九想話

ブログ以前から書き始めて、20年目になります。



2月の反省会

2006年02月28日 | Weblog

なんともう今年の六分の一が終わる。
九想話、何書こうかなと考えていたら、今日は2月末日なのですね。
それで急遽、反省会とします。
今月も相変わらず毎日九想話を書くことで一日が終わってしまった。
いろいろやることはあるのだが、してないな。
へちま亭文章塾には投稿したが、何も書いてない。
ギターも弾かないし、ケーナも吹いてない。
ブルースハープをきちんと練習しなおそうと思ってるのですが、
これもしてない。
小説はいくつか読んだ。今、「模倣犯」を読み始めている。
いつ読み終わかな。

そうだ、陶芸教室には毎週行っている。
これはがんばろうと思う。
毎日一句が実行できてない。へたでもいいから一日一句作らなくては。
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2/1  駄目だ
2/2  陶芸教室「彩工房」      春未満心安まる土の感触
2/3  久しぶりのカホン       
2/4  まだ見ぬ嫁と孫      春浅し明日は母の一周忌
2/5  単騎、千里を走る     寒明けや短気千里を走れない
2/6  火事           火事を見る野次馬の顔活きいきと
2/7  なんのための気象予報士  人気ない夜の市場に余寒なほ
2/8  陶芸教室2日目        
2/9  陶芸教室2日目(2)
2/10 ダルマ         春一番むかし「ダルマ」を飲みました
2/11 Kのこと        春光や息子は女のふるさとへ
2/12 一太郎2006     春炬燵仕事のことでうなされる
2/13 トリノ冬期オリンピック 寒の明けフロントガラスにやさしき陽
2/14 岡崎朋美4位      バレンタインせめて妻から一つでも
2/15 「ふつう」
2/16 尿瓶健康法       ジョボジョボと生の快感春めけり
2/17 鼠穴          風光る息子の嫁に会う明日
2/18 息子の嫁さん      春風を連れて息子は家に来る
2/19 息子の嫁さん 2    如月や娘ができて戸惑いて
2/20 へちま亭文章塾第6回    
2/21 Tくんの就職        
2/22 陶芸教室1ヶ月     吾が思い陶土にとどかぬ春の闇
2/23 LD(学習障害)    悲しいやなぜだこんなに春寒し
2/24 眠いのに          
2/25 顔合わせ
2/26 春を待つ手紙      女さえ春待つ手紙男なら
2/27 忘れ物         春の暮吾待つ可愛いやつがいる
2/28 2月の反省会      春の宵なにもできずに鼻をかむ       

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忘れ物

2006年02月27日 | Weblog
 Aくんが真っ赤になり今にも泣きそうな顔をしている。
「送迎が出るよ。Aくん早くしな」
 そう私がいったばかりだ。作業所の時計は4時を回っていた。今日は久しぶ
りに早く作業が終わっていた。
「緑の手帳と財布の入ったバッグがないんです」
 緑の手帳とは、知的障害者手帳だ。ちなみに身体障害者は赤の手帳です。
 私はケース記録を書く手を止めて、Aくんのリュックの中を見た。失禁した
ときのための下着、ズボン、シャツにタオルが2、3枚、ジャンバーやお茶と
コーヒーのペットボトルが3本、缶コーヒー1本が入っていた。
「バッグはどこに置いたの?」
しばらく考えていたAくん。
「そうだ、朝、送迎の中に忘れてきたんだ」
(これだけいうのに彼の場合、3分ほどかかります。「そ・う・だーあさ…、
そう、げ、い~、のー、 な、な、な・なかに~、わす、れ、てーき…たんだ」
こういう感じです)
 といって嬉しそうに出て行った。
 私は送迎車の運転手のSさんに目で挨拶して送迎車を見送った。

