
そのあとのパーティーのシーンをみて、なるほど・・・と思いました。
ここは、皆さん、ご自分で確かめてくださいね。
二人は、亡くなったお母さんの感情を想像してしまったのだろうなあ、
と思うのです。

そして、そのパーティーの中で、
実に現代的でクールに見える孫娘が見せた意外な感情の高ぶり。
ここのシーンが鮮やかでした。
結局、別に物にすがらなくても、
思い出はくっきりと心の中にあるものなのですね。
おばあちゃんが愛した家、美術品。
形は残らなくても、
その心はしっかりと、家族に受け継がれてゆくのだと思います。


ところで形は残らないといいましたが、この場合、名だたる美術品の数々。
多くは、美術館に展示されることになるんですよ。
つまり、観ることができる。
これはある意味ラッキーですね。
しかし、フレデリックは、
美術館にひっそりと展示された母の愛用の机をみて、
そのよそよそしさに、また少し寂しさを感じたりするのですが。

生活の中に息づいてこそ、道具としての価値がある。
ただ単に眺めるものとして、
美術館や博物館に展示されたものに、本当に価値があるのだろうか・・・、
そんなことも言おうとしているのかもしれません。

2008年/フランス/102分
監督:オリヴィエ・アサイヤス
出演:ジュリエット・ビノシュ、シャルル・ベルリング、ジェレミー・レニエ、
エディット・スコブ


夏時間の庭 日本版予告編 L'Heure d'醇Pt醇P 2008年 Trailer Japanese