 1日の活動日誌を書いているとき電話が鳴った。所沢駅の西武バス営業所か
らだった。
「そちらに**Aさんという人は働いていますか?」
 あ、また何かあったんだ、と私は思った。
「財布を作業所に忘れてバスに乗れないといっているんです」
 電話を本人に替わってもらった。
 結局、バッグは送迎車の中にはなかったらしい。Aくんは、バッグがないと
バスに乗れないし作業所に戻って探したいという。
「作業所にどうやって来るの?」
「Oさんに迎えに来て欲しいんです」
 私はまいった。今日はなんとしても、これまで忙しくて書けなかったケース
記録をちゃんと書こうと決めていたのだ。そして、先週忙しくて行けなかった
整形外科にどうしても行こうと考えていた。腰が痛くて我慢できないのです。
 自宅に電話をした。お母さんがいたら迎えに行ってもらおうと思った。しか
し、3回かけたが出てくれなかった。
 とりあえず施設長に電話をした。このことを報告しておかなくてはいけない。
ところが1メートル先から呼び出し音がする。なんと施設長の携帯電話があっ
た。携帯電話は携帯していてもらわないと携帯電話じゃない。

 私は車を走らせた。40分ほどして所沢駅に着くとバス停にAくんがいた。
ダウン症独特の丸く太った彼の姿を見て、私は胸が熱くなった。なんといって
も今現在、この地球上でおれを待っているのはこいつだけなんだ、と思った。
息子でも女房でもない。駅前の雑踏の中、心細い気持ちで私を待ち続けてくれ
るのは37歳になるAくんだけなんです。
 私は車を停め、ハザードをつけバス停まで駆けていった。

 バッグは無事、作業所で見つかった。
 私はそれから彼の自宅まで送って行きました。
 ケース記録も書けなかった。整形外科にも行けなかった(19時までしかや
ってない)。腰痛がつらい。
 でも、こういう苦労をAくんのお母さんはずーとしてきているはずだ。そう
想像すると気が遠くなる思いがした。
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春を待つ手紙

2006年02月26日 | Weblog
吉田拓郎の歌に「春を待つ手紙」というのがある。
私はここのところ拓郎の歌をしょっちゅう聴いている。
なんだか最近の私の心によく合うのだ。
昨日も池袋に行く西武線の中で、iPodで聴いていた。

「春を待つ手紙」は、ある男女の手紙の歌だ。
ここに歌詞が載ってます。
http://music.j-total.net/data/038yo/001_yoshida_takuro/125.html
直子と俊一はどういうふうに知り合って、
どんなつきあいをしてきたのだろう。

  あなたはあくまで男でいて欲しい
  私を捨ててもあなただけ捨てないで

これは、私が思うにやっぱり、男と女の別れの歌ですよね。
せつないな~
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こんな歌のことを考えているおれは50過ぎのおやじだ。
もうすぐ孫が生まれるというのに…。
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顔合わせ

2006年02月25日 | Weblog
今日は、Kの結婚する女性のご両親と長男に会った。
場所は、池袋のホテルの中にある和食のレストランだった。
先週、息子はホテルの部屋を
予約したといっていたのは間違いだった。
ホテルの部屋でどうやって会うのだろうと、
私は疑問に思っていた。
Kのやつ、ものごとは正確に話してくれ、と思った。

私たちは微妙な思いで向かい合った。
私の前にお父さん、女房の前にお母さん、Kの前は彼女で、
わが家の長男であるUの前には、あちらの長男が坐った。
(長男と息子たちは同じ歳だった)
最初、何を話したらいいか戸惑った。

「このたびは、こういうことになりまして、
 お父さん、びっくりなさったでしょう」
というようなことを私はいったと思う。
父親は、1月まで知らなかったそうだ。
母親は去年の6月に娘から同棲していることを聞いていた。
それを黙っているのが辛かったといっていた。

なんとなく気まずいながらも、ビールが出てきて、
飲んでぽつりぽつり話しているうちに、
だんだん気持ちがうち解けてきた。
父親はパソコンが好きで、今は全部自分で作っているという。
30年前ぐらいからコンピューターが好きだったようで、
そのへんの話で私と盛り上がった。
天体のサークルに入っていて、
星と付き合う道具としてコンピューターと付き合ってきたらしい。

「結婚式を挙げない、と息子たちはいってますが、いいのですか?」
そんなことを私が訊くと、
「今は、しょうがないでしょう。
 天体のグループにもそういうのが沢山いますから」
母親は、式は挙げなくても写真だけは撮って欲しい、といった。
しかし、M子さんは写真が嫌いだという。
私はどうでもいいが、お母さんの願いを叶えて欲しいと思った。

しかし、ときどき私がいったことに、隣の女房が、
私の膝をバシッと叩くのにはまいった。
「うちは貧しいので」 バシッ。
「私たちも結婚式挙げてないんですよ」 バシッ。
昨日から女房に、あまり私たちのへんなことはいわないで、
といわれていた。
しかし、貧しいとか式を挙げていないことが、
へんなこととは私は思っていない。私は悩みます。

しばらくビールを飲んでから日本酒にした。
出羽桜の吟醸を注文した。おいしかった。
父親も長男もお酒が好きなのでうれしい。
うちの息子たちも飲んでいた。

先週のM子さんは、かなり私たちに緊張していたようだった。
今日は、両親の前ということもあったのか、
けっこう自分を出していた。
ご両親と彼女の掛け合いが興味深かった。
M子さんはかなり親のいうことに反発していた。
Kが、彼女のことを「ママに似ている」といっていたが、
なるほどと頷けた。
女房は昔から自分の親のいうことは聞かなかった。

予定の2時間、私たちは楽しく過ごした。
今日の天気のような気持ちいい会食ができた。
3月に息子たちは入籍するようで、
保証人のところに書いてくれといわれ、名前を書いた。
Kなりにいろいろ考えて行動していることがうれしかった。

とりあえずそれなりのことが無事終わった。
あとは9月に赤ん坊が生まれることを待つだけだ。
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眠いのに

2006年02月24日 | Weblog
昨夜は寝たのが午前4時過ぎで、今日起きたのが6時。
眠たいはずなのですが、目が覚めてしまった。
何もオリンピックのフィギィアスケートなんて観ることもない。
どうせ起きて生で観ても、メダルなんてダメなんだから、
と思っていた。

寝るとき聴いていたラジオがついていた。
安藤美姫のインタビューをやっていた。
これで目が覚めてしまったのです。

7時まで寝ていようと寝返りをうった。
しかし、眠れない。
「生で観なかったら、後悔するぞ」と別な自分が脅す。
ええいままよ、と起きました。

私が起きると、女房も布団を出た。
そして観ましたよ、荒川静香を。

金メダルとれてよかったね。
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LD(学習障害)

2006年02月23日 | Weblog

昨日、「徹子の部屋」に五十嵐めぐみという女優が出ていた。
私はこの人のことをまったく知らなかった。
おそらくこの女優の出たドラマを1つも観ていないと思う。
結婚して引退したが、ご主人が5年ほどでガンで亡くなった。
その後、女優に復帰している。

ぼんやりテレビを観ていたのだが、
お子さんのLD(学習障害)の話になり、
私は真剣になって彼女の話を聴いた。
私はLDのことを詳しくは知らない。
知的障害ではないが、障害者ではあるようです。
このページを参照してください。
 http://www.as-japan.jp/j/about/syougai.html#ld

息子さんは現在21歳になっているという。
ワープロ、パソコンを勉強し、その関係の会社を含め
数社に面接したが全部断られた。
1社だけ、あるドラッグストアで採用されたが、
すぐ辞めさせられたそうです。
人と接することができないことが原因だったらしい。

障害者手帳を持っていたほうがいいと勧められ、
試験を受けたら知的障害者とは認められないといわれた。
内心ほっとした、と彼女はいっていた。
しかし、これから息子が生きていくためには必要と思い、
悲しかったが、障害者手帳をもらった。
現在、息子さんは区の就労自立支援センターで
クリーニングの仕事をしているという。

私は、うちの作業所の1人ひとりの顔を思い浮かべながら
五十嵐めぐみさんの話を聴いていた。
障害はそれぞれ違うが、あの子たちのご両親の苦労を思った。

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陶芸教室1ヶ月

2006年02月22日 | Weblog
今日も陶芸教室に行ってきました。
私はまだ1日もさぼっていません。

1ヶ月行ってみて思うことは、
陶芸は難しい、ということです。
当たり前ですね。
私はまだロクロもやってない。
現在は「手びねり」で作陶しています。
回転板の上に、丸めた陶土を置き、
それを親指と人差し指で陶器の形にしていく。
これがなかなか難しい。

作った陶器の高台を削る。
この高台を削るのがまた難しい。
来月、窯入れをする。
どんなものでも自分のものが焼き上がったら、
うれしいだろうな。
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Tくんの就職

2006年02月21日 | Weblog
作業所にTくんが入所してきたのは去年の7月だった。
年齢は30歳、髪は短く痩せ形の彼は精悍に見える。
作業所に来る前は、出版販売会社に勤めていた。
当然、正社員ではない。

その会社にはかなりの知的障害者が働いていたが、
書籍を客先別に仕分けし梱包する作業が自動化されて、
職を失ってしまったという。障害者ばかりではなく、
健常者の臨時雇いの人たちも同様だったという。

Tくんを見て知的障害者と思う人は少ないと思う。
話す言葉もしっかりしていて、かなり高度の作業もまかせられる。
数を数えることも大丈夫だ。
現在、おもにしてもらっている仕事は、
袋にパックされた胡瓜や人参などをダンボール箱に入れる作業です。
間違いなく決められた数量を入れてくれる。

でも、ときどきあやしい。
それなりの間隔で私は確認しなければならない。
パレットにダンボールを積むことに悩むこともある。
1段ごとに同数で積んでもらわなければ、
最終的に数の確認ができない。
しかし、他の通所者と比べると頼りになる働き手だ。

去年の夏、「Tくんはどんな仕事をしたい?」と訊いた。
「警備員の仕事がしたい」といった。
職安の紹介で面接に行ったこともあるが、
その仕事は一定期間ごとに仕事先が変わるので、
「おれはだめです」といっていた。
新しい場所に行くことが難しいらしい。

1週間ほど前の職安の職業相談で、
スーパーの仕事を紹介されたといっていた。
2社と面接をしたらしい。まだ結果は来ていない。
作業所で頼りになるTくんがいなくなるのは困るが、
彼が採用されることを私は祈っている。
Tくんが、就職できることが作業所の本来の目的なのです。
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へちま亭文章塾第6回

2006年02月20日 | Weblog
昨日が締め切りでなんとか投稿しました。
今度はなるべく早く送信して、
作品リストの最初のほうに載るようにしようと計画していたのですが、
結局、一番最後になってしまった。

日々どうしても、九想話を書くことを最優先にしています。
私のような凡庸な暮らしをしていると、
そう毎日書くことはないのです。
先週は特に苦労しました。
書き始めるまでに3時間、という九想話もあった。
夜9時頃寝て、12時ぐらいに起きてから九想話に立ち向かう。
立ち向かう前にぐずぐず何かをやっている。
本を読んだり、ラジオを聴いたり、ネットサーフィンだったり。
午前1時から九想話に何書くか、なんて考え始めても
エディターで書き始めるのは3時過ぎになるのはいいほうだ。
へたすると4時からということもあります。
次の日が地獄だと覚悟はしているのだが、
書くネタに苦しむとそうなってしまう。

このところ作業所も忙しく、昼休みも満足にとれない。
貴重な10分間の昼寝もできないときがある。
私は必ず、自分の車で昼寝をするようにしている。
これを励行しているから、明け方のバカな時間まで起きていられます。

つくづく自分は何やってんだ、と思わなくもない。
九想話なんて書かないで、小説書けばいい。
そもそも九想話は、文章修行という意味で書き始めたのです。
まったく“修行”になってませんが…。

さて本題。今回書いたのは、「女房が勝ち」というものだ。
「ダンス」というのがお題だったので、
こりゃ、女房のフラメンコしかないと思ったのです。
もう一つ考えたのは、「盆踊り」です。
これはけっこう九想話に書いている。
私は小さいときから、やぐらの上でうたったり、
太鼓を叩いていた親父をそれなりの目で見ていた。
日常生活はだめな男だったが、やぐらの上では“かっこいい男”でした。

へちま亭文章塾第6回。さてどうなりますか?
みなさんも沢山の作品を読んでみてください。
そして感想など書いていただけるとうれしいです。
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息子の嫁さん 2

2006年02月19日 | Weblog
リビングに二人を通して私はコタツに足を入れた。
Kと彼女は、
女房がカバーを取り替えたばかりの座布団に坐った。
私には座布団はなかった。
もう一枚は私のパソコンの前のイスに載っている。
私の家に座布団はそれだけしかない。

「仕事は忙しいのか?」私がKに訊く。
「そうだね。毎日12時ぐらいまでやってるかな」
「たいへんだな」
それで会話が途切れる。
家にいたときだってそんなに話などしなかった。
こんな状況ではまして、何を息子と話したらいいか分からない。
女房がお茶を持ってきた。

私たちはそれから食事をしに出かけた。
女房が、家にいるよりどこかの店に行ったほうが
気詰まりでなく話ができるだろうと計画していた。
女房と以前行っていたパスタの店にした。
小さい車に4人乗ると圧迫感があった。
M子さんは最近つわりがひどいというので息子が心配した。
車に酔うというので窓を少し開けたりした。

駐車場に車を停め、店に入るとき、
息子と彼女は手をつないで歩いていく。
(おれが女房と結婚する頃、あんなことはしなかったな)

3種類のパスタと1つのピザとサラダを注文した。
飲み物は、M子さんがグレープフルーツジュース、
女房がコーヒー、Kと私は生ビールにした。
帰りは女房の運転ということは“確約”済みだ。
こういう環境で私は、アルコールを飲まないではいられない。

いろんな話をした。
まわりのざわざわした音が緊張感をなくしてくれた。
女房の計画は功を奏した。
といっても私はM子さんのこまかいことは訊かなかった。
訊いてもしょうがないと判断した。
息子たちは結婚するのだ。
これは決まったことなのだ。

食事が終わったら家に帰りビデオを観ることになった。
私が息子たちの子どもの頃のビデオがあるというと、
彼女が観たいといったからだ。
息子はイヤだといったが、そうすることにした。
店から車までも息子たちは手をつないでいた。

家に戻って私はさっそくビデオをセットした。
幼稚園、小学生の頃の息子たちの姿がテレビに映った。
「これはUだな。こっちはKだ」
親の私でもこの頃の息子たちを判別するのは難しい。
一番受けたのは女房の姿だった。
その頃、体重が80キロ弱はあった。
まるで“怪物ママ”だった。
女房の名誉のために書いておきますが、
現在は、50キロぐらいです。
あのときの女房のダイエットの努力はすごかった。

来週の土曜日、池袋のホテルの部屋をKは予約していた。
彼女の両親と兄さん(息子と同じ歳)と
私たちの顔合わせのためだ。
どんなご両親だろう。
私と女房は、また緊張するだろうな。
なにしろ情けない親をやってきた私です。
でも、かっこなんかつけられないから、
ありのままでいくしかない、と思っています。
